薫さん 105100キリ番特典 / お題「こだわり」 「これだけは譲れないもの」
「 こだわり 」

 「こだわり」とは、
「これだけは外せない」的な使われ方をしていることばだが、
本来、あまりいい意味のことばではないそうだ。

 スッと通り過ぎて行くべきところを、
つまらないことにひっかかって、
いつまでもグジグジと
そこへ留まっているようなことを意味するらしい。

 そういう意味では、
私には、まったくグジグジしたところがなく、
こだわらないタイプかもしれない。

 若い頃は、
「親はこうあるべき」とか、
「これはこうあるべき」とか、
いちいち理屈で考えて、こだわっていたが、
物に対しても、人に対しても、
こだわった分だけ不毛な疲れをともなうことを身をもって知り、
もう、ほとんどのことに関してこだわりは捨てた。

 それでも、
「アイスならバニラ」
「ほか弁ならのり弁」
「そば屋ならカレー南蛮のうどん」
「酒なら手酌の熱燗」
など、自分の中でちょっとした決め事は、ある。
 しかし、人に
「ここのストロベリーアイスはうまいよ」
と言われれば
「じゃあ、それ食べてみるか」
となるし、
「まあ、一杯いこう!」
と、ビールをつがれれば、
「お、ありがとよ! く〜、うめ〜!」
と素直に思う。

 こだわりが前ほどかたくなではなくなって、
単なる「好み」程度になってきている。

 で、そうなることによって、
若い頃より、物凄く生きていてラクになっている。

 しかし、これだけは譲れない、ということも、
いまだ厳然としてあったりもするのだ。

 それは、たとえば、「筋」というやつだ。
 カッコイイ言い方をすれば、「モラル」ともいう。

 自分の子供だろうが、人の子供だろうが、
悪いことをしていたら、迷うことなく「コラ」と言う。
 親が子供を、子供が親を、
殺してしまうような事件をニュースで見れば、
突如激怒して「バカヤロー!」と叫び、
そこへ行くまでの行程を思い、おんおん泣く。

 困っている人は助ける。
 弱っている人には、寄り添う。
 威張っている人には、立ち向かい、
喧嘩を見たらまず止める。

 これは、人によっては「偽善行為」なのだろうが、
私にとっては、「本能的行動」なのだ。
 「これをすることによって誰かに評価してもらおう」なんて、
考えたことも無い。
 考える前に体が勝手に動いている。

 江戸っ子は、
「筋の通らないことは、デエキレエ(大嫌い)」なのである。

 かつて、祖母が戦時中、
自分の家族も食うや食わずなのに、
「ほたるの墓」に出てくるような戦災孤児たちを、
上野の山から家に大勢連れて来て、
ご飯を食べさせたり、
身の回りの世話をしてやったりしたことを、
母から聞いた。
 そういうことを当たり前にやり、
誰にも自慢しなかった祖母を、
私は、誇りに思う。

 そして、その血が自分に流れていることを、
自慢に思う。

 IT長者も、ホームレスも、
芸術家も意地悪姑も、
正義の味方も極悪人も、
みんな、
生まれて、生きて、死んでいくことには変わりないのだから、
せめて、自分が自分を見て、
「美しいと思える生き方」をしたいものだ。

 それは私にとっては、
「筋」を通すことであり、
つまり、「粋」な生き方なのだ。

 人から見たらどうかなんて、問題ではない。
 人生の美学の問題だ。

 な〜んて、カッコつけて豪語しているが、
人から見たら、これをただの「おせっかい」とも言うらしい。

                 
                      (了)

(話の駄菓子屋)2005.11.1.あかじそ作