「 ファイアーアフターファイアー 」


 ここ数ヶ月、
心身ともに疲れが頂点に達し、
神経もボロボロ、心臓の具合もすぐれず、で、
今まさに人生の折り返し地点の、
完全に「落ちている」状態だった。

 今朝などは、
「あ、今ウツの底にいる」
と、モロわかるほどの落ち込みようだった。

 ところが、ドン底を過ぎれば、
あとは自然とバウンドして気分が浮き上がってくるのは、
経験から知っている。
 何もせずに、そのバウンドを静かに待ちつつ、
じっと午前中を過ごした。

 そして、中華鍋で大量のツナおろし焼きうどんを作り、
子供たち5人に昼ごはんとして食べさせた後、
自分の気分が上昇気流に乗っていることを感じ、
ひとまず安堵した。

 まあ、ともかく、疲れたのだ、この一年。

 もう、一から説明するのも疲れる位に
いろいろありすぎた一年だったが、
私のウツを一気に底辺に押し付けて、
無事バウンドさせてくれた、
ここ数日の事件だけ抜粋して書くことにしよう。

 次男が、小学校を卒業し、
男女入り混じった友達数人で、
地元の遊園地に出かけた。
 当初、誰かの親がひとりふたりついていくというようなこと言っていていたが、 
結局、当日になって、
子供だけで出かけるということがわかった。

 心配だったが、女子の友達がみんな携帯電話を持って行くということで、
とりあえず、連絡はつくだろうと思い、
「気をつけていくんだよ」
と念を押して家から送り出した。

 ところがだ。
 朝の8時半に出かけたのにもかかわらず、
夕方の6時を過ぎても帰ってこない。
 電車にでも乗り間違えたのか?
 いや、一緒に行った友達は、
クラスでもしっかりした女子たちと、電車オタクの男子だ。
 ドジは踏まないだろう、と思いつつ、
「では実際誰に確認をとろうか」と思った時、
携帯を持っている子の番号を私は知らなかった。

 「何やってんだあいつ・・・・・・」

 気をもみながら夕飯の支度をしていると、
隣の奥さんが我が家に息せききってやってきて、こう言った。
 「うちの娘たちとお宅のユージくんたちが現地で合流したらしいんだけど、
そこで男子2人がゴーカートに乗りに行って、はぐれたらしいのよ。
 で、出口でずっと待っているんだけど、なかなか会えないんだって。
 もう真っ暗なのに、まだみんなで門のところにいるんだって」

 「ええ〜〜〜っ」

 「うちの子の携帯でユージ君がお宅に電話してるんだけど、
ずっとお話中で連絡つかないっていうから、
私が直接伝言しに来たんだけどね」

 「ええ! お話中? ずっと電話してないのになあ!」

 急いで電話を確認してみると、やはり受話器が上がっていた。
 さっき小1の四男が友達に電話していたから、
その時からずっとだったのだろう。

 「で、はぐれた子って?」
 「白井君と宮代君だって」
 「ああ・・・・・・そうなんだ・・・・・・ちょっと待ってて。連絡してみる」

 私は、急いで白井君の家に電話して、
白井君が帰っていないか聞いてみると、
「あ、今帰ってきました!ごめんなさいね!!!」
と、白井君のお母さんは、恐縮至極だった。

 「いえいえ、無事帰ってこられてよかったですよ、気になさらないでくださいね」
と言って電話を切り、
お隣の奥さんにその旨を告げると、
奥さんから娘さんの携帯電話に連絡が行き、
子供たちは、暗い中をぞろぞろ家に引き返し始めたという。

 私は、中学生の長男に、携帯電話を持たせるか持たせないかで、
かなり長い期間もめていたが、
こういう時は、かなり便利で安心なものだなあ、と、思った。
 昔は、まだ日本も今ほど物騒ではなかったが、
こんな危ない時代に、子供同士で出掛けることが増えてくると、
やはり、安全性の問題も考えると、
携帯電話もある意味「有用な道具」として使えばいいのではないか、と思えてきた。

 その使い方を、親子でちゃんと話し合って、
きちんと心の管理さえできていれば、
清く正しい使い方ができる、「いい道具」であるような気がした。

 まあ、そんなことはともかく、
次男は、夜の7時半過ぎに帰ってきた。
 子供だけでこんなに遅くまで外出させたのは初めてだったので、
気をもんだが、それよりも、何よりも、
「お母さん、遅くなってごめんなさい〜!」
「でも、すごく楽しかったよ〜、思い出になったよ〜」
と、興奮して言いつつ、
次男の顔色がすぐれず、しきりに胸をさすっているのが気になった。

 「胸どうしたの? 痛いの?」
と聞くと、
「友達がゴーカートではぐれたから、
僕、追跡しようとして、ゴーカートに乗ったんだけど、
急いで友達を探しながら運転していたから、
何度も壁とかに激突しちゃって・・・・・・」
と、青い顔で言う。

 「馬鹿だなあ。スピード緩めないでカーブに突っ込んだんだろう?
 アクセルダダ踏みでずっと運転したら、そりゃあ激突するだろうよ」
と、あきれて言ったものの、
翌朝になっても次男の表情は、すぐれなかった。
 「ダイジョブダイジョブ」
と言いつつも、口数がいつもよりめっきり少なく、
明らかに様子がおかしかったので、
念のため医者に連れて行くと、案の定、怪我していた。

 レントゲン写真で胸骨をよく見ると、
骨がペコッとへこんでいた。

 「骨、へこんでますけど、2週間もすれば治るでしょう。
シップ出しときますから、またその頃見せにきてください」

 医者にそう言われて、帰宅するも、
帰宅直後から兄弟喧嘩に巻き込まれて
兄弟の誰かに胸を蹴られる次男。

 「イテーッ! 痛いよ〜〜〜!!!」

 号泣する次男を部屋に寝かせ、
抗炎症鎮痛シップを貼り、
静かに静養させたが、
その晩、長男が高熱を出し、
バタバタしていたので、うっかり次男の怪我のことを忘れ、
アカンボの風呂入れを頼んでしまった。

 次男も人がよすぎるものだから、
何も言わずに引き受け、
アカンボを風呂に入れていたが、
そのうち、風呂場で、
「ああああ〜〜〜!! 痛い〜〜〜!!」
という次男の叫び声が聞こえ、
私は、再び次男の怪我のことを思い出した。

 しかし、時すでに遅く、
異常なほどおてんばな1歳の長女に
裸の胸を思い切り蹴られた次男は、
湯船の中で悶絶していた。
 どこまで人がいいのか、
そんな中でも、妹をしっかり包み込んで抱いていた。

 「ああ、悪い悪い、怪我してたんだっけ」
私が急いで長女を抱き上げて湯船から出すとき、
まだ出たくなかったのか、長女は、
「キ〜〜〜」
と叫んで、またもや次男の胸を思いっきりキックしたのだった。

 「イヤ〜〜〜ン!!!」

 次男の叫び声が町内じゅうに響いた。

 が・・・・・・・
 響いたのは、次男の声だけではなかった。

 その数日後、
今度は、三男の叫び声が響くことになる。


 その日、朝から春休みでヒマを持て余していた
三男と四男が、2階のベランダに出たり入ったりして遊んでいた。
 そのうち、長男に
「うるさい!」
と怒鳴られて、ベランダでふたり、こそこそ遊んでいた。

 何だか嫌な予感がしつつも、
階下で次男とともにアカンボの世話をしていた私は、
その直後、窓の外の自転車置き場で物凄く大きな音を聞いた。

 「なんだ、なんだ!」
と、次男と2人で窓から外を覗くと、
自転車置き場の上のアクリルの屋根が割れ、
地面に破片が散乱していた。

 「ええええええ?!」
 事態がよく理解できずにいると、
玄関から物凄い勢いで三男が走りこんできて、
「お母さん、ごめんなさい〜〜〜!!!」
と号泣している。

 「どしたの? 何か上から落としたの?」
と聞くと、三男は、
「柵に足を掛けようとして・・・・・・」
と、パニック状態で繰り返すので、
こちらは、ポカンとするばかりだった。

 そのうち、
「2階のベランダにいた三男が、1階の玄関から入ってきた」
ということと、
「自転車置き場の屋根が木っ端微塵に割れた」
ということ、
「まるで何かが上から落ちたかのような感じ」
ということの事実が、
私の中でひとつにまとまった時、
「お前2階から飛び降りたな?!」
と叫んでいた。

 見ると、自転車が4台停めてあり、
そのちょうど柔らかいサドルが集まっているあたりに、
三男は、スポッと落ちたようだった。
 「どこか痛いところは無いの?」
と三男に聞くと、怒られたくないからか、必死に、
「ダイジョブダイジョブ」
と言いつつ、左の二の腕をさすっている。

 「ほら見せてみな」
と、袖をめくって見てみると、
ズルズルズル〜ッ、と痛そうに大きく擦り剥けている。
 私に見つかるとこっぴどく叱られると思ったらしく、
先ほど、私が自転車置き場に見に行っている間に
三男に命じられた四男が消毒薬を出してきていた。

 四男と目が合うと、ヤツはすばやく消毒薬を後ろ手に隠し、
三男の元に走った。
 こんな時ばかり固い結託を結ぶ兄弟たちめ。

 三男の体をよく見てみても、
半袖半ズボンで2階から落ちたのに、
腕の擦り傷だけで済んでいた。

 なんという悪運の強さ。

 しかし、後で屋根を直しに来た私の父は、
「こんな分厚いアクリルの破片だぞ、
十センチずれて、角度が悪かったら、
顔や首に刺さって、確実に死んでるぞ」
と、肝を冷やしていた。

 むむむむむむむ・・・・・・・危なかった・・・・・・

 私は、三男に、
「あんたが無事に済んだのも、
死んだじいちゃんばあちゃんたちが、
みんなで円陣組んで受け止めてくれたからだぞ!
 お線香上げてよくお礼してきな!」
と言った。
 すると、三男は、煙を上げる線香を前にしおらしく手を合わせ、
何やら拝んでいる。

 まったく、もう・・・・・・

 「ああ、まったく困ったものだ」
と、言いつつ、アカンボをふと見ると、
何と、両目がお岩さんのように腫れあがり、
顔全体が真っ赤に炎症を起こしているではないか!
 またアナフィラキシーショックを起こしかけているではないか?!

 「ちょっと! 今度は、何食べた?!」

 急いで「いざと言うときのための強い抗アレルギー剤」を出して、
速攻で飲ませた。
 そして、念のため、かかりつけの医者に連れて行き、
診察してもらい、抗アレルギー剤のストックを多めに処方してもらった。

 診察を終え、調剤薬局から薬をもらって、
家に帰ったら、もう夜だった。
 騒ぎを聞き付けた母が、
子供たちに夕飯を食べさせておいてくれたが、
なぜかベロベロに酔った父までが家にいて、
ガハハガハハ笑っていた。
 父は、母に耳を引っ張られて帰って行ったが、
無事に帰れただろうか?

 それにしても、もう、私はへとへとだった。


 まったく・・・・・・

 ちょっと何かに気を取られていると、
すぐに誰かが怪我をする。
 その騒ぎが収まるやいなや、
また違う誰かが病気になるわ、事件を起こすわ・・・・・・

 翌日、数ヶ月ぶりに休みが取れた夫が、
「アカンボ見てるから、上の4人と映画でも見てきなよ」
と、五千円を渡してくれた。
 しかし、今やっているロードショーで観たい物がなかったし、
私の疲れも半端じゃなかったため、
息子4人と近場の繁華街に出かけることにした。

 しかし、出掛けに今度は、夫がやってくれた。
 夫は、アカンボのいる場所に、
牛乳やチーズトーストを置きっ放しにしてしまい、
危うくアカンボがそれを口に入れるところだった。
 上の子供が気付いて間一髪、阻止できたが、
今の今の今、
「乳製品と卵とピーナツは絶対に食べさせないでよ」
「わかってる!」
という会話をしたばかりだったのに、この始末。

 ストレス発散に出掛けるどころか、
心配で逆にストレスになってしまった。

 まあ、でもそれはそうと、
ストレス発散に外に出かけなくちゃだわ、と、
コートを羽織ったその瞬間、電話が鳴った。

 母からだった。

 先日、酔っ払って家に来ていた父が、母を相手に、
近所のとんこつラーメン屋の前で
「食べたいな、いや、とんこつなんてまずいよな、でも食べたいな〜」
と、10分以上優柔不断のジタバタをした挙げ句、
気の短い母に、
「じゃあ食べればいいでしょ」
と言われ、店に入り、
「何だ、すごく旨いじゃないか!」
ということになったらしい。

 そこで今、「あそこのラーメン屋は美味しいわね」
という電話をしてきたのだった。

 何で今なの!

 しかも、「あのラーメン屋美味しいよ」と薦める私や子供たちに、
「とんこつなんてまずい!」
「白い汁なんて飲めるか!」
「あんなもんは味の分からないやつが食うもんだ!」
などと散々悪態をついていたのに、
いっぺん食べたらコロッと態度を豹変させて、
「今度また行こうぜ」
なんて言っている。

 いっつも、いっつも、いっっっっっっも、
そうだった。
 この人たちは!!!

 私が「Aだよ」と言うと、
「馬鹿じゃねえか! 何がAだ、アホトンマ!」
と人を罵倒するくせに、
「だから結局、何が何して、Aなんだよ!」
と、最終的には私と同意見だったりするのだ。

 まず、私が何を言っても聞く耳持たずに、
「NO!!!」
と返してくるのだ。
 聞く前から全否定なのだ。

 子供の頃からこうなんだから・・・・・・

 疲れるわあ・・・・・・

 そんなこんなでやっと街に出て、
買い物をしたり、お茶を飲んだりした。
 普段、切り詰めに切り詰めている母親が、
カフェテラスでソーダ水を飲ませてくれたり、
好きなオモチャを買ってくれるなどということは、
めったにないことなので、
小学生の三男と四男は、感激に打ち震えていた。

 道を歩きながら、
「お母さん、カッコイイ縄跳びを買ってくれて本当にありがとう!」
と叫ぶ三男や、
「お母さん、こんなに素敵な春休み、初めてだよ」
と、母の顔を見上げる四男に、
すれ違う見知らぬ人々は思わず振り返る。


 まあ、いろいろあるけど、何とかなるわさ、と思う。

 子供の頃から、いろいろなものを背負い込んで、
いつも不安と切なさとやるせなさを抱えているけれど、
でも、
何とかなるわさ。

 きっと、なんとかなるわさ。

 生きている間は、
きっと、常に休み無く、
「ファイアーアフターファイアー」だろうけれど、
「生きているから熱いんだ〜♪」
みたいな歌もあるじゃないか。(ちと違うか)

 疲れてしまう自分も認めてあげた上で、
ぽつぽつと生きていこうではないか。



      (了)

 (子だくさん)2007.4.3.あかじそ作