ならんひーたさん 108600キリ番特典 / テーマ「もちもち」
「 針金母と布母 」

 アカンボに乳をやっていて、ふと、あることを思い出した。

 結婚前後、精神的に参っていたこともあり、
大学の通信教育学部に入りなおして、
心理学を学んでいたことがあった。

 そのとき、児童心理学か発達心理学の授業で、
「アカゲザルの実験」というのを習った。
 その内容とは、こういうものだった。

 アカゲザルのアカンボの前に、
二つのダミーの母猿を置く。
 ひとつは、針金で母猿の形に組んだ張りぼてで、
胸の部分に哺乳瓶が埋め込んであり、
定期的にミルクが出るようになっている。
 もうひとつのダミーは、布のぬいぐるみで、
ふかふかな素材で母猿の形をしている。
 ミルクは出ない。
 ただやわらかいだけだ。

 さて、このアカゲザルのアカンボは、
どういう行動をとるのか?

 結果はこうだった。

 アカンボは、ミルクの時間だけ、
針金母の胸に吸い付き、
ミルクがなくなると、布母の元に行く。
 普段は、ずっと、布母の胸に張り付いて、
すりすりしている、というのだ。 

 つまり、おなかが空くものだから、
ミルクをくれる母の元にやむを得ず行くが、
基本的には、やわらかい布母にくっついている。
 食事は生きるためにもらうけれど、
情緒的には、
何もしてくれないけれどただ柔らかい母の方が
よっぽどいいらしい。

 これは、私にとってかなり衝撃的な実験結果だった。

 どの親も、子を食わせるために必死だ。
 中には、病的に子供にべたべたする親もいるだろうが、
たいていは、理性に走るあまり
針金母になっている。

 現にうちの母も、針金母だった。
 十分な衣食住を与えてくれたが、
もちもちと柔らかい
肌のぬくもりは与えてくれなかった。

 今の私も、日々の忙しさの中で、
子供たちにとって針金母になっている。

 子供たちは、生きていくために仕方なく、
硬く痛い針金な私を「母」として見ていてくれるが、
本当は、もちもちな柔らかい母親を求めているに違いない。
 オオボケでもいいから、布母でいて欲しいと、
無意識に願っていると思う。

 できれば、もちもちで柔らかい、
「ミルクの出る布母」
になりたい。

 しかし、毎日の忙しさに負けて、
いつもいつもおっぱいに哺乳瓶を埋め込んだ
針金母の自分がいる。

 夫に対しても「針金妻」だし、
両親に対しても「針金娘」だし、
義父母に対しても「針金嫁」だと思う。

 私は、自分でいうのも何だが、
結構「頑張り屋」で、「無理しい」で、
家族のために、家族のために、と言いながら、
「きっちりとした衣食住」を
無愛想にイライラしながら与えているが、
彼らに本当に必要なのは、
私の「笑顔」と
私の「柔らかい肌のぬくもり」と、
そして、「少しの衣食住」なのだ。

 アカンボに乳をやりながら、
そんなアカゲザルの実験を思い出し、反省しきりだ。

 子供に何不自由ない暮らしを提供することや、
人並みに塾に通わせ、いい教育を受けさせ、
カリカリカリカリと子供を追い立てる。
 そのために自分は、
硬くて痛い針金のようになって
子供を抱きしめる暇を惜しんで、
それらの費用を稼ぐことに必死になる。

 それは、理屈では「子供のため」ではあるが、
「ヒト」という動物を育てる上で、
致命的な過ちをおかしているのではないか?

 もう一度、私たちは、猿に帰ろうではないか。

 そして、もう一度、子供を抱きしめ、
乳を吸わせようではないか。
 簡単なことだ。

 一動物に戻るだけなんだから。
 そして、狂ってしまった世の中を、
もう一度育てなおそう。

 私たち大人は、責任を持って、
子供たちをアカンボから育てなおそう。
 そして、針金母に育てられた大人たちは、
今すぐもちもちの柔らかいものにしがみつこう。

 今からでも遅くはない。

 もちもちに飛びつけ!

(子だくさん)2005.12.19.あかじそ作