「   LINE依存症?  」


 高2の三男が使うスマホが壊れたとかで、
携帯ショップに行って修理に出したら、
データが全部消えてしまったという。

 「バックアップ取ってなかったの?」
と聞くと、
「バックアップって何?」
と言う。

 三男は、私に似て、生まれもってのアナログ人間だ。

 父親がパソコンの講師をしているのに、
ほとんどパソコンを使えないし、
スマホも全然上手に使いこなせていないらしい。

 うちの子供5人のうち、三男以外の4人は、
誰が教えるでもなく、コンピュータも携帯もスマホも、
どんどん使えるようになっていっているのに、
「機械ってヤツの意味がわからねえ」
と、まるで私が言うようなセリフを言う三男。

 今どきそういう子も珍しいようで、小さいころから、
ほとんどの子がゲームで遊ぶのが主流なのに、、
三男は、公園で思いきり走ったりボール遊びをしたりしていた。

 今でも、暇さえあれば外に出て、
ボールで遊んでいる。

 しかし、こういう昭和のノリの子にとって、
現代というものは、非常に生きにくく、
近所の公園には、ことごとく、
【ボール遊びは危険なので、禁止します】
という看板が掲げてある。

 ひどいところには、
【危険! 走るな!】
という公園もある。

 一体、今どきの公園は、
何のために、誰のためにあるのだろう?

 昔は、小学生が学校に行っている間に、乳幼児が親に連れられて公園で遊び、
夕方になると、小学生が、公園で野球をしたり追いかけっこをしたりしていて、
時間帯によって遊ぶ年齢層が分かれていたので、
お互い好きな遊びをできていたように思うが、
今は、夕方公園遊びをする小さい子も多い。

 それに、公園のベンチで仮眠する営業マンもいれば、
犬を放して走らせる人もいる。

 若いお父さんが、自分の子供に、野球のノック(マジのヤツ!)をするのも見かけた。

 お年寄りがゲートボールをしたり、リハビリで歩いているのもよく見る。

 要するに、いろんな人がいるから、
極力、全員が危なくないように、
球を飛ばしたり、早く走ったりする者は、
お金を払って専用の場所でやりなさい、
というムードになっているのだ。

 だから、放課後に子供が集まって、
公園の木陰やベンチで車座になり、
おのおの下を向いてゲームをして遊んでいても、
周囲は、「大人しくてよろしい」と理解を示し、
一方、走り回り、興奮して大きな声で走り回る子供は、
「危険だ」「うるさい」「邪魔だ」と言われ、
煙たがられるのだった。

 しかし、興奮してうるさくて、走り回るのが子供というヤツじゃないのか?

 学校でも「走るな」「騒ぐな」「足並み揃えろ」と言われ、
公共の場所でも「静かにしろ」「動くな」と言われ、
公園でも騒ぐなと言われたら、
子供は、どこで子供らしい自然なエネルギーを放出したらいいのだ。

 わざわざ会費を払ってスポーツクラブに加入して、
親がかりで「スポーツ」するしかないのか?

 「スポーツ」なんかじゃなくて、
本当に、「ただ走りたい」とか、「ただボール投げをしたい」とか、
「ただ大騒ぎしたい」という、ごくごく自然な「子供の仕事」は、
どこですればいいのか?

 騒いで、怪我して、大人に怒られて、
そうやって、少しづつ、
騒がなくなったり、走り回らなくなったり、
場所をわきまえたりできるようになっていくんじゃないのか?

 生まれてすぐから、
「騒ぐな」「走るな」「はしゃぐな」と言われた子供は、
体の中に自然に発生する力をどんどん蓄積させ、もてあまして、
弱い者いじめや、異常な犯罪で、発散するしかないんじゃないのか?

 抑圧された子供時代を送ったために、
大人になって、家庭内暴力や幼児虐待をしてしまうんじゃないか?


 社会の問題のほとんどは、
子供時代の環境に関係しているんじゃないか、と私は、思う。

 大人の都合のいい子供を作ろうとする、
そういう大人のエゴが、
結局、不自然な社会を作ってしまっているのではないか?


 ・・・・・・とまあ、そんな社会で、
生きにくい人生を送っている、アウトドア派の三男だが、
突然、友だちとの連絡手段のスマホを失い、
愕然としていた。

 部活の連絡網もあるが、
今どき、家電で連絡しあう高校生など、皆無に近いらしい。

 また、家電も家電で、
企業からのしつこい電話勧誘をシャットアウトするために、
登録した番号にしか出てくれない家庭も多い。

 そもそも、電話ひとり一台の時代に、
家電自体を持たない家庭もある。

 だから、連絡網を見て友だちの家に電話をしても、
出てくれないし、出てくれたところで、
留守だの何だので、高校生の息子には、全然つながらないのだった。

 部活の連絡も来ない。

 集合時間も、連絡事項も聞けない。

 そういう状況で、データのすべて消えたスマホを持っていても、
電話は、掛かってきやしないし、掛けることもできない。

 また、三男に言わせると、
今どき、電話なんてしないらしい。
 メールすらしないとも言う。

 全部、LINEで連絡するから、
連絡先なんて、知らない、と言うのだ。

 常に、スマホを片手に持っている。
 常に、ポンピン♪ ポンピン♪ と、短い着信音が鳴っている。

 いよいよ、アナログの同志、三男にも置いて行かれた。

 スマホの修理が済んで、忘れてしまったパスワードを再登録して、
2週間ぶりにやっとLINEを再開した三男は、
やっと通常の社会生活に戻ったようだった。


 ねえ、ちょっと〜。
 そんなに常に常に、誰かとつながっていないと怖いの?

 ひとりで静かに過ごしたい時や、
本を読んでいる時、映画やテレビを観ている時、
風呂に入ったり、爆睡したりする時は、
ポンピン♪ が、邪魔じゃないの?

 ♪会えない時間が〜、愛育てるのさ〜♪ ・・・・・・じゃないのかよぉ〜?! 

 常に常に誰かとつながっていて、
ひとりぼっちの時間を持たないでいると、
愛も、自分自身も、全然育たないんだぞ〜〜〜!!!

 ひとりぼっちで淋しい孤独な時間だけが、
お前を大人にしてくれるんだけどなあ〜〜〜!!!



 スマホの壊れてる休日、
三男は、中2の四男を連れて、
自転車で往復2時間かかる沼まで釣りに行ったという。

 私が、仕事に行っている間にだ。

 何の音沙汰も無く、いつまでも帰ってこないふたりに、
心配性の私は、えらく気をもんでいたが、
夕方、二人で真黒に日焼けして帰ってきて、
「やっぱ釣れなかったな」
と、仲よく笑い合う姿を見て、ホッとした。

 いつもなら、
「連絡しないで水場に子供だけで出かけちゃダメでしょうが!」
と強く叱るところだが、今回は、何も言わなかった。

 携帯もスマホも、
親が子供の首に綱を付けたり、鈴を付けたりするために、
親自身が普及させた、という側面もある。

 子供が欲しがるからだけじゃない。

 親の都合でもある。


 今のLINE依存症傾向の社会も、
子供たちが軟弱だからではなく、
やっぱり大人の都合も絡んでいるのだ。


 「今、どこで何やってるの!」
 「心配だから、早く帰ってきなさい!」

 子供が外で育っている時間を、
親が信じて待つことができていない。


 だから、親も、
「子を信じて待つ」
という修行を怠けたらダメだよ、ってことか。

 やっぱり、親の愛も、
♪会えない時間に〜♪ 育てるってことね。


 人と人とが、本当につながるためには、
つながらない不安な時間をちゃんと持って、
愛を育てなくちゃなのねぇ・・・・・・。



  (了)


(子だくさん)2013.6.11.あかじそ作