「帰省に思う」

 
 今年のお盆も夫の故郷を訪ねたが、
いやはや、なかなかに思うことが多かった。
 
 ことばにすれば「帰省」とひとことで済むのだが、
この中にどれだけ多くの人間の気持ちが交錯しているのか、
よくわかった。
 
 病気の両親に子供たちを見せたい夫、
できるだけ協力しようと思う私。
 半身不随で部屋に一年中ひきこもり、孫だけを生きがいにする義母。
 ガンを患いながらも、孫に金沢のすべてを案内してやりたい義父。
 長男なのに家を出てしまい両親の面倒を見ない兄に対し、
複雑な思いで我々大家族を歓待してくれる義弟。
 結婚して半年、緊張しながら我が家と接する、その嫁さん。
 障害を持ち、両親とともに暮らす義妹。
 義理の両親は数年前から家庭内別居しているし、
生涯独身で自分たちをサポートしてくれると期待していた義弟が急に結婚し、
内心穏やかでない義母と義妹。
 
 そういう複雑な環境に飛び込む娘一家を心配する私の両親。
 単純に、大勢子供を連れて遠出すること自体心配だが、
ただ「何だか行かせたくない」という気持ちもあり、それを隠しもしない。
 
 いろいろな人のいろいろな想いを、
すべて受け入れて、その要求に応えようとすると、
心や体がいくつあっても足りず、何も立ち行かなくなるので、
みんながそれぞれ半分くらいづつ納得することが肝要だ。
 
 で、私たち夫婦は、ただただ各方面に頭を下げつつ、
淡々と「ただ帰省する」ことにした。
 それが一番丸く収まるような気がするのだ。
 
 金沢に着いて、まず、最初の仕事は、
第5子にして初めての女児である娘1歳9ヶ月を
夫の両親に見せることだ。
 ところがこのアカンボ、末恐ろしいことに、
男の人には割とすぐ慣れるのに、女の人を嫌う傾向がある。
 義父とはすぐに手をつないだが、
義母や義妹に対しては、同じ部屋に入ることすら嫌がる。
 それなのに、義妹が無理やりアカンボを抱こうとするものだから、
余計に怖がって絶叫して暴れる。
 義母や義妹の、うちの子供たちに対する並々ならぬ想いが、
子供の本能でわかるのだろうが、
その想いの尋常じゃない強さ、執拗さに、
アカンボが恐れおののき、
もんどりうって彼女たちの腕から命がけで逃れようとするのだった。
 
 「いやあ、すみません、眠いのかなあ」
とか、
「ちょっと機嫌が悪くて」
とか、
「誰にでも人見知りが激しいんです」
とか、一生懸命にフォローするものの、
義母や義妹に対する、アカンボの嫌がり方は異常なほどで、
彼女たちは、哀しい顔をし、
やがて、義母は、不愉快な顔をし始めるのだった。
 
 脳出血で倒れ、一命を取り留めたものの、
右半身不随になった義母は、
言語障害もあるため、もはや、以前のように多くは語らない。
 
 孫たちに囲まれて常に優しくされたいのだが、
3泊4日の滞在中、ずっとそばに居られて、
うるさく騒がれるのは好まないらしい。
 疲れると、「階下(した)に行っていいわよ」と言う。
 孫は可愛いが、2階の自分用の居間には、
少人数づつ、静かに、時々居て欲しいらしい。
 
 その配合やタイミングが非常に難しく、
孫たちの親としては、大変気を使う。
  
 それに対し、義父は、
せっかく金沢に来たのだから、
その間は、一分たりとも時間を無駄にせず、
金沢の隅から隅まで案内してやろう、と意気込んでいる。
 
 この夏、記録的な猛暑を記録した2日間を、
思いっきり炎天下の観光地めぐりに費やしてくれた。
 
 自分の体もキツイだろうに、
「自分は何ともない」と男らしく言い放ち、
朝から夕方まで、容赦なく数十箇所車で回った。
 
 車で回るにしても、うちの家族全員は乗りきれないので、
義弟も車を出して一日じゅう付き合ってくれた。
 金沢の街なかは、車を停めるところがあまり無い。
 もちろん、有料駐車場は、街のそこここにあるが、
義母いわく「ドケチ」の義父は、
駐車料金を払うのが勿体無いらしく、
「無断駐車禁止」の看板の前やら、
関係者以外立ち入り禁止の神社の駐車場やら、
車がガンガン行き交い、絶対停めちゃいけないだろう、という路肩に、
ためらいもせず停める。
 
 そのたびに義弟が車を降りて
「ダイジョブや」と言い張る義父を説得し、車を移動させる。
 
 そんな調子で、数十箇所の観光地を、
1回1回やっているものだから、
「駐車場代出しますから」
と何度も申し出たが、これもガンとして断る義父。
 
 なるほど、これか。
 
 私は、以前、義母が言っていたことを思い出した。
 
 義父と義母の間に末の娘(つまり夫の妹)が生まれたとき、
義母の実家から「これで雛人形を買いなさい」と渡されたお金で、
義父は、「リカチャン」と「リカチャンハウス」を買ってきたという。
 目が点になった義母に対して、義父は、
「雛人形なんてアカンボにはわからん。これなら遊べるやろ」
と言い放ち、義母が自腹で雛人形を買いなおすはめになった。
 
 普通、そんなことしないだろうよ、と思いきや、
義父の場合、自分が「こうだ」と思ったことは、
誰にも相談せずに断固決行してしまう。
 たとえそれがまったく常識ハズレなことであろうと、
そんなことは関係ない。
 「自分がそうしようと思ったことは、人に何と言われようとする」
という人なのであった。
 
 そういうところが家庭内別居の一因になっているのだが、
この傾向は、彼の息子や孫、
つまり、うちの夫や長男にバッチリ受け継がれていた。
 
 「何でそんなことするんだ!」
ということや、
「ちょっとは、空気読まないと!」
ということを、
平気で何度も何度もする。
 
 みんなに「それは絶対違うだろ」と指摘されても、
言うことをきかない。
 で、しつこく注意されると、「キーーーーーーッ」となる。
 「キーーーーーッ」となって、物を壊し、
しばらくすると何事も無かったかのように、元に戻る。
 
 嫌な遺伝だよ!!!
 
 一方、義母も、そういう夫に対して
「この人はこういう人だから、こういう対応をしよう」
という柔軟な考えはせず、
「こんな変な人に人生を狂わされた自分は悲惨だ」
という考えで固まってしまい、
恨みつらみばかり口にしている。
 彼女は、自分の3人の子供たちと孫たちに対しては、
菩薩のごとく広い心で接するが、
それ以外の人間には、氷のように冷たい。
 あまりにわかりやすく極端なので、
以前「すげえ〜!」と大笑いしてしまったこともある。
 安い昼ドラの一場面が、リアルに目前で展開されるので、
嫁いびりされている本人の私が、大うけしてしまったのだ。
 
 しかし、うちの両親も「しょうもない」けれど、
こちらも相当「処置なし」だ。
 
 合計4人の両親は、みな、若い頃に比べたら、
かなり丸くなってきているものの、全員、
「決して悪い人ではないけれど、間違いなくエゴイスト」
なのである。
 
 しかし、そういうことを全部ひっくるめて、
4人の両親を大事にしようと思う。
 
 親たちを、こんな風にえらそうに考察している私だって、
41歳にして、まだまだ何にも悟っちゃいない中途半端な状態なのだ。
 不完全な人間の、成長途上の段階で、
切り捨てたり、切り捨てられたりするのは、良くない。
 共に恥をかき、傷付けあいながらも、ちゃんと仲直りして、
「一緒に生きられる期間」をやっていこうではないか。
 
 
 ところで、今回の帰省で、
「みんな仲良く、楽しく、安全に」と、頑張っていた私だが、
 
帰省中、ほとんど口を開かず、
口を開けばびっくりするほどつまらない話題を延々と語る夫に、
 
長女に喘息発作が出ているのに猛暑の中「海に行こう」と言い張る義父に、
 
義弟夫婦を交え、顔合わせを兼ねた食事会で、不機嫌丸出しだった義母に、
 
イラッッッイラしたのは確かだった。
 
 家に帰ってきても、そのイラつきはおさまらず、
夫や子供たちに若干当たってしまった。
 
 しかし不思議なことに、
夫や四男につらく当たると、
私は、いつも手足の指にちょっとした怪我をする。
 「タレ目の呪い」、いや、夫の先祖のお叱りだ。
 
 他にも、家族にキツイことを言いすぎた後は、
かならず口内炎ができてしまう。
 
 私の間違いに対しては、
いつも、口内炎や擦り傷切り傷などの、
日常生活に支障のない程度の「お仕置き」があり、
何者かに渇を入れられる。
 
 いや、単に「疲れの溜まったおっちょこちょい」なのかもしれないが、
そういう小さい痛みを得ることで、
私は、自らの間違ったベクトルを正そうと思う。
 
 いちいち、はっとして、心を取り戻そうと心がけている。
 
 
 夫の家族の性格やら、
自分の気分の扱い方やら、
この帰省では、いろいろなことを考えた。
 
 まあ、いい勉強には、なった。
 
 
 
 【追記】  
 
 数年前まで、
往復の列車の中で、絶叫してひっくり返る3〜4人の男児を
脂汗をかきながら、なだめたりすかしたりして、
周りに謝り倒したりしていた頃を思えば、
随分出世したものだよ。
 
 車内販売のホットコーヒーを飲めるなんてさ。
 
 数年後には、ビール飲みながら日本海を眺める余裕も出るだろうさ。
 
 今も十分大変だけど、
だんだん大変じゃなくなってきている事実を忘れずに、
育ってきてくれている子供や、
言うことを聞くようになってきた夫に感謝して、
また懲りずに帰省しようじゃないか。
 
  
  (了) 
 
 (しその草いきれ)2007.8.21.あかじそ作