「 お告げ? 」


 時々あるのだが、
耳元に音の無い声で耳打ちされることがある。

 子供の頃は、
「そっち行ったら危ないよ」
と言われた。

 地下鉄サリン事件の朝、
まさにその地下鉄に乗って出掛けようとしていたら、
「出掛けるのは、昼過ぎにするんだ」
と聞こえた。

 その日、夫の耳には、
「地下鉄はやめろ、JRで行け」
と聞こえたそうだ。

 その声にいつも素直に従ってきたおかげで、
私は、今も無事に生きている。

 あせって仕事を探している時には、
「慌てなくても、もうすぐぴったりの仕事に就ける」
と聞こえ、
そしてすぐに、自分に向いている配達の仕事に就けた。


 その声を、最近、また聞いた。

 配達の仕事中、ふと、
「仕事って、
【てっとり早く合理的に済ましちまえ】
ってものじゃないんだ。
 遠回りになってもいいから、
ひとつひとつ基本に忠実に、丁寧に確実にやろう。
【当たり前のことを当たり前に、誠実に仕事すること】が、
実は、一番重要で、一番の近道なんだ」
「子育てもそうだ。人間関係も。
基本は、みんな同じなんだ。
 奇をてらわず、一個一個に魂を入れて、基本を守ること、
それが一番なんじゃないかしら」
と、思っていたら、
「やっとわかったか。では、次のステージに進もう」
という声が聞こえた。

 「え?」
と、思っていたら、
今度は、
「一生続けられる、小さな商売を始めるといい」
と聞こえた。

 「え、え、え? 何すかそれは」

 商売?
 思ってもみなかったことだ。


 ・・・・・・いや、ちょっと思ってみたこともあったかな?

 「私は、タバコ屋のおばあちゃんになりたいな」
 「年をとっても仕事を持って、細々と死ぬまで仕事をしていたい」

と、かつて言っていた時期があった。

 待てよ。
 いや!
 待てよ待てよ!

 小学生の頃、
年の離れたお兄ちゃんがたくさんいる友だちをうらやましく思い、
「私もお兄ちゃんがたくさん欲しいなあ」
といつも思っていた。
 そして今、私によく似た長女には、
年の離れたお兄ちゃんがたくさんいる。

 「顔がもっとちっちゃくて、中肉中背で生まれたかったな」
と思っていたら、
長女は、顔が小さく、中肉中背で生まれた。
 
 私と長女は、別の人間だけれど、
顔と性格が似ている分、
私に兄がいたら、こうだろうな、
私の顔が小さくて中肉中背だったら、こんななんだろうな、
という風に容易に想像ができる。

 「子供は、5人。
それも、父方のおばあちゃんみたいに、
お兄ちゃんがいっぱいいる、女の子の混じった5人構成で産みたい」
と思っていたら、その通りになった。

 土砂降りの雨の中、
ずぶぬれになって配達してくれる郵便屋さんを見て、
「こういう一見地味だけれど、重要で責任のある肉体労働って、かっこいいな」
と思っていたら、
今、ちゃんと、その配達の仕事をしている。

 あれ?
 あれれれれえ?

 叶ってる?
 小さな願い、みんな叶ってるんじゃないの?

 願ったこと、一個一個、みんな微妙に叶ってるよ!!!

 小さな小さな、
私自身も気づかないような、
ほんの小さな希望の砂粒が、
忘れたころに結晶化している。

 なんだこれ〜〜〜?

 それじゃあ、私、
晩年は、いよいよ、
タバコ屋のおばあちゃんになるのか?

 そのとき、急に、もう一声聞こえた。
「願い続けられたら、それは、叶う」
と。

 「願い続けられたら」
―――か。

 願うことはできるが、
あきらめずに、ずっと願い続けること―――

 願いを叶えようと、
努力をやめないこと―――

 それって、きっと、
当たり前で、誠実で、遠回りだけど、
一番重要で、一番の近道なんだろうなあ。

 それに気付くことこそが、
このステージをクリアするため、
次の扉を開くために、
必要な鍵だったのね?


 納得。


      (了)


(しその草いきれ)2010.11.23.あかじそ作