「 くちゃくちゃラーメン 」

 幼稚園のころ、真由美ちゃんという
コロコロと太っておっとりした子と友だちだった。
 真由美ちゃんのうちは薬局で、
カリカリにやせたお父さんとたっぷり太ったお母さんが
いつも白衣を着ているのだ。

 私が真由美ちゃんの家に遊びに行くと、
いつも店の奥の茶の間に通された。
 真由美ちゃんのお父さんは、
いつも真由美ちゃんと真由美ちゃんのお兄ちゃんに
茶の間のテーブルで勉強を教えていた。
 お兄ちゃんも、
真由美ちゃんや真由美ちゃんのお母さん同様、
コロコロと太り、にこにこぼんやりしている子だった。
 兄弟揃って前髪がオンザ眉毛の坊ちゃん刈りで、
五月人形みたいな顔をしていた。

 私が行くと、
「今うちの子たちは勉強中だから」
と言って、真由美ちゃんのお父さんは
勉強が終わるまで私をそこで待たせた。
 カリカリのお父さんは見るからに神経質そうで、
勉強の邪魔となる私の訪問を
明らかに迷惑がっていた。
 私の母がこの薬局の常連客でなかったら
即刻追い返されていたのだろうが、
そこは商売者のつらいところで、
イライラしながらも私を茶の間に通すのだった。

 その日は確か土曜の昼時だったか。
(なぜご飯どきに子どもを人の家に遊びに行かせるのだろう、
わが母よ)
 真由美ちゃんのお父さんは相変わらずイライラしながら
お兄ちゃんに
「こんな簡単なことがわからないのか、お前は」
とキーキー言っていた。
 その横で真由美ちゃんはそろばんの練習をさせられていて、
指にゴムサックをはめて伝票算をしていた。
 私は真由美ちゃんと一緒にそろばん塾に入ったものの、
まだ4級だった。
 3級以上でないと伝票算ができないので
私は真由美ちゃんの指サックが非常にうらやましかった。

 「指サック、かっこいいなあ」

 私が声に出して言ったので、
真由美ちゃんのお父さんはイライラし、妙にゆっくりと
「静かにしていないとダメだよね、リカちゃんねえ」
と言った。
 暇を持て余した私は、今度はチラシの裏に
「仮面ライダー」と漢字交じりで書いて、
「おじさん、私、漢字書けるの」
と言って真由美ちゃんのお父さんに見せた。
 お父さんは、一瞬「何っ!」という顔をして、
乱暴にそのチラシを取り上げてそれを見た。
 しかし、次の瞬間、口の端を歪ませて笑い、
「リカちゃん、残念ながらこれは違うのよー、
これじゃあ、『面仮ライダー』でしょう?」
と勝ち誇ったように言った。

 「お腹すいたよねえ!!!」

 唐突に流しの前の真由美ちゃんのお母さんが
朗らかな大きな声を出す。

 「もうすぐご飯できるからねーっ!」

 そうなのだ。
 この家に昼時に行くと、必ず、かなっっっらず、
インスタントラーメンが出た。

 ラーメンが出来上がると、
茶の間の勉強道具は、一旦ばたばたと片付けられ、
いくつものどんぶりが並んだ。
 食事が始まると、この一家はいっさい口をきかなくなる。
 そして、静かな食卓に、複数の
「くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ」
という噛む音が響き渡る。

 彼らは一口麺を口に入れると、
とにかくいつまでも無言で噛んでいる。
 真由美ちゃんのお母さんは、
「よく噛んで食べると栄養になるのよ」
と言い、
お父さんは、
「よく噛んで脳に刺激を与えるんだぞ」
と言った。

 栄養ったって・・・・・・インスタントラーメンでしょう?
しかも何も具の入っていない・・・・・・

 幼いながらも私は、この家のおかしさに気付いていた。

 真由美ちゃんのお父さんは、子供たちを「てんさい」にしたい。
 お母さんはラーメンを栄養だと言う。

 そして、みんなで何かの儀式のように
ラーメンを物凄く良く噛んで食べる。

 お父さんがあんなに必死なのに、
まるで緊迫感がなく、ただ従順に従う太った子供たち。

 6歳の私は、彼らの顔を順番に見比べながら、
やはりラーメンを食べていた。
 「もっとよく噛まないと馬鹿になっちゃうのよ」
と真由美ちゃんのお父さんに叱られながら、
あくまで噛まずにラーメンをすすった。

 だって、ラーメンをそんなに噛んでも美味しくないし、
栄養もなさそうだし、
そんなにヒーヒー勉強したって、
ちっとも「てんさい」になりそうもないんだもの。

 30年経った今でも、
まだ耳に残っている、あの一家四人の
「くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ」の音―――。

 変なうちだったなあ。
                  

 (了)

   (こんなヤツがいた) 2004.1.13. あかじそ作