「 パンデミック 」


 前から疑問に思っていたことがある。

 傲慢で高慢ちきで、言いたい放題、人傷つけ放題の人が、
どうして社会で通用しているのだろう。

 どう考えても、周囲の人間からは、
「あいつなんなんだ?!」
と思われているのに、
どこの世界にもそういう人間がのさばっている。

 会社の中でも、役所の中でも、
教師の中でも、政治家の中でも、
のさばっている。

 主婦の中でも、ゲートボール仲間の中でも、
クラスの中でも、町内会の中でも、
老人会の中でも、サークル活動の中でも、
のさばっているのだ。

 なんなんだ、あいつら・・・・・・

 本当に本当に、不思議でならない。

 ヤツラは、あきらかに鼻つまみ者で、
まわりの人は、みんな我慢しているはずなのに、
全然排斥されることなく、
いつもど真ん中にあぐらをかいて居座っている。
 人を威嚇するような、不快な大声を張り上げて、
その場を取り仕切っている。

 なぜだ?!
 なぜあの人たちは、世の中で通用しているのだろう?!

 学生時代は、クラスのヒンシュク者で、
みんなに非難されていたような人間が、
社会に出ると、やりたい放題に暴れまわり、
周囲がそれを許してしまっているのは、なぜなんだ?!

 私が体育会系の人間だったら、
面と向かって文句を言ってやるのだが、
いかんせん、文科系気質なので、それができない。

 「そういう言い方はちょっと」
などと反論した日には、
めちゃめちゃに傷つけられて、撃破されるばかりだ。

 私のような
「常に善人に囲まれていないとすぐ悩んでしまう」
ような人間は、
精神的な免疫力をつける前にやられてしまう。

 もう本当に、
どうしても、あいつらのような人間は、我慢できない。
 道徳心のかけらも、仁徳のかけらもない人間に、
この社会を取り仕切られたくはないのだ。

 そこで、無力で気弱な私が取れる行動は、ひとつだ。
 あの奥の手を使って、
ヤツラを社会から駆除するしかない。

 「駆除」。

 まさにこの言葉がふさわしい。

 迷惑で有害な存在のヤツラを駆除し、
善人だらけの社会を作るため、
私は、先祖代々伝わる例の物を(禁じ手と言われているのだが)
使ってしまおうと思う。

 これで社会がきれいにクリーニングされれば、
先祖も子孫も、私のしたことを許してくれるだろう。
 いや、むしろ尊敬され、このことは、伝説になるだろう。

 さあ、決行の時は、今だ。
 遅すぎたくらいだ。


 私は、納戸の奥の奥にある、黄ばんだ桐箱を取り出した。
 紫色のひもを解き、桐箱を開けると、
中からは、油紙に包まれた500円玉大の平たい石が出てきた。

 真ん中には、アルファベットの「C」に似た文字が彫られている。

 「これが・・・・・・」

 思わずしり込みしてしまったが、
ここまできて引き返すわけにもいかない。
 生唾をごくりと飲み込んで、
私は、その「C」の文字を人差し指でなぞりながらその言葉を唱えた。

 「善人だけの世界を!」


 シンとしていた。
 石を前にして30分ほど座っていたが、
特に何も起こらなかった。

 何だ、やっぱりただの石だったか。
 代々伝わる【栗屋石】・・・・・・つまり、クリアボタンは。

 昔、鬼を看取ったという先祖が、
「世の乱れし時、この文字をなぞるべし」と石を託された、
という伝説を聞かされていたが、
やっぱりインチキの嘘っぱちだったか。

 翌日も、その翌日も、
世の中は、いつも通りで、
いじめっ子天国、クレーム社会。

 強く出たもの勝ちだった。

 ところが、だ。

 一週間後、テレビのニュースで信じられないものを見た。
 新聞でも一面で扱っていた。

 「パンデミックになった」と。

 世界中に未知のウイルスの感染が広がり、
次々と人が死んでいっているという。

 飛沫感染や接触感染と言われているが、
密室に居ても、感染する人としない人がおり、
詳しい感染経路が解明されていないらしい。

 今まで元気に大声を出していた人が、
急に意識を失い、死んでしまう。
 やり手の政治家や事業家が、ばたばた倒れていき、
国家の危機管理機能も、ほとんど働いていない状態だった。

 職場に連絡をしたら、
しばらく全員自宅待機せよ、ということだった。
 聞けば、今まで現場を取り仕切っていた
意地悪な上司やお局様は、亡くなったらしい。
 子供が通う学校の緊急連絡網では、
「何人かの教師が亡くなった。感染予防のため、学校閉鎖になる」
と、回ってきた。
 亡くなったのは、評判の悪い教師ばかりだった。

 さては!
 根性の悪い者だけが感染するウイルスか!
 善人だけの世界へと変革するために、
それ以外の人間が消えていっているのか?!


 それから数日のうちに、世界中の死者が数億人にも達した。
 驚くことに、日本人の死者の割合は、特に高く、
いかに多くの日本人の根性が捻じ曲がっていたのかを思い知った。
 また、世界から非難の集まる某国のトップが、
いの一番に死んでしまった。


 ライフラインが止まり、
ストックしている食糧も尽きてしまった。
 店に買い出しに行こう。
 私なら、間違いなく善人だから大丈夫だ。
 絶対に感染しない自信がある。

 私は、善人の中の善人だ。
 人に優しく接するし、
今まで悪いことなど一度もしたことがない。

 うつるわけない。

 意地悪人間を駆除し、世界中の心を洗濯するような、
そんな善行をした私なのだから、善人の中の善人だ。

 私は、「いい人」だから、絶対に大丈夫なのだ。


 買い出しから帰り、
「あのうちの奥さんも死んだ」
「会社の誰それさんも死んだ」
「あの人も性格悪いからねえ」
などと、家族と話しながら食事の支度をしていると、
頭がぼんやりしてきた。
 ねぎを小口切りにする。
 味噌をだし汁に溶く。
 なぜか、ものが二重に見えてきた。

 そして、ゆっくりと、
目の前が暗くなっていった。



    (了)


(小さなお話)2008.4.1 あかじそ作