「 はじめの一歩は、いつもお前と 」

 「節約の限界」を感じ、
今必要な現ナマを得る必要に迫られている。
 末っ子の持病のため、ここ数年、勤めに出られなかったが、
日々轟々と支出される子供がらみの支払いに、
もういっときの躊躇もしていられない状況になってきたのだった。

 そして、その一連の流れの中で、
高校1年生の長男が、
ついに近所のファミレスでアルバイトを始めた。
 自分が使うケイタイの代金や、
弁当以外の間食やお菓子、
友人との交際費などを、
たびたび親にせびることに対し、
いい加減気が引けてきたらしい。

 初めての出勤の日、
親の私は気が気でなく、
「ちゃんとハキハキ挨拶しなさいよ」
「無理なシフト組んできちゃだめよ」
「お腹が空いたらこのおにぎり食べなさい」
などと、支度をする息子の後を追いかけ回しながらあれこれ言っていたが、
そんな私の姿を眺めて苦笑している夫に気がつき、
はっとした。

 (あ、私、過保護馬鹿親になってる!)

 もう青年になった息子の職場に、
いちいち電話をしていろいろ口を出したり、
面接についてくるような馬鹿親がいると聞いていたが、
自分もそんなヤカラになりかけているではないか?!

 高校生の息子は、
もう、ママの胸から羽ばたいて、
自分の羽で飛び立とうとしているのだ。
 巣立ちの時なのだ。

 ついこの間まで、
「おかあさんおかあさん」
とまとわり付いてきて、
今も何かと頼ってくる長男だが、
この子は、もう、自分で仕事を決めてきて、
自分の使う分を自分で稼ぐ算段をしているのだ。

 もっともっとこまごまと身の周りの世話を焼いてやりたいし、
もっともっと一緒にいたいのだが、
ここは、ひとつ、ぐっと息を飲み、
息子に向けて伸ばした腕をゆっくりと引っ込め、
「それから・・・・・・」
と言い掛けたことばを飲み込み、
ただ静かに
「行ってらっしゃい」
と背中を押してやることにとどめよう。

 初勤務は、午後4時から9時までの5時間だった。

 直前まで部活の試合に出ているので、
家には戻らず、制服姿で仕事先に行ったはずだ。

 その日私は、
壁の時計を数百回見上げたと思う。

 午後4時前、
(今頃職場で挨拶をしている頃だ。うまく挨拶できるのか?)
 午後4時、
(仕事開始だ。うまくやれよ!)
 午後4時半、
(ヘマして先輩にいじめられてないか?)
 午後5時、
(緊張して疲れてるんじゃないかな)
 午後6時、
(そろそろお腹が減ってるはずだ。仕事に入る前におにぎり食べたかな)
 午後6時半、
(お客さん増えてきただろうな。忙しくなって大丈夫か?)
 午後7時、
(水分採れているのかな?)
 午後8時、
(お腹空いただろうに)
 午後8時半、
(試合の後なんだし、もう相当疲れただろうな)
 午後8時45分、
(もうすぐ終わるぞ、がんばれ)
 午後8時50分、
(あと10分)
 午後8時55分、
(もうちょっとだ、がんばれ)
 午後9時、
(ちゃんと「時間ですので上がります」「お先に失礼します」と言えたか?)
 午後9時半、
(あれ、そろそろ帰ってきてもいい頃なのに)
 午後9時45分、
(人が足りなくて10時まで頼まれたのかしら?)
 午後9時50分、
(10時過ぎたら迎えに行こうかしら?)
 午後9時55分、
(帰りに何かあったんじゃ?!)
 
 そして、午後9時57分、私のケイタイが鳴る。

 「あ、お母さん? 友達がバイト先に来てくれたから、
駅まで送ったら帰る。もうちょっとかかるから、ごめん」

 長男の声の後ろに、
大勢の男子高校生らしき声が聞こえた。
 友達と一緒なら、大丈夫か?
 まあ、声の調子は、明るかったから、
仕事は何とかうまくいったんだな?

 それから30分後、
長男は、ニコニコ笑いながら帰ってきた。

 「あ〜〜〜、疲れた〜〜〜!!!」

 制服のネクタイを緩めながら、茶の間にドカンと腰掛けた。

 「ちゃんとできたの?」
と私が聞くと、
「できた。接客係にされちゃったけど」
と笑いがなら言う。

 「接客係ぃ?!」

 半端でなく人見知りで、
いつももじもじしていて、
ろくに相手の目も見られないお前が、
接客だってぇ?!

 「で、うまくできたの?!」

 「うん。できたよ、ばっちり」

 「ええええ〜〜〜ほんとかい・・・・・・」

 「研修中の名札つけてたら、お客さんみんなに『がんばれよ』って言われた」

 「まじか?!」

 私は、心底驚いた。

 心のどこかで、
「もういやだ〜! バイトやめて勉強に専念する〜!」
と言って、
もう一度、親元におとなしく戻ってくることを期待していたのかもしれない。 

 「そ・・・・・・そうかあ、よかった、よかった。お腹空いたろ? ご飯食べな」

 「あ〜〜〜、ありがと! あ〜〜〜うまそう!」

 「いっぱい食べな。おかわりあるから」

 ほっとしたと同時に、
勢い良く巣立つひな鳥の後姿が脳裏に写った。

 試用期間で、時給700円くらいだとしても、
コイツは、今日一日で3500円稼いで来た。
 親からもらうより充実した3500円を手に入れた。

 遅い晩御飯を、旨そうにほおばる息子は、
労働の喜びを知り、目の光が強くなっている。

 私が、キリキリしながら節約する3500円を、
嬉々として、外の世界から掴み取ってきた。

 なんという、快挙!

 息子よ、よくやった!
 大人への第一歩を、やさしく見守り、
元気に踏み出させてくれた職場の皆様、
本当にありがとう!


 その後、肉体的な疲れと気疲れとで熱を出し、
学校もバイトも2日間休んでしまったが、
どちらも何とか復帰できた。

 折れない息子。
 あんなに弱虫だったのに、
もう、私より強くなったんだなあ。

 ここのところ、
勤めに出なきゃ、働かなくちゃ、と、
プレッシャーだけで疲れて落ち込んでいた私は、
長男に勇気づけられて、
やっと就職する元気が沸いてきた。


 思えば、長男には、
前にも背中を大きく押してもらったっけ。

 長男が4歳で、
私がヤクルトに勤めはじめの頃、
10年以上ペーパードライバーだった私が、
職場に幼児3人を車に乗せて出勤する勇気が出ず、
車の前でぐずぐずと立ちすくんでいたら、

「お母さんならできるよ! 大丈夫!」

と大きな声で言ってくれたおかげで、
再びハンドルを握ることができた。
 それ以来、ペーパードライバーを返上できたのだ。

 また今回も、
お前に背中を押してもらった。

 私の「はじめの一歩」は、
いつもお前に背中を押されて、やっと出るんだよな。

 ありがとな。

 病弱で、神経質で、
手がかかるばかりだった長男が、
今では、しょっちゅうエンストを起こす私の、
エンジンをかける係を務めている。


 「さっき『友達を送る』って言ってたけど、どこから来た友達なの?」
黙々とご飯をかきこむ長男に聞くと、
「千葉と茨城のヤツ」
と言う。

 「千葉と茨城?! そんな遠くから、こんな夜に来てくれたの?!」
と、びっくりして聞くと、
 「そう。同じクラスの連中が8人も来て、みんなでからかってきてさあ」
と長男も興奮して言う。
 「みんなで声掛け合って、【初バイト応援ツアー】組んで来たんだって」

 私は、嬉しかった。
 学校に友達がいっぱいできて、
しかも、そちらもうまくいっているようではないか。
 他県から来ている子も含め、
土曜の夜にクラスの4分の1もの友達が駆けつけてくれるなんて。

 彼らの厚い友情と、
厚い友情を築けるようになった長男に対して、
本当に嬉しくなった。


 私は、この子のお母さんでいられて、本当に光栄だ。

 はじめの一歩は、いつもお前と。

 なんにも知らなかった私に、
なんにもできなかった私に、
子育ての喜びや苦しみや、
その向こうにある幸せを教えてくれた、
第一子のお前。

 ありがとうと何度言っても足りないくらいだ。

 私が人生の岐路に立ったとき、
いつもお前がそうしてくれたように、
お前が巣立っていくとき、迷ったときには、
今度は、私が笑顔で送り出すよ。

 一心同体の母と第一子だったけど、
独立のときは、
身を裂かれるような痛みではなく、
「裂けるチーズ」のように、
気持ちよく、美味しそうに分かれていこう。

 愛してるぞ、バカヤロウ!



     (了)

(子だくさん)2008.9.30.あかじそ作