「 ガラス屋さん 」


 今年の夏休み、猛暑のさなかに、
我が家は、家族でどこかに出掛けるわけでもなく、
家で各自好き勝手に過ごしていた。
 夫は、お盆の帰省期間中しか休みが取れないし、
私ひとりで子供たちを
ぞろぞろとどこかに連れて行くのも
かったるかったのだ。

 我が家のエアコンは故障中で、
新しいものを買う余裕も無かった。
 したがって、家の窓という窓は全部開け放たれ、
むんむんのお茶の間で
壁掛け扇風機が最強でブンブン働いていた。
 窓の外に立てかけた大きなよしずは、
直射日光を遮り、
一気に涼しくなる夕方の打ち水は、
一日の楽しみにもなっていた。
 我が家は、完全に平成の世とはかけ離れた、
古き良き昭和の夏であった。

 もう、家族はみんな、
いい加減この厳しい暑さに慣れてしまい、
実家の援助で新しいエアコンが導入されても、
その不自然な寒さに
すぐにスイッチを切ってしまうようになっていた。

 まあ、慣れたとは言っても、
熱中症で何人も亡くなるほどの暑さだ。
 いくら昭和の感覚を持つ家族といえども、
平然とはしてられない。
 子供たちはみんな
一日中イライラしてケンカ三昧だし、
そのケンカを朝から晩まで仲裁している私も
イライラが限界まできていた。

 そして、三男が長男をぶん殴り、
長男が三男を蹴倒して、
四男にぶつかって倒れ、
それを見た次男が
長男と三男を突き飛ばして、
次男と三男が髪を引き抜き合い、
四男が狂ったように泣きわめいて、
もう何が何だかわからなくなり、
場外乱闘状態になったとき、
私の理性は完全にブチーン、と切れてしまった。

 「ンがあああああああああああああああ!!!!」

 私は、手元にあったビデオテープを
思い切り投げた。
 それが、上手い具合に障子の隙間をすり抜け、
バッリ〜ン、
と見事茶の間のガラスが割れた。

 ガ〜〜〜ン!

 子供たちは、一瞬静まったが、
ケンカの会場を親の居ない2階に移しただけで、
相変わらずであった。

 私だけが、ただひとり、
泥のような気分で
自分で割ったガラスを始末していた。
 そして、以前来てもらった
おじいさんのガラス屋さんに電話をして、
7000円で直してもらった。

 宝くじを買おうと思って
コツコツとへそくっていたお金が、
自分の粗相で一瞬で消えた。

 あ〜あ!

 その夜、9時になって、
「おやすみ〜」
と子供たちが2階に上がっていった直後、
バッリ〜ン、
と、またガラスの割れる凄い音がした。
 2段ベッドの重いハシゴ階段が
窓ガラスに向かって倒れて、
見事コッパミジンに大きなガラスを割った。

 恐縮しまくる子供たちを前に、
「いいから離れていて。怪我するよ」
と、力無い声でなぐさめながら、
今日二回目のガラス処理をした。

 急場しのぎのダンボールを貼り、
翌朝、またいつものガラス屋さんに電話をすると、
「そいつは、気の毒に・・・・・・」
と、おじいさんも同情の声を上げた。

 結局、そのガラスは大きいということで、
直すのに12000円かかった。
 サッシを外し、
ガラスの破片を撤去しているおじいさんの周りを、
うちの4人の悪ガキがグルグルグルグル回り、
ヒャッホヒャッホしているのを見て、
おじいさんは、ひとこと、

「もう少しの我慢だよ、お母さん」

と、なぐさめてくれた。
 そう、夏休みは、
もうすぐ終わろうとしていたのだ。

 この不景気な中、
おじいさんにとっては、
ウチは本当にいいお得意さんだと思うが、
あまりの頻繁な「お呼び出し」に、
気の毒がられてしまった。

 それから2日後、
何かクッダラナイことでぶちギレた三男が、
子供部屋で暴れていた。
 「あ、またヤッチマウ!」
と予感した直後、
バッリ〜ン、
と聞こえた。

 (イヤ〜〜〜〜〜ッ!!!!!)

 すぐに駆けつけると、三男は、
今まで狂ったように暴れていたにも関わらず、
「ごめんなさい〜〜〜〜〜!!!」
と、号泣し始めた。
 「もういいよいいよ」
とみんなでなぐさめても、
「ぼくの残りのお年玉で払うから〜!!」
と、大パニックだった。

 もう、笑うしかなかった。
 電話番号も記憶に新しい、
いつものガラス屋のおじいさんに、
またまたまた「カモ〜ン」コールをして、
来てもらった。

 おじいさんは、修理を済ませ、
私から8000円を受け取りながら、
「本当に悪いねえ・・・・・・」
と申し訳なさそうに帽子を取って
頭を下げた。

 「こちらこそ、連日お呼び出しして・・・・・・」
と、私も頭を下げた。

 「最近不景気で」
と作業をしながら
何度かもらしていたおじいさんだが、
さすがに貧乏人の子だくさんから
1万円前後を連日受け取るのは、
忍びなかったようだ。

 くしゃくしゃの千円札や、
貯金箱の小銭をかき集めて支払う私に、
おじいさんは、
「もう少しだからね」
と、苦笑しながらうなづいた。

 夏休みがもう少しで終わる、
という意味ではなく、
もう少しで子供たちは、大人になって、
あっという間に、
家からどんどん離れていくんだよ、
という意味のようだった。

 そう気付くと、
連日の兄弟喧嘩やガラス破壊も、
未来からみた
ノスタルジックな出来事のように思えてきた。
 割れたガラスを包んだ新聞紙も、
セピア色の写真の中の景色のように見えてきた。

 ガラス屋さんに電話をすると、
いつも何十コールも待たされた挙げ句、
おばあさんが出て、
とつとつと取り次いでくれる。
 老夫婦2人で営む小さなガラス屋にも、
かつては、
やんちゃで手がつけられない息子たちがいて、
そして、今は、もうそばに居ないのだろう。

 ツッカケで表に走り出て、
夕焼けの中、走り去るガラス屋さんの
軽トラックの後姿を見送ると、
涼しい夕方の風が
汗に濡れた私のTシャツを少し揺らした。 

 ガラスがいっぱい割れて、
お金がきれいさっぱり無くなっちゃったけど、
何だか、素敵な晩夏に感じられる。

 形あるものはみな壊れる。
 子は育ち、親から巣立つ。
 親は年をとり、そして居なくなる。
 今あるものは、
いつまでもここにあるわけではなく、
物は動いて、人は流れる。

 子供たちをファミレスに連れて行ったり、
宝くじを買うはずだった私のヘソクリは、
ガラス屋のおじいさんとおばあさんの
今晩のおかずに変わり、
また、遠くに住む孫への
お年玉にでもなるのだろう。
 それはそれで、素敵じゃないか。

 私は、すがすがしい気分で、
軽くスキップしながら家へと向かうと、
唐突に、家の方から
バッリ〜ン、
と音がした。

 う〜。



       (了)


(子だくさん) 2005.2.15. あかじそ作