「 39歳のチャレンジ 3 」

 中学の役員選びでは、案外早く立候補者が出て、
あっという間に決まってしまった。
 その晩、地域の集会所で行われた中学校地区委員選出では、
なかなか立候補する人が現れず、
夜7時半から8時半まで、じりじりとした時間が流れた。
 家に子供たちだけを置いてきているのも気になってきて、
「妊婦だけど、楽な役員だから引き受けちゃおうかな」
という気持ちも湧いてきたが、
その場の「しーーーん」という空気は、
「私が」と手をあげにくい雰囲気で、だれもが口をつぐんでしまっていた。

 司会をしていた去年の役員が、
「では、どうしても今年引き受けられないという理由がある人は、
今、ここで発表してください」
と言った。
 私は、心の中で「今言え」「今しかないぞ!」という
自分の声に背中をぐいぐい押された。
 しかし、その場のメンバーは、いつも私を見れば
「その腹の中には、次の子が入っているんじゃないの?」
「避妊なんてしたこと無いんじゃないの?」
という目で、私の腹ばかりを見る人たちなので、
どうしても「はい、そのとおりで〜す」という感じの
思うツボにはまるのは、とても抵抗があった。 
 で、うう、うう、とうなりながらその場で困っていると、
「じゃあ、みなさん、引き受けられない理由はありませんね」
と司会に念を押され、ますます私のうなり声は大きくなってしまった。

 出産予定日前後は、中学の体育祭があり、
役員は、学校の周りの不法駐車の車を、
ひとり20分という割り当てで順番に取り締まる仕事がある。
 その時期に生まれるか生まれないかという際どい状態になるのを
事前にわかっていながら、この役員を引き受けるとなると、
当日いきなり仕事をドタキャンすることも覚悟、ということとなり、
かなり無責任なことだと思う。

 (よし、ちゃんと断らなければ)

 みんなに
「ええ〜〜〜、やっぱり!」
というリアクションをされることを覚悟し、
大きく深呼吸して
「私実は・・・・・・」
と言おうとした瞬間、
「私、やります」
という声が遠くから掛かった。

 一気に力が抜け、物凄く疲れた。

 夜9時近くなって家に帰ると、
子供たちは自分たちだけで、とっとと風呂に入り終わっており、
濡れた髪と湯気をたてた体で、口々に
「お母さん、お帰り!」
「遅かったねえ!」
と言った。

 そうか、役員選出時に、この妊娠を告げてしまったら、
すぐによそから耳に入ってしまうだろうから、
今日この日に私の口から子供たちに妊娠を報告しようと思っていたのだ。
 予想に反して、妊娠を発表しないで済んでしまったので、
子供たちに言うにも、何だかキッカケを失ってしまった。

 結局私は、子供たちには言えなかった。
 今日この時点でも、まだ言ってない。
 「お腹に赤ちゃんがいると、『ツワリ』というものがあって、
こんな風に女の人は大変になるんだから、
将来、妊娠中の奥さんを大事にするんだよ」
という教育をしようと思っていたのに、
なぜか、私は、言えないでいる。
 万が一、私が流産や死産をしたとしても、
「妊娠しても、こういうこともあるんだから、
今ある自分の命は、たくさんの幸運の上に成り立っているんだよ」
ということを教えようとしていたのに、
私は、ただ、口をつぐみ、何度もマバタキするばかりだ。

 なぜなんだ?

 私自身、この新しい命に対してまぶしがってばかりで、
とてもじゃないが、この妊娠を
上の子たちの教育の道具に使おうという気が起きないのだった。

 次回の産科検診は、妊娠4ヶ月中旬の5月2日だ。

 もし、この日、経過が順調であることがわかったら、
これをきっかけにして、子供たちに言おう。
 というか、まだ3ヶ月だというのに、めちゃくちゃ腹が出てきている。
 言わなくても、今にも充分バレそうなのだ。

 いつも大きな茶碗にご飯を山盛り食べる母親が、
ほんの一口しか食べなかったり、
嗜好の変化で、いつもは食卓に出ないようなおかずばかりが並んで、
子供たちも「なんか変だぞ?」とは、感じていると思う。
 食後は、いつもうなりながら、すぐに横になってしまう母親に、
「お母さん、具合悪いの?」
と、聞かれることもある。

 しかし、私は、
「ダ〜イジョんブだ〜」
と、いまだギャグで返している。

 しかし、空腹時に余計におえおえになる状態で、
大量のこってりしたおかずを作るのは、かなりつらい。
 先日、もう完全に食欲というものが消え、
ひとつも献立なんて思い浮かばない状態で、
夫に、「なに食べたい?」と聞くと、
夫は、思いっきり、「チンジャオロースー」と言い放ち、
子供たちもそれを聞きつけて、
「チンジャオロースー」「チンジャオロースー」
と、連呼しはじめた。

 結局私は、何度もエヅキながら、
6人分のこってりしたチンジャオロースーを作った。
 その後、夫も子供たちもすっかり中華にハマッてしまい、
事あるごとに油っぽくて辛くて腹にどっぷりたまるものを
リクエストしてきて、かなりしんどかった。

 においで酔い、味で酔い、油で酔う。

 私も食い意地が張っているものだから、
げろげろ言いながらもしっかり食べてしまい、
後で何時間も気持ち悪さが続くのだ。

 そのくせ、「吐く」ということもできない体質で、
一度摂取したものは、死んでも排出するものか、
という、貧乏臭い体質なものだから、本当に困ったものだ。

 肉や油もの、油の多い魚などを食べると気持ち悪くなり、
かんきつ類が無性に食べたくなる。
 かんきつ類を食べ過ぎると、
今度は、こってりしたたんぱく質が欲しくなる。

 これはきっと、東洋医学的な観点で言うと、
肉や魚などの陽性の食べ物を食べすぎると、
バランスを取ろうとして陰性のフルーツなどが欲しくなり、
体を冷やす陰性に体がかたよると、
中庸に戻そうとして、今度は、体を温める陽性のものが欲しくなる、
ということなのだろう。

 一番バランスがいいのは、玄米などの穀物で、
体を中庸に保ってくれるから、体調も落ち着くらしい。

 ここのところ、食事のメニューもワンパターンで、
大皿一品料理に終始していたので、
この妊娠をきっかけにして、ちゃんと健康な食事作りを心がけようと思った。

 いつも、健康バカというか、なんと言うか、何を食べても
「うめ〜〜〜!」
と思ってしまっていたが、ツワリで食べ物に敏感になっている今だからこそ、
気を引き締めて食べものを選ぼうではないか。

 ・・・・・・と、良妻賢母っぽいことを考えていたところ、
いきなり父が、
「みんな、回転寿司いぐど〜〜〜!」
と突然うちにやってきて、
私と子供たち4人を連れ出した。
 父は、何を思ったか、
「おう、おね〜ちゃん、イカ食えイカ食え」
と、モンゴウイカやら、イカゲソやら、ヤリイカやら、
イカばかりを何十皿もテーブルいっぱいに取りまくり、私に勧めた。
 当の自分は、数皿しか食べず、
人の都合も考えないで、なぜかイカばかりを人の前に並べてくる。

 誰だ、「妊婦にイカがいい」なんていうガセネタをコイツに仕込んだのは!

 貧乏性で食べ物を残すことができない私は、
ある程度までは「うまいうまい」と食べていたが、
その運命のイカゲソを口に入れた瞬間、
何とも言えない憂鬱感が胸の中に漂い、
なかなか飲み込む事ができなかった。
 しかし、一度口に入れた物を出すことが、やはりできない私は、
強引に飲み込んでしまった。

 すると、胸の中の憂鬱感は、確実に内臓一杯に広がり、
数十年ぶりに「嘔吐」の予感が襲ってきた。
 子供たちと父の楽しそうな話し声が
だんだん遠くに聞こえるようになっていき、
眠気に似たぼんやりした意識に陥り、
脂汗が全身ににじんできた。

 気持ちわる・・・・・・

 私が運転してきたので、この状態で帰るのはまずい。危ない。
 私は、「ちょっとトイレ」と言い残し、
トイレに行って夏でも常に着用している腹巻をまず脱いだ。
 ああ、腹に少しの余裕が生まれる。
 そこで、安心しておしっこをしようと便器にまたがると、
突然、ごぼごぼごぼごぼ、と、胃から凄い轟音が聞こえてきた。

 「やばい! くるぞ! 数十年に一度の稲村ジェーンが!」

 私は目にもとまらぬ速さで尻をぬぐい、
クルッと回って、便器に顔を突っ込んだ。
 「おえ〜〜〜〜〜!!!!!」

 (ん・・・・・・んん?)

 私の想像では、
恐るべき量のイカの大群が便器に放たれ、
一気に気持ち悪さから解放されるはずだったが、
 意外にも私がもどしたのは、緑色の泡だった物質が少しだけだった。

 (はあっ?)

 この期に及んで、何をケチるや、わが肉体!
 なんと、イカなどカケラも出さず、発酵したワサビだけを出しやがった。

 しかし、それでも、多少すっきりし、
何食わぬ顔で席に戻って、車を運転して家に帰った。

 ああ、貧乏性のツワリシーズンは、つらい。
 ああ、食べ盛りの子供たちを持つゲロゲロ状態はきつい。

 わけのわからない父親を持つ娘は・・・・・・ああ、ツライ!


        (つづく)
(子だくさん) 2005.4.26. あかじそ作