「 ハートに火をつけまして・後日談 」


 「ハートに火をつけまして」事件は、
いまだ解決していなかった。
 父が私に対して、まだ怒っているらしい。
 私の仕事の間、4歳の娘を実家に預けているのだが、
朝、実家に娘を連れて行っても、
父は、玄関のドアを細く開け、
その隙間から娘をするるるっ、と中に引っ張り入れるだけで、
私と顔を合わせようともしない。
 母も、父が怒っていて面倒だから、と、
私を実家に近寄らせないようにしている。
 「用があるなら、私がそっちに行くから、あんたは、来なくてもいい」
と言うのだ。
 あれから3週間以上経つというのに、
父と私の絶交状態は続いているのだった。
 
 ああ、めんどくさい!
 結局、父が新しいコンロを買い、
実家は、安全で便利な状態になって、
穏やかな日常に戻った。
 私も、やれやれ、と思いながら、
いつも通り、配達の仕事に精を出している。
 が、戻らないのは、
お互いに意地を張って、
仲直りする機会を見失った父と私の仲だけであった。
 大みそかや正月が目の前に控えていて、
例年、私たち一家が実家にお邪魔して、
大勢でわいわいと年越しそばを食べたり、
おせち料理をつまむことになっているのに、
こんな気まずい状態では、どうなることやら。
 父のことだから、
もう、本当は全然怒っていなくても、
「あいつからあやまってくるまでは家に入れない」
と言っているのかもしれない。
 子供のころは、父が気分次第で暴れ、
子供たちに殴る蹴るしてきて、
最終的に私や弟が表に出されるのだが、
母が、そっと「お父さんに謝って家に入れてもらいなさい」
と呼びに来た。
 しかし、私は、子供のころから感じていた。
 全然悪くないのに謝らされる理不尽さ。
 結局いつも、
この殴るけるの騒動は、
「子供たちが反抗的な態度をとったから」
という体裁にされてしまうのだ。
 「父の威厳を保つために」というよりは、
母が、
この状況にめんどくさくなり、
幼児のような父のご機嫌をとるために、
「めんどくさいからあんたら子供が謝って、この場を収めてよ!」
という処理の仕方をしていたのだ。
 もめごとがあるたびに、
私たち兄弟は、父にボコボコに虐待され、
「お前なんて死ねばいいんだ」
と言われ続け、
最後は、事の収拾のために
母から「父にあやまれ」と言われた。
 私は、30年以上、
「父に虐待されてきたのに、なぜ母にも憎しみを感じるのだろう」
と不思議に思っていた。
 が、ここへきてその理由が分かった。
 父は、気に入らないとすぐ手が出る「幼児」。
 そして、母は、極度のめんどくさがりやで、
事の収拾のためには、事実や正義をねじ伏せる「ずるい女」なのだった。
 一応、親だし、
育ててもらったし、
ここまでお世話になっているのだから、
こんなことは言うべきではないのかもしれないが、
喘息の子供の前でタバコをバカバカ吸いまくったり、
酒を際限なく飲んだり、
隣近所に猛烈にクレームをつけまくるような人間が、
私の両親だと思うと、
本当にイヤなのだ。
 絶対に友達にはなれないタイプの、
どちらかというと、大嫌いなタイプの人間なのだ。
 私にとって、私の両親は。
 不信感など通り抜けて、
「なんで?」
と、びっくりするような、
信じられない行動ばかり。
 常識の無さ。
 半端でない自己チュー。
 「自分!自分!」で、70年。
 子供は自分の引き立て役。
 孫をかわいがるのは、「自分の孫」だから。
 自分自分自分自分。
 自分の気分を満たすために、
自分が生み出しておいたくせに、
私たち子供に「死ね」と言う。
 は!
 もういいわ!
 私もガスコンロの件は、ちっとも怒っちゃいないけど、
今度という今度は、
絶対に謝らないからな!
 いつもいつも、こっちが大人になって
へらへらと頭を下げていたけれど、
謝ってもらいたいのはこっちだぜ!
 子供のころに、真冬に頭から水を掛けられ、
半裸で表に出されたことは、忘れない。
 母にお尻をつねられながら促され、
「パパごめんなさい」
と言った屈辱を忘れてはいない。
 その時、心の中で私は叫んでいたのだ。
 (年取って、親がオムツをつけるようになったら復讐してやる)と。
 親に養われ、力も弱く、
何も抵抗できない子供に
やりたい放題傷つけてきたように、
立場が逆になったら、
必ず同じことをしてやろう、と。
 でも、私も弟も、
とっくに大人になって、
もう、そんな気持ちになったことは、なかった。
 もう過去のことだと割り切ったつもりでいた。
 しかし、驚いたことに、
私は、まだ、
この両親を許してはいなかったのだ。
 許していると自分に暗示を掛けていただけで、
本当は、ちっとも許しちゃいないのだ。
 ちゃんとした、良識のある大人になりたくて、
自分が親にされてきたことを、決して自分の子にはしないように、
自分のことは二の次にして、
一生懸命、子供中心に生きてきた。
 でも、私の両親は、違う。
 私は、自分の理想の親の姿と正反対の両親を、
いまだに認められない。
 どこかで許してはいない。
 両親を人一倍愛しているから。
 愛して愛して、求めてやまない両親だから。
 もちろん、私の両親が、
私や弟のことを物凄く愛しているのは知っているのだが、
でも、何かが違う。
 私は、自分よりも子供の方が、圧倒的に大事だが、
私の父や母は、「自分自身が一番大事」なだけだ。
 ただ、それだけのことなのに、
それがたまらなく淋しい。
 自己犠牲の精神ゼロ、
好きなことしかしない、
イヤなことは人に押しつける。
 世の中には、そんな人もいるだろう。
 いても全然構わない。
 でも、それが、自分の親だということが、
本当に淋しいのだ。
 私は、親を許せるようになるのだろうか? 
 親が本当にオムツを付けるようになっても、
まだ復讐を胸に秘めているのだろうか。
 ああ、嫌だ。
 そんなのは、嫌だ。
 時間が掛かってもいいから、
私は、昔のことなど笑って許せる人間になりたい。
 だから、今、
私は、しっかり親に怒っておこうと思う。
 「腹に一物」を、もう持つのをやめて、
心の便秘一掃をするために、
再燃した甘えと怒りのネジネジを、
外気に晒しておいてみよう。
 自然に干からびて、
勝手にほどけてゆくかもしれぬ。
 放っておこう。
 今度こそ我慢しながら謝ったりせず、
このまま、現状を放っておこう。
 不良の若い父と母は、
今や、その辺のジジイとババアになり、
多感で幼い娘の私は、
すっかりオバチャンになったけれども、
まだまだナマだ。
 生きている。
 現在進行形の親子なのだ。
 心の奥の、
奥の奥の奥の、
そのまた奥の内側に押し込めて、
無かったことにしておいた心の膿を、
この際思いっきり押し出して、
ちゃんときれいに仲直りしようじゃないの。
 「愛してる」が、口から出るとき「死ね馬鹿野郎」と変換される父。
 「わかってよ」が、口から出るとき「くそじじい」になる私。
 今度こそ、
面倒を力でねじ伏せる母の采配を受けずに、
しばらく冷却期間を置いて、
自然治癒しようじゃないか。
 今年は、大みそかも正月も無い。
 親子関係の大掃除だ。
   (了)
 
 

(しその草いきれ)2009.12.29 あかじそ作