「 定期検査 ’13 」


 左副腎にできた直径2センチ強の良性腫瘍が、
悪性に変化していないか、
異常に大きく育っていないか、
今まで以上にホルモンを過剰分泌していないか、
それらを調べるために、
年に一度の定期検査を受けてきた。

 この腫瘍は、今のところ、
命にかかわるような悪さをしているわけではないが、
しかし、全然無害、というわけでもない。

 前回、主治医に言われた病名は、
【クッシング症候群の疑い】
ということだった。

 ストレスの多い生活において、
ストレスと戦うために過剰にコルチゾールというホルモンが分泌され続け、
結果、将来的に、
高血圧やら糖尿病やらを引き起こしてしまうかもしれない、
ということだった。

 ストレスと言えば・・・・・・

 小さなころから、
どんな逆境の中でも頑張れてきた自分だが、
しかし、どうしても我慢できないのが、
夫の生活態度だった。

 夫は、常にダラダラダラダラしている。

 5人の病弱な子供たちの育児に追われて、
私がへろへろになって働きづめていても、
自分とは関係ないことのように、まったく知らん顔で、
横でパソコンをしたり、ごろ寝をしていた。

 話しかけても、ウンでもスンでもなく、
「態度が悪すぎやしないか?」と抗議すると、
壁に何度も頭を打ち付け、
「ンギイイイイイイイイイイ〜〜〜!!!」
と叫んだりするから、本当に気持ちが悪かった。

 そして、めんどくさくなったり、疲れてくると、すぐに、
「具合が悪い」と言って、
あからさまに可哀想な病人ぶって寝込み、
親としての仕事を平気で放棄する。

 昔、「冬彦さん」が流行ったが、
要は、あれだ。

 今のドラマで言うと、
「最強のドクター」に出ている高島弟だ。
 都合が悪くなると、すぐに「うう、うう」唸りだす。


 最近は、
「マジでいい加減にしろよ!」
と、私がドスをきかせて睨みつけているので、
さすがに、態度を改めようと努力しているようだ。

 毎朝、配達の仕事に追われる私に代わり、
夫が皿を洗い、洗濯物を干し、ゴミを出し、
高校生にお弁当を作っている。

 子育ての1億倍のストレスだ、【夫育て】は!


 さて、愚痴は、これくらいにして、
今日は、年に一度の定期検査の日であった。

 朝7時過ぎに家を出て、
7時半には、病院の正面玄関前で並ぶ。

 8時の開門までそこで待ち、
8時になったら、受付前の「予約席」に座る。

 そこで8時半まで待ち、
8時半になったら、自動受付機で受付をする。

 そして、今度は、正面受付で保険証の確認を済ませ、
血液検査の部屋に向かう。

 いちいち凄く待たされて、
いちいち凄くめんどくさい手続きがあるが、
病院は、そういうものだと諦めて、淡々と並ぶ。

 検査室では、まず、
採尿をして、その後、奥のベッドに案内される。

 ベッドで30分横になって安静状態を作り、その後、採血。
 安静時の血を調べるのだ。

 そして、そのあと、レントゲン室に行き、
CTを撮ることになっている。

 左の副腎を撮り、
以前より大きくなっていないかを確認するためだ。


 しかし、毎回思うのだが、
検査室で30分横になっている時、
眠っていればいいのだけれど、
人々の非常にリアルな会話が漏れ聞こえてきて、
耳がダンボになり、全然安静になんてできやしない。

 市井の人々の暮らしぶり、生きざまなどが、
30分間、音声のみでつづられて、
とてもじゃないけど、おもしろくて寝ていられない。

 前回の検査の時も、
カーテンの向こうから聞こえたことを書いたのだが、
今回も書かずにはいられない。

 大した事件や事故など、何も無い。
 ドラマティックでも、芝居がかってもない、
ただただ、グロいほどのリアリズムが、
私の神経にグリングリン刺さってきて、抜けないのだ。


 今回、カーテンの向こうから聞こえてきたのは、
こんな音だった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「皮膚科の病棟の看護師さん、もう来てるかな?」
 「内線掛けてみたら?」
 「そうよね」

 「・・・・・・あ、処置室です〜。あのぉ、30分後くらいに、佐伯さんの迎えに来てもらえます?
 はい。はいはい。そうです。入院中の。そう。佐伯・・・・・・あ、わっかりました!
 はい、お願いします〜。は〜〜〜〜〜い」

 「くるって」

 (以下、こそこそ声で)

 (こそこそこそこそこそこそこそこそ)
 (ええええええ〜! ホントに?)
 (こそこそこそそこそこそ)
 (はい。は〜〜〜い、はいはいはい)
 (こそこそこそこそこそこそ)
 (いやだぁ! そうなんですかあ?!)
 (こそこそこそこそこそこそこそ)
 (了解です! うぷぷぷぷ! ね? ホントよね? うぷぷぷぷ)
 (こそこそこそこそ)
 (いやだあ〜!)

 「は〜〜〜い、じゃあ、佐伯さん、こちらのベッドに寝ていただけますか?」
 「あ、はい・・・・・・」

 「温めますからね。熱かったら言ってくださいね〜」
 「はい・・・・・・」

 「だいじょぶですかぁ〜」

 「は・・・・・・い」

 「こことここ、こうやったら、どうですか〜?」

 「あ、あ、あの、腕のところだけ、何か掛けてもらえたら・・・・・・」

 「あ、熱かったですか? ごめんなさい。何かくるむ物持ってきますね」

 「あ、すみません。はい。あ、大丈夫です」

 「はい、じゃあ、ちょっとこのまま温めててくださいね」


 「押田さ〜ん」
 「あいあい」

 「押田のおじいちゃん、今日は元気そうね」
 「いや、そうでもねえよ」
 「今日は、この血管で行こうか?」
 「いや、そこは、かてえんだわ。こっちの細いのが取りやすいんじゃねえか?」
 「そう? じゃあ、こっち刺してみようか?」
 「ん」

 「・・・・・・・・・・・・ん? あれ? やっぱりちょっと細いね」
 「取れねえか?」
 「細すぎて、ちょっと刺さらないねえ」
 「じゃあ、やっぱ、こっち刺してみっか?」
 「そうですね・・・・・・いつも同じところで申し訳ないけど、やっぱりこっちじゃないと刺せないね」
 「じゃ、仕方ねえべな。トシとっちまってっから、仕方ねえのよ」

 「いえいえいえ、えっっと・・・・・・・・・・はい、何とかね。ほら」
 「上等上等」
 「今の針は細いから。ね?」
 「痛くねえな」
 「あら、よかった」


 「佐伯さん、じゃあ、採血して、そのまま抜かずに点滴しましょう」
 「はい」

 「あったまったかな・・・・・・?」
 「ああ〜〜〜〜〜〜。まだ刺さらないねえ・・・・・・」
 「はい・・・・・・」
 「・・・・・・あれ〜?」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・ああ〜〜〜ん!」
 「・・・・・・」
 「こっちにいい血管あるから、こっち刺しちゃダメ?」
 「ああ、ひじの外側は、曲がるから、あんまり・・・・・・」
 「ほらでも、ここならすぐ取れるから。今だけここで採血して、後で、病棟で直してもらったら?」
 「でも、ひじは、ちょっと、ずれやすくて・・・・・・」
 「大丈夫だと思うよ〜。ここ、すごくいい血管だもん。イケるイケる」
 「う〜ん・・・・・・じゃあ、はい・・・・・・」
 「・・・・・・ほら。ほらね、取れた。いい血管出てるわ」
 「はい・・・・・・」


 「三上さん、ちょっと温めていい?」
 「あ、はい」

 「・・・・・・熱くないですか?
 「大丈夫です」

 「ああ、いい感じいい感じ。三上さん、アルコール消毒大丈夫ですか? アルコールにアレルギーは?」
 「あ、私、ちょっとダメなんです」
 「はい、わかりました。・・・・・・これね。これ、アルコールじゃない綿だから」
 「はい・・・・・・」

 「・・・・・・はい、いいですよ〜」
 「ありがとうございました」
 「お大事にどうぞ〜。あ、内科は、突き当たって右です。は〜い」


 「あ、すみません、ここじゃなくて、あちらの待合室でお待ちいただけますか?」
 「いや、おら、ここで差し支えねえ」
 「いいぇ、あの、こちら、採血室ですので、できれば、あちらの待合室で・・・・・・」
 「問題ねえ」
 「いや、あの、ちょっと、ここは、困るんですけど」
 「おらは、ここがちょうどいい」
 「あ、でも、あちらでお名前呼ばれたら、聞こえませんよ」
 「聞こえるの。おら、遠くが見えるし、聞こえるの。おら、そういう人間なの」
 「あのでも、次の採血の方も見えますので・・・・・・」
 「血・・・・・・とる? おらの? とってみっか?」
 「いえいえ、結構ですよ。今度またね」
 「おらの血、ドロドロで注射詰まっちゃうぞ」
 「ええ?」
 「タバコ73年飲んでっから。すんげえから〜!」
 「あらあ〜〜〜」
 「73年飲んでっから! 1歳から飲んでっからよ!」
 「いやだ〜! またまた〜!」


 「ね? ひじの後ろで正解だったでしょ?」
 「う〜ん・・・・・・」


 「こそこそこそこそこそこそこそ」
 「いやん!」
 「こそこそこそこそこそこそこそこそ」
 「いやんいやん!」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ザザッ!

 「あかじそさん、お待たせしました〜。」

 カーテンが開いて、看護師さんが入ってきた。

 チッ!

 面白いから、もうちょっと聞いていたかったのに・・・・・・

 私は、肉体労働者丸出しの、ムキムキの焼けた腕を差し出し、
太くてしなやかな血管を看護師さんに見せた。

 「ま〜〜〜! 凄くいい血管!!」

 温めなくてもいいし、他の血管を探さなくてもいい。

 「ここに刺すべし!」
と言わんばかりに、プリプリした血管がひじの内側に浮いていた。

 「アルコール大丈夫ですか?」
 「全然大丈夫です」
 「は〜い」

 「はい、何本か、とりますね〜。
 わ〜、いい血が出てくる出てくる!」

 ・・・・・・ホントに病気なのか? 私は?

 いつもいつも疲れ果てていて、
あちこちイタイイタイ言っているけれど、
いざ、病院に来て、
他の人たちのよぼよぼ加減に比べたら、
元気ビンビンじゃないか?!

 私は、起き上がり、CT室に行く準備を始めた。

 看護師さんにお礼を言って、採血室を出た時、
背中越しにいくつかの声が聞こえた。


 「トシとっちまってるから、しゃあねえんだ、ハハ」

 「佐伯さ〜ん、病棟行きますよ〜」

 「73年飲んでっから〜!」

 「こそこそこそこそこそ」 

 「いやだ〜!」



 なんか・・・・・・

 完璧目指して、
クソ真面目にキチキチ生きているの、
バカらしくなってきたな・・・・・・

 みんな、年取れば死ぬし、
トシ取らなくても、死ぬこともあるけど・・・・・・

 別に、悲観しなくてもいっか・・・・・・。

 しゃあねえんだ〜〜〜、って感じで。

 73年飲んでっから〜〜〜、って感じで。


 日々の小さなクサクサは、バサ〜ッ、と忘れて、
楽に生きてみようかなあ・・・・・・

 コルチゾール出てっから〜〜〜!




  (了)

(しその草いきれ)2013.9.10.あかじそ作