「 憑き物憑いてます 」


 よく、「憑き物が落ちたように」などという表現がされるが、
今年の初めに、実感として、この感じがよくわかった。

 何なのだろうか?
 本当に、年が明けたとたんに、
何の脈略も無く
「ふっ」
と、気持ちが軽くなったのだった。

 たしか、昨年、今年と、
私は、大殺界か何かに入っているらしいが、
それにししても、こんなにもわかりやすく
「くんっ」とスイッチが切り変わったのがわかるものだろうか?

 昨年中は、
何をやっても空回り、
どこに行っても大失敗、
頑張れば頑張るほどひんしゅくを買って、
落ち込めば、どこまでも底なし沼のように落ち続ける、
悪夢のような一年であった。

 それが、正月から、
きっかけなど何も無いのに「気が楽」になり、
「何とかなるさ」という気分になって、
昨年一年私を支配していた「絶望感」が薄らいでいる。

 なん〜〜〜じゃこりゃ。

 確かに、昔から「年回り」というものがあると言われているが、
本当にあるんだ、あるんだぞ、これは!
 ・・・・・・と、痛感している。

 結局、何をやっても、ダメなものはダメ、
「今は機が来るまでじっと息を殺して待つのみ」
という時期というものがあるのだろう。

 何が何でも、
がむしゃらに、
前後不覚に、
いつもいつも、全身全霊で全力投球しても、
それが通じない年回り、というのがあるのだろう。

 そういう時は、
じたばたせずに、
じ〜〜〜っと、
竜巻が過ぎ去るのを地下室で待つように、
静かに暮さざるをえない。

 いや、静かに暮らすべきなのだろう。

 来るべき「バリバリ絶好調」の年回りに備えて、
何も考えずに、じ〜〜〜っと休むべきなのだ。

 昼間しっかり働くためには、
夜は、しっかり眠ること。

 そんな風に、人生を生きていく上で、
時々、
目を閉じて、じっと眠るべき年月が存在するのだろう。

 中学生の頃と、大学時代には、
どんなしんどいことが起きても、
痛くもかゆくもなかった。
 今だったら、立ち直れないようなひどい事を言われても、
まったく平気だった。
 傷ついても、瞬時に、回復できた。
 傷ついたことすら、気付かないほど、
ダーティーなことには、無神経になっていた。

 それは、きっと、
憑き物が落ち切って、
自分が絶好調の時期だったからだろう。
 一年中、真夏の炎天下にいるように、
気分は、いつも「ピーカン」だった。


 私は、占いをあまり信じないけれど、
「年回り」というものは、否めなくなった。

 昨年自分を覆っていた真黒な曇から、
薄日が差してくる感じ。
 これって、もう、神様の領域だろう。

 自分がどう頑張っても、
お天気は、自然の、神様まかせなんだからなあ。

 いやあ、それにしても、
黒い黒い雲の隙間から、細〜く射す光の筋!

 ありがてえな〜!

 ありがてえな〜〜〜おい!!!
 拝んじゃうよ!
 ホントによお!



 (了)


(話の駄菓子屋)2011.1.25.あかじそ作