「 スポンジ 」

 うちの子供たちは、私の影響もあり、
お笑いが大好きだ。
 先日購入したドリフの「全員集合」のDVD3枚組を
擦り切れるほど繰り返し見て、
毎回同じところで大笑いし、
まるで30年前の子供のように
「シムラ〜! 後ろ、後ろ!」
とモニターに向かって叫んでいた。

 「クレヨンしんちゃん」も好きで、
映画版がテレビで放送されるときは必ず録画し、
その後、連日連夜、ずっとそのビデオばかり見ている。

 夫が借りてきた「少林サッカー」のDVDも
エンドマークが出るとすぐにまたスタートさせて
頭から見始めていた。

 子供の記憶力は物凄いものがあり、
細かいセリフから微妙な表情まで
何から何まで覚えていて、空恐ろしいほどだ。
 四人の息子たち全員が
「マダムヤ〜ン♪マダムヤ〜ン♪」
などの、懐かしすぎるギャグをしょっちゅう言い放ち、
クレヨンしんちゃんの登場人物について、
自分の友だちのように語っている。

 何が一番恐ろしいって、
最近子供たちのキャラが変わってきているのだ。
 あんなに神経質だった長男や三男が、
ことばの端々にギャグを挟み込んでいるし、
何に対しても確実に「落ち」を求めている節がある。

 大人にもその傾向はあるのだろうが、
子供は特に、今ここにある刺激に対して
ガップリ四つに組んでしまい、
もろ影響を受けてしまう。

 モニターの中に意識が入り込んで、
スポンジのようにそのエキスを吸い取り、
一時的にその世界の人間になってしまうのだ。

 今まで私は、
「青少年に悪影響を与える本や映像を、
子供から遠ざけましょう」
というような運動に対して、
「過保護なんだよ、今のPTAは!」
と思っていたが、
今は賛成だ。

 まっさらな子供の心に向かって、
大人が意図的に吐いた青紫の毒を吹きつけることは、
犯罪なのではないか、とも思い始めた。
 そういう大人同士で楽しむ毒や媚薬で
子供はアタッてしまうのではないか。

 最近起きた小学6年生女子の同級生カッター殺人も、
そのときハマっていたR指定の映画の
影響がないはずがない。
 加害女児の生育環境を調べるのもいいけれど、
思うにきっとそれは、
「今の日本の普通の家庭」だろうと思う。

 「今の日本の普通の家庭」って?

 お父さんの仕事は不景気で、
お母さんは家計を助けるためにパートに出て、
みんな忙しくて、
みんな疲れていて、
子供は大人の生活の隙間で
わけも分からず怒鳴られたり、
突然泣きながら抱きしめられたり、
祖父母のエゴ的な愛情の対象にされたり、
誰も居ない家でひとりで
コンビ二のおにぎりを食べたりして、
 親戚にたらい回しされる
親を亡くした子のような状態になっている。

 今の日本の家庭では、
これは特殊な話ではなく、よくあることだ。

 あるいは、
子供に可哀想な思いはさせたくない、と、
ひとりの子供に対して、
父親・母親、
父親のジイジバアバ、
母親のジイジバアバなどが総動員で
「子供が満足する状態」をキープし続ける。

 花に水をやらないと枯れてしまう。
 水をやってるだけでも枯れてしまう。
 水をやりすぎても、根腐れを起こして枯れるのだ。

 みんな「花」を見ているのか。
 自分が「花」に癒されることばかりを求めて、
「花」を愛することを忘れてはいないだろうか。

 忙しすぎる毎日に
親は疲労困憊し、
祖父母は暇を持て余し、
子供は固いオシャレな椅子に座っている。

 こんな生活、みんな楽しいのかな。
 この息苦しい暮らしの中で、
心が病気にならないように頑張るエネルギーを、
もっと他に回せないのかな。

 朝起きて、
ご飯食べて、
働いたり、勉強したりして、
人と触れ合って、
笑ったり、怒ったり、また笑ったりして、
またご飯食べて、
寝る。

 本当にシンプルな暮らしに
みんなで戻れば、
大人も子供も、複雑なエネルギーを使わずに
気楽に暮らせるだろうに。

 「人並み」だったり、
「普通」だったり、
「平凡」だったり、
「中流」だったり。
 それは、一体何の保険になるのだろう。

 大人たちが必死になって
「そのちょうど真ん中」の暮らしをめざし、
今、どれだけの子供が
「人並み」や「普通」や「平凡」や「中流」の意味を
学習する機会を失っただろう。

 全員が「人並み」で「普通」で「平凡」で「中流」だったら、
同時に全員が「異端児」になる。

 病んだ大人が作った、
病んだ社会に殺されるのは、
子供や年寄りなどの弱者ばかりなのか。

 大人本人もまた、
生きながら死んでいるのではないのか。


         (了)

   (しその草いきれ) 2004.6.8. あかじそ作