こんなヤツがいた 「Kさんの笑顔」


 大学時代の先輩に、Kさんという男の人がいた。
 このKさんという人は、ちょっとそこいらにはいない
一種独特な人で、彼についてのエピソードは数知れない。
 身長は150センチ強で、小柄な割には肩幅が広く、
常に! 常に笑顔だった。
 目はパッチリ、口はニッコリ、
いつも演歌歌手のリサイタルみたいな派手なジャケットを羽織り、
会話の前後には必ず「ははははは」という笑い声が入った。

 どんなシビアな状況でも、その絶対的な朗らかさは不動で、
気性の激しい仲間たちの中にあって、彼はみんなに好かれていた。

 大学卒業後、私は、Kさんの先輩でもある今の夫と同棲を始めた。
 単に家賃節約という合理的理由により
ふた間あるアパートを借りて住み始めたのだが、
Kさんは、そのアパートに仲間たちと一緒に訪れると、
「へえ、ここがふたりの愛の巣か〜ふ〜ん、そうかあ〜」
と、ニコニコニコニコ笑って言った。

 何だか、非常にリアルで生々しい言い方だったので、
みんな一瞬固まってしまった。
 私と夫のキャラクターからして、
「愛の巣」ということばは、一生縁のないニュアンスであった。
 
 しかし、Kさんという人は、
とにかく物事をすべてこてこてに一般化するのが大好きで、
(そんな言い回し今どきするか?)
といった、こっぱずかしい表現を好んで使っていた。
 
 「愛し合うふたり」
とか、
「美しき師弟愛」
とか、
「すばらしき人生に乾杯」
とかいうことばを会話のそこここに散りばめて、
殺伐とした「若人たち」の議論の場を何度となく「うやむや」にし、
喧嘩をフェイドアウトさせてしまう力を持つのだった。

 そのKさんが、私たち夫婦が団地に引っ越したとき、
やっぱりニコニコニコニコしながら遊びに来た。
 
 「素晴らしく家庭的な部屋だねえ。T兄さんも幸せだ、はっはっは」
 Kさんは、夫に向かって何度も深くうなづきながら語った。
 T兄さんと呼ばれた夫は失笑し、「おかげさまで」と深々と頭を下げた。

 「でもねえ、T兄さんの『婿入り道具』の、
カセットテープやらプロレス雑誌やらが膨大な量でねえ。
2DKだとちょっと狭くて」
 私が夫に聞こえよがしに言うと、夫は、
「あんたの本だって多いでしょうよ」
と私に言った。
 するとKさんは、
「まあまあ、ご両人、喧嘩しないで、仲良く仲良く」
と、私と夫に向かって両手のひらを向け、
まあまあまあまあ、という仕草をした。
 「いやいやいやいや別に喧嘩してないけど」
 私が言うと、
「喧嘩するのは仲いい証拠。夫婦喧嘩は犬も食わないってねえ、
ははははははは、幸せだ、ああ、幸せだ。ははははは」
とKさんは言う。
 「いや、だから喧嘩してないのよ」
 私が更に慌てて言うと、夫は目で
(まあ、いいじゃないの)
と私に向かって笑ってうなづいて見せた。

 「ま、ともかく部屋が狭いんで、もうひと間欲しいんですよ」
 私が話を元に戻すと、何を思ったかKさんは、

「ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」

と、恐ろしくキラキラと潤んだ瞳で私の方を見つめ、
深く深く深く、何度もうなづくのであった。
 
 「は? なにか・・・・・・?」
 (私は、また何か失言してしまっただろうか?)
 一瞬考えた。

 Kさんは大きく深呼吸すると、
「もうひと間欲しい。リカちゃんはもうひと間欲しいんだ。
そうかそうか! それが今の、リカちゃんの【夢】なんだ〜っ!」
と、大きな声で言い放った。

 はあっ???

 わたしゃ、そんなチンケな夢を抱いた覚えはなかった。
 しかし、Kさんのキラキラの瞳には、
『新婚の私のちっぽけな夢は、もうひと間増えること!』
と言う可愛い新妻が映っているのであった。
 古き良き時代のテレビドラマに出てくるような典型的な新妻像に、
私を・・・・・この私を無理矢理押し込めてゆくのだった。
 
 「そんなことないよ」
と私は言い返したかったが、Kさんの100万ボルトの笑顔は、
そのひと言を難なく跳ね返し、更に、
「照れちゃってまた〜、憎いよ、このこのっ!」
と、駄目押ししてくるのだ。

 決め付けだっ!

 私は、ムキになってたくさん言い返そうとしたが、
【ささやかな夢を抱く新妻】という【濡れ衣】を着せられ、
ただ口をぱくぱくとさせるだけで、何も言い返せなかった。

 その一部始終を見ていた夫は、
ザマアミロとばかりゲラゲラと大笑いして、
「そうかあ、それがリカちゃんの【夢】なのだねっ!」
と、ここぞとばかりからかってきた。

 うぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・・・・

 これはかなり衝撃的な出来事だった。
 私の人生において、トップ3に入るくらいの屈辱だった。

 Kさん、恐るべし。
 その笑顔、その価値観、その固定観念!
相手の急所を刺す武器として不足なし!

 去年だか、おととしだかのKさんからの年賀状には、
Kさんの写った写真が印刷してあった。
 アジアのどこかの国のバーで、
外国のセクシーなお姉さんたちに囲まれるKさんは、
なぜか薄化粧などして 更に照りの強くなった笑顔を
カメラに向かって発射していた。

 射抜かれた。
 また元旦から彼に胸を射抜かれてしまった。
 ああ、Kさんの笑顔。
 何度も言うが、恐るべし。


               (了)


                        (こんなヤツがいた)2003.1.7.作あかじそ