「 次男、オーストラリアに行く @ 」

 次男が小6の時、
市内の全小学校で、各3人づつ、
「ちびっこ海外ホームステイ」のメンバーを募集していた。

 何でもかんでも立候補する次男は、
もちろんこれにも立候補したのだが、
あえなくジャンケンで負け、
泣きながら家に帰ってきたのが
昨日のことのように思いだされる。

 あれから5年。
 次男は、決してあきらめては、いなかった。
 中学の3年間、勉強全般、振るわなかったのだが、
なぜか英語だけは、ずっと、ほぼ満点であった。

 特に英語を習わせたこともないし、
次男については、勉強うんぬんよりも、
人間としてもっとちゃんとしてもらいたい、
という希望を持っていたので、
これは、非常に意外なことだった。

 定期テスト前でも、他の科目同様に、
英語も「ノーベン」(一切勉強しないこと)だったのに、
英語だけは、好成績。

 成績がまあまあ良かった長男も、
なぜか英語だけは苦戦していたので、
ノーベンで満点をとる次男に対して、
「何でだよぉ!」
と、しょっちゅう怒っていた。

 何でなのだろう?
 でも、思い当たるふしが、無きにしも非ず。

 アカンボの頃に、ネイティブの英語にずっと晒されていると、
脳が英語の発音を聴き分けられる、つまり「英語耳」になるという。

 初めての子に対して、気合いの入っていた私は、
長男が2歳の頃、アンパンマンの英語ビデオを見せていた。

 その成果もあり、長男は、
若干2歳にして、英語の発音が半端じゃなかった。

 日本語も怪しいのに、
英語ばかりがやたらとスムーズで、その上、
英語の部分だけ1オクターブ低い声で腹から声を出すので、
凄く可笑しい。

「おかあたん、テレビみて〜。おっきい【ホゥウェ〜〜〜ゥル】だね〜」
と、ケインコスギばりに英語だけ発音がいい。

 他にも、動物園に行けば、
「【ゴゥゥルィ〜ルァ〜】こわ〜い」
とか、
「【ペングィン】かんわいい〜」
とか言っていった。

 2歳の長男が、ミニケインしている姿を、
「おお、おお、可愛いのう」
と、母が目を細めて見ていたその横で、
金太郎の腹掛けいっちょで、
その辺の畳に転がされていた0歳の次男は、
よだれと鼻水とうんちとシッコを垂らしながら、
一緒にアンパンマン英語ビデオを、
口を半開きにして、べろをちょっと出して、
ホンゲ〜〜〜〜〜ッ、と見ていた。

 「アカンボは、ビデオ見てれば大人しくて、いいやね」
と、その頃は、それくらいにしか思っていなかったのだが、
実は、それが、思いがけず、
次男の英語の素養を培っていたのだろう。

 幼少時、身も心もバカボン然としていた次男が、
中学に入り、英語力を俄然発揮しだした時は、
「何かの間違いか?」
「前世で欧米人だった記憶が残っているのか?」
とか、いろいろ思ったが、
まさか、このことが、
今回のオーストラリア行きに関わってくるとは、
夢にも思わなかった。

 「オーストラリアのホームステイに申し込むからね」
次男は、学校からもらってきた、
ホームステイ募集の手紙を私に手渡しながら言った。

 高校入学前から、次男は、
「絶対ホームステイに行くから」
と言っていたし、
そのためにバイトをして貯金をしていることも知っていた。

 しかし、ホームステイには、30万円弱掛かるのに、
次男は、バイト代が入るたびに、
ユニクロやg.u. で、何十枚も新しい服を買ってきたり、
ディズニーランドの年間パスポートを買ったりして、
そのほとんどを使い果たしてしまっていた。

 貯金残高がごくわずかになってきていたり、
学校の英語の成績が落ちてきているのを見て、
「ホームステイ行くのやめたの?」
と、時々、釘を刺していたのだが、
「僕は、着たいものを着るし、ディズニーは、毎月行く。
だからホームステイも、
絶対行くと決めているんだから、絶対行くんだよ」

 と、ふんぞり帰って、
何だか、名言でも吐くように、
えらっそ〜〜〜に、語るのである。

 「あっそ! でも、行くなら自分で貯金するんだよ!」
と言うと、
「え〜〜〜〜〜」
と口を尖らせる。

 「友だちはみんな親がお金出してくれるのに、
何でウチは僕が自分で稼がなきゃいけないんだよぉ」
と言うので、
「じゃあ、やめれば」
と言ってやると、
「行くよ! 貯めてやる!」
と、むきになって言う。

 さてさて、ホントに貯まるのかね、
と思っていたら、半分の15万しか貯まらなかった。

 案の定、毎月給料日ごとに、
東方神起もマッツァオな、イケメンファッションを買ってくるので、
残るわきゃ〜ない!

 バカボンそっくりなルックスで、
東方神起みたいなシャラ〜ンとしたスーツを着るので、
みんな顔をそむけて「うぷぷ」と吹き出してしまうのに、
本人、すっかりその気でスカシている。

 偉そうに啖呵を切ったくせに、
半分しか貯まっていない事実に私は、あきれ、
「ほら〜、結局半分は親が出すことになったじゃないか〜」
と言うと、
「半分しか出さないくせに、偉そうに!」
などと、反撃してくる。

 「何だぁ? 今、なんつった?」

 これまで私は、
体に無理をさせて仕事を早めに終わらせ、
何度も次男の高校に出向き、
数時間にも及ぶ、「保護者説明会」に通った。

 パスポート代も、証明写真代も、
求められるままに出してやった。

 疲れている日も、具合の悪い日も、
学校に呼ばれれば、飛んで行った。
 次男のバイト代だけでは、絶対足りないだろうと思い、
仕事を増やし、夕方も、夜中も、仕分けをし、
1日も休まずに炎天下の配達を頑張った。

 それで、もう、体力も限界に達し、
無意識に茶の間で横になっていることもあった。

 そんな、ホームステイに行く日まであと数日、という時、
次男が、ホストファミリーに提出する書類をろくに書かずに、
ゴロゴロ居眠りしているので、
「昼寝してないで、早く準備しなよ〜」
と私が言うと、次男が、
「お母さんもゴロゴロしてるくせによ〜!」
と言ったから、たまらない。

 頭の中で、
「ブッチブチブチブチ〜ッ!」
と、たくさんの回線の切れる音がして、
私は、完全に鬼と化してしまった。

 「テ〜メ〜、誰のせいでゴロゴロしちゃうと思ってんだ、このヤロ〜!」
 「あ〜〜〜〜〜〜、やめた、やめた! ホームステイなんてヤメだヤメ!」
 「もう金も出さなきゃ、説明会も成田空港の送り迎えも行かねえよ!」
 「オメェの親なんて、あほらしくて、やってられっか!」
 「ブワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜カッ!!!」

 私は、大暴れし、
その辺にあったコップやノートやリモコンや洗濯物を、
ぶわ〜〜〜〜〜っ、とぶちまけ、
「もう知るかっ!」
と言って、2階に上がり、ふて寝してしまった。


 夕日が2階の和室の畳をオレンジに染め始めた。
 エアコンの無いその部屋で、
大汗をかきながら大の字で寝ていると、
音もなくそっと5歳の長女が入ってきて言った。

 「おかあさん? おきてる? 
 【と〜ほ〜しんき】(わが家での次男のあだ名)には、
 ウチが、おこっておいたから〜」

 「ん? 怒っておいてくれたの?」

 「うん。だって、おかあさん、
【と〜ほ〜しんき】のために、がんばってるのに、
ぜんぜん、わかってないから、おこってやったの」

 「ありがと・・・・・・幼稚園児でもわかってくれているのに、
本人には、なかなか伝わらないもんだよねえ・・・・・・」

 「うん、そうなのよね」

 持つべき者は、同性の話し相手だ。
 長女は、5歳にして、すでに、
チーママの素質を持っている。

 私は、冷静さを取り戻し、
階下に降りて夕飯を作り始めた。

 次男は、その時、玄関にいて、バイトに出かけるところだった。

 「行ってきます・・・・・・」

 「・・・・・・はい。気をつけて。」

 いつものように声を掛け合い、次男は、出掛けていった。


 翌日、次男は、学校から帰るなり、
「おかあさん、ちょっと、ここへ座ってください」
と、妙にかしこまって言い、
台所で刻みかけのキューリをかじっている私に手招きした。

 「いいから、ここに座ってください」
 次男は、茶の間の真ん中に正座をし、
自分の前に置かれた座布団を何度も指さしている。

 「何だよ、お前は、波平かよ〜。何、かしこまって〜」
と、タオルで手を拭きながら、そこに座ってやった。

 (例のあの件だろうな)
とは、推測できたものの、わざと、知らん顔をしてみた。

 「あのあのあのあの・・・・・・」
 次男は、口ごもり、なかなか用件を切り出さない。

 「何だよ、忙しいんだから、早くしてよ」
と、急かすと、
「あのあのあのあの、先日は、僕の勝手な言動により、
お母さんに酷いことを言ってしまい、すみませんでした」
と、両手をついて謝った。

 「はは〜〜ん、
成田空港送迎は、親が付き添わないとダメだ、って、
先生に言われたからでしょう?」
と、にやけながら私が突っ込むと、

 「いえ、それもありますが、申し訳ないことをしたと、
自分でも反省していますので、
もしよろしければ、冷凍庫の中のハーゲンダッツをお納めください」

 「え? 何味?」

 「お母さんの好きな、サンドイッチになってるバニラのヤツです」

 「お! そうか、そうか! いいねえ! ・・・・・・って!
 お前、お母さんに怒られた時のお父さんと、やり口が同じじゃないか!!!」 

 「あ、はい、ばれましたか」

 「みんなして、人に甘いもの上納すりゃあ、機嫌が直ると思いやがって・・・・・・

 そうは、いくかい! まあ、アイスは受け取る。
 でも、自分のどこを怒られたのか、きちんと考えなさいよ! わかった?!」

 「ははあ!」


 「ホントにやることがお父さんに似てるよ・・・・・・」
 三男四男は、すぐ横で、ニヤニヤしながら言った。
 「顔がお母さん似で、中身がお父さんなんだよな・・・・・・」
 「変なの! 気持ち悪いな、混じってて」

 (おいおい、おまえら、その悪口、全部聞こえてるっつーの)


 と、まあ、
こんなこともあり、あんなこともあり、で、
とうとう、オーストラリア行きの当日になった。

 午前中に急いで仕事を終わらせ、
昼過ぎから、次男と私は、大きなスーツケースを引きずりながら、
地下鉄やらJRやら京成電鉄やらを乗り継いで、
夕方には成田空港第2ターミナルに到着した。

 この大きなスーツケースを買うのにも、
これまたすったもんだいろいろあったのだが、
これは、まあいいや。

 空港に行く道すがら、
事前に必死で列車の乗り継ぎを調べてプリントアウトし、
その紙に顔面貼りつけている私を横目に、
次男は、携帯でずっとメールのやりとりをしているのだ。
 ひとっことも話さずに。

 「次は、青砥だから、乗り換えね!」
と、私が言うと、
「お母さん! 声でかい!!!」
と、凄い形相で怒ってくる。

 「ちょっと〜、乗り換え駅とか覚えておきなよ」
と言えば、
「声でかい!」
と、すぐ怒る。

 「誰とメールしてんのよぉ! 誰? 何だってか? 何何?」

 「友だちだよぉ! 電車乗り継ぎ間違えた、って言うから教えてるんだってば」

 「今どこだって? お母さん、その子に直接教えてあげようか? ん? ん? ん?」


 「声でかいの! お母さんは〜!」

 「え? うざい? お母さんウザママ? ウザすぎママ? うききききき」

 「し〜ず〜か〜に〜!」

 わざと、ガン〜〜〜ガン、からんでやる。
 ざまあみろ、うきききききき〜〜〜!


 成田空港第2ターミナルの国際線出発ロビーに着くと、
見渡す限りの広いスペースに、
有名ブランドがたくさん出店して、空港限定品を売っていたり、
日本らしいお土産をどっさり置いている店や、
レストランや、マクドナルド、本屋に雑貨屋などが、
ずら〜〜〜〜〜っ並んでいて、
次男も私も、すっかりテンションが上がってしまった。

 手ぬぐいや、風呂敷を買ったり、
にぎり寿司そっくりのマグネットを買ったり、
ふたりで、キャッキャキャッキャ言って、
集合時間ギリギリまで、自分たちの買いものに夢中になってしまった。

 「あ、時間だ!」
 と、急いで集合場所に行くと、
次男は、すっ、と友だちのところに行ってしまい、
そのまま搭乗手続きに入り、あっという間にいなくなってしまった。

 「おいおいおいおいおい」

 「いってらっしゃい」も「ありがとう」も無く、
いつの間にか、どこかへ行っちゃったよ・・・・・・

 まあ、男の子の巣立ちというものは、
概して、こういうものなのかもしれないな。

 散々、親の手を煩わせたかと思えば、
「じゃあ」でも「それでは」でもなく、
挨拶抜きで、ささ〜っ、と、どっかへ行っちゃうのだ。

 私は、夜8時過ぎ、
1人で乗りなれない京成の特急に乗りながら、
次男にメールを打ってみた。

 「機内食の後、風邪薬、忘れずに飲みなさい。
 それでは、VIVA! 青春! Take Off!!」

 飛行機の絵文字も付けた。

 しばらくして、返信が来た。

 「Thanks! Good−Bye!」

 飛行機の絵文字の横に、走って砂埃が舞っている絵文字。


 ああ、ああ、行って来い! 行って来い!

 お前の青春は、まだ始まったばかりだ。
 大人になれば、楽しいこともたまにはあるけど、
ほとんどが、つらいことばかりだったりもするよ。
 だから、今こそ、精一杯、エンジョイしたまえ! 
 我が、親愛なるバカボンよ!

 もとい、東方神起よ!



 (つづく)

(子だくさん)2011.9.13.あかじそ作