ただ生きる

 中年になってきて、
だんだん素直でなくなってきているせいか、
「ここぞ」というお涙頂戴シーンでは
私の涙腺はかたくなに水気を催さなくなった。
 しかし、
「なぜこのシチュエーションで?」
というシーンで、涙が湧き出てきてしまう。
 
 徒競走で転んでビリになった子に
大きな拍手で歓声を送る大勢の大人たち。

 声を張り上げて歌う子供の声。

 赤いランドセルを並べて
たて笛を吹きながら帰る小学生女子ふたり。

 小さな孫を自転車に乗せて
ゆっくりとペダルを漕ぐおじいさん。

 無口に淡々と働く、ゴミ収集車のおじさんたち。

 小さな庭の雑草に
笑顔で話しかけながら水をやるおばさん。

 水槽の中、
フィルターポンプに吸い込まれて困っているドジな金魚。

 ・・・・・・どれも全然ドラマティックではないのに、
なぜか私の胸の奥に発生した熱い火の玉が
喉に向かってぐりぐりと上ってくるのだ。

 感動してしまうのだ。
 「ただ生きている姿」というものに。

 弱い私は、
いつも自分の不安を打ち消そうとして
何か確実なものを探して
もがいてばかりいるけれど、
ふと目に映る彼らは、ただ生きている。

 「ただ生きる」ということの単純さ。
 しかし、それは強い人にしかできない凄いことだ。

 私も、ただ生きたい。

 ただ生きる姿は美しい。
 みっともないことはみっともないままに、
哀しいことは哀しいままに、
幸せは包み隠さず。

 私は自分に問う。

 今、自分は生きているか、と。
 死んでいないだけではないのか、と。


                 (了)
(話の駄菓子屋) 2003.11.4 あかじそ作