しその草いきれ 「生きる覚悟」

 生きる覚悟を決めるということは、
死ぬ覚悟よりも難しいことなのではないか、と思う。
 気分転換の方法を取得していたり、
はなからリラックスして生きている人には
まるでわからないことかもしれないが、
まじめで不器用な人間にとっては、案外必要な覚悟だったりする。

 先日、しっかり者の義母が脳出血で倒れた。
 今は命の危機を脱してICUを出たが、
左側の脳の一部が破壊されてしまって
右手右足、言語に障害が残る可能性があるという。
 義母がすべて取り仕切っていた家は、
どこに何があるのかさえわからなくなり、
貯金の額も保険の書類の場所も何もかも、
全然わからなくなってしまった。
 義母はリハビリで少しづつ回復して、元の生活に復帰してくれるとは思うが、
それにしても、あのまま逝ってしまったら、
あの家はどうなってしまうのだろう。
 しかし大体、どこの家でも同じようなものだろう。
 おかーちゃんが急にいなくなってしまったら
家はいきなりどうにもこうにもいかなくなってしまうものだ。
 
 義母は、今までの人生、人の世話ばかりしてきたが、
これからは、その人たちの世話になりながら生きていくことになるだろう。
 人の世話になりたくない、と思っても、
やはり老いたり患ったりしては、人の世話にならなくてはならない。
 いや、普通に生きていても、誰かしらの世話になり、
迷惑をかけながらでないと人は生きられないのではないか。
 完璧で綺麗に生きようと思っても、
やっぱり人は誰かしらに迷惑をかけてしまう。
 でも、それを恐れてはいけないのだろう。
 生きるということはそういうことで、
生まれてしまったからにはみんなに迷惑をかけるし、
みんなから迷惑をかけられる。
 でも、生きるということはそういうものなのだから、
それを嘆いたり怒ったりするのは、
生きる覚悟ができていないことなのだろうと思う。
 
 私も、その覚悟ができていないひとりだが、
昨晩、突然、その覚悟が少しできたのだ。
 今年に入って大好きな人たちが立て続けに3人も亡くなり、
しかし一度も泣けなかったのだが、
3歳の子供を寝かしつけていたら、突然泣けてきた。
 そして、突然、生きる覚悟が沸いてきたのだ。

 私の大好きな人たち。
 その人たちも私のことを好きでいてくれた。
 でも、もう会えない。
 会って、私の思っていることを聞いてくれたり、
それに答えてくれたり、ということができなくなってしまった。
 そこにもう、居なくなってしまった。
 頭では完全に理解していたが、でも―――。

 淋しい淋しい淋しい。

 でも、彼らは生きた。
 もう生きたのだ。
 
 しかも、私の大好きなその人たちは、みんなどの人も、
人並みはずれたマイペースで、そのため、
好かれてもいたし、困られてもいた。
 でも、生きるのが終わったあと、やっぱり彼らは
みんなに愛されていたのだ。
 
 私も、なにも遠慮することはないではないか。
 人を困らせるくらいに自分らしく生きたらいいのだ。
 何も悪いことをするわけではない。
 ただ、羽を伸ばして生きるだけだ。
 寝たきりになっても、イマワノキワになっても、
人に迷惑を掛けりゃあいいのだ。
 その代わり、人からの迷惑も甘んじて受けよう。
 我慢できないほどの迷惑は、はっきりと拒絶し、
愛すべき迷惑は笑って受けてやろう。

 さっぱりと生きるには、
人にかけられた迷惑を笑ってバッサバッサと解決し、
自分がかけた迷惑には、
これまた笑ってごめんなさいと言おう。
 それが私なりの生きる覚悟だと思った。

 
 昨晩、学校に上がったばかりの三男の字がうまいとほめていたら、
そばにいた長男が泣いてしまった。
 自分はいつもがんばっているのに、
常にがんばり続けているのに、
学校では何も賞状をもらえない、誰も認めてくれない、と。
 私は、憂鬱になったが、
長男の肩を抱いて諭してみることにした。
 
 「お父さんががんばって仕事をしたり、
お母さんががんばって子供を産んで育てても、
誰もほめてはくれないし、賞状なんてくれないよ。
 でも、泣きながらでもがんばって生きてるんだ。
 本当にがんばっていることには、誰もほめてくれない。
ましてや賞状なんてもらえない。
 でも、お父さんとお母さんはがんばらずにはいられないよ。
 だって、それが生きるということなんだもん。
 もし、誰もほめてくれなかったら、
自分でほめるしかないじゃない。
 自分のことは自分が一番かわいがってあげなくちゃ」

 そう言っていて、私は自分が言われているような気になってきた。
 私は長男のことはわかるのに、
自分のことはまるでわかっていなかったのだ。

 とても簡単なことだけど、なかなかできない生きる覚悟を、
みっともなくても生き続ける覚悟を、
決めることができれば、
何があっても死ぬまではまず大丈夫だ。


                      (了)



          (しその草いきれ)2003.5.20.あかじそ作