2006年夏企画
「岡本太郎遠足」

今年は、汐留に岡本太郎の「明日の神話」が展示されていることもあり、
数年前から構想を練っていた「岡本太郎遠足」を挙行することにした。

 実は、夫も私も、
それぞれ別々に、
ずっと昔から岡本太郎が好きだった、
ということが、最近判明した。

 「岡本太郎」というキーワードで反応し、
「え? お前もか?」
という意外な共通点に、
お互い、つい最近気付いたのだった。 

 私たちは、太郎の「太陽の塔」が好きなのだが、
二人とも実際に実物を見に行ったことがなく、
本当は、そちらに行きたかった。

 ここ埼玉から万博記念公園まで行くとなると、
泊りがけになるだろう。
 しかし、夫と長男の部活の休みが合わなかったので、
結局、近場の作品を見て回ることになった。

 アカンボもいることだし、
今回は、数ある候補から、
表参道にある、こどもの城の「こどもの樹」と、
「岡本太郎記念館」、
そして、汐留の「明日の神話」に絞った。

 遠足に先立ち、
子供たちの手でお約束の「遠足のしおり」が作られ、
お弁当の材料も買ってきた。

 この計画が着々と進む中、
私たち夫婦の共通の友人Sさんが、話を聞きつけ、
急遽親子で参加することになった。

 私たち夫婦は、大学の演劇部で知り合ったのだが、
Sさんは、夫にとっては同期生で、私にとっては、4つ先輩であった。

 彼は、哲学を学び、非常に人望が厚く、
仲間内では、昔から一人だけちゃんとした大人だった。

 そんな彼には、一人息子がいるのだが、
子煩悩な彼は、自分の息子に「大家族」を体験させたいと思ったらしい。
(というか、Sさん自身が体験したいようだった)

 当日の午前10時に、
最寄の駅のホームで待ち合わせしたのだが、
会うなりSさんの息子さんは、かなりのけぞりぎみで、
大所帯の我が家に、完全にひきまくっていた。

 「自己紹介して」
というSさんに、長男次男三男四男が順に名乗り、
長女を見せると、
「あかじそさんにそっくりだねえ」
と言われた。

 次にSさんの息子さんがSさんに促されて
自己紹介した。

 てっちゃん、3年生。

 SさんとSさんの奥さんの両方に良く似た、
利発そうな子だった。

 電車に乗り込んで、うちの子たちが、
ずらずらずら、っと座席に並んで座ると、
Sさんは、
「おう・・・」
と嘆息し、いきなりスナップ写真を撮りだした。

 そして、誰が誰に似ていて、
誰と誰が相性がいいとか悪いとか、
Sさんは、私の話をひとつひとつ面白がって聞いていた。

 そして、Sさんは、三男に向かって、
「お父さんとお母さん、どっちが怖い?」
と聞き、
三男が、私の視線に怯えながらも、私のことをプルプルと指差したので、
非常に愉快そうに「わっはっは」と笑っていた。

 表参道駅に着くまで、
Sさんは、実に楽しそうに
我が家を、
我が家と行動を共にするてっちゃんを、
そして、我が家と並ぶSさん自身の姿を、
嬉々として写真に収めていた。

 遠足のしおりには、
「きっぷを自分で買ってみよう」
「地図を見ながら子供だけで目的地までたどってみよう」
などの課題が書いてあり、
それらを次々こなしていく子供たちを、
これまたSさんは、
「うむ、うむ」
と、実に満足そうに眺めていた。

 さて、最初に行ったのは、「こどもの城」だ。
 「こどもの城」というのは、
超豪華な有料児童館のようなところで、
音楽や工作、体育遊びなど、
こどもが表現を通じて思い切り遊べるようなところである。

 その建物の前に大きくそびえる、
岡本太郎作「こどもの樹」。

 う〜む。
 以前、何度もこの前を通ったことがあるが、
(私は、独身時代、この辺りに勤めていたのだった)
こんなに魅力的なオブジェだっただろうか?

 子を持って始めてわかる、「こどもの樹」の魅力。

 生涯自分の子を持たなかった太郎が、
このような作品を作れるということは、
太郎自身の中に、
純粋なる子供が生きていたということになるのではないか?

 70何歳のおじいさんが作ったとは思えぬ、
こどもの魂のかたまりが、そこにあった。

 昼食と授乳を兼ねてこどもの城に入る。
 今、ペーパークラフト展をやっていて、
すべて紙で作られた動くおもちゃに
子供たちは大いに喜び、
いつまでもかけずり回って喜んでいた。

 始めは、ひいていたてっちゃんも、
こどもの城を出る頃には、
うちの子供たちやアカンボにすっかりなついていた。

 さすが、こども同士。
 ことばは、いらない、ってヤツだ。

 さて、ちょっとした遊びと休憩を終え、
こどもの城を出ると、
今度は、岡本太郎記念館に向かった。

 ここは、岡本太郎の元居住地兼アトリエで、
庭にもさりげなく有名なオブジェが飾ってあったりして、
もう、入る前から
「やばいぜ、やばいぜ、やばいぜ〜!!!」
というオーラがビンビン放たれていた。

 でかい!

 ピカピカ!

 かわいい!

 中でも私の心を強くつかんだのは、
庭に何気なく置かれた
小さな「犬の植木鉢」であった。

 とは言え[犬]じゃあねえだろ!
 でも、何なんだ、この「犬感」!
 実用品としてもしゃれてるし!

 何度目をそらしても、
ついまた見てしまう存在感。

 そこにある、というよりも、そこに「いる」。

 こんな小さな一作品にも、
太郎は、自分の魂を吹き込み、
永遠の命を与えているのだ。


 死んでない!!!

 岡本太郎は、死んでないのだ!

 岡本太郎の体は死んだけど、
魂は、いまだギンギンに生きている。

 今生きている私たちよりもギンギンに、
ギランギランに生きているではないか!!!

 この後、汐留に行って「明日の神話」を見たが、
やはりデカかった。
 デカイのに、近くで顔をつけて見ると、
実に繊細だった。

 繊細なものが、どこまでも大胆に
大きく大きく描かれている。

 これが描かれた背景や、
壊れて直した経緯にもドラマがいくつもあり、
素直に「面白い」と思った。

 しかし、やはり何より、
私が惹かれたのは、
太郎の生き様だった。

 人の評価なんて関係ないんだ、
今生きている魂を一瞬一瞬爆発させろ、
という、自信に満ちた断言。

 そして、死んだ後にもギラギラに生き続け、
不完全燃焼や燃え尽き症候群の人々の魂に薪をくべ、
命に叫びを呼び戻し、見るものの魂をも爆発させてしまう作品たち。

 すげえぞ、太郎!

 ありがとう、太郎!

 子供のために企画した太郎遠足だったが、
後半、もう私は、人のことなど見ちゃいなかった。
 だから、彼らを描写なんてできないのだ。

 自分自身が、イケイケになってしまっていた。
 私がイケイケになっている間、
子供たちは、各自静かに
「おう!」と感動していたことだろう。

 今は、ただ、「おう!」としか言えない子供たちも、
きっと大人になったら、
太郎のメッセージに気付くだろう。

 そして、体が生きているだけじゃダメなんだ、
魂が震えながら生きなくちゃウソなんだ、
と、時間をかけて理解するだろう。

 それに気付いてもらえたら、この遠足は成功。 

 一番大事なことは、何なのか?

 それが自分で分かれば、グッジョブ!


   (了)

(2006年夏企画)2006.8.21.あかじそ作