「 程度の差こそあれ、みなゴミ屋敷 」


 最近、よくテレビでゴミ屋敷のことを取り上げているが、
ゴミ屋敷の住人は、たいてい、こういうセリフを言う。

 「それは、ゴミじゃないから」

 「いつか使うから、置いてあるの」

 (このセリフ・・・・・・最近どこかで聞いたな〜)

と、思ったら、うちの子供たちが、言っていたのだった。

 特に、ディズニーの服やグッズを連日買う次男、
古本屋で、漫画を毎回10冊単位で買い込む三男、
じじばばに上手に甘えて、大量のバッグや雑貨を買ってもらう長女。

 この三人の、物の貯め込み方が凄い!

 「片付けなさい!」と、年中言っているのだが、
一向に片付かない。

 自分のテリトリーをはみ出して、人の居場所まで浸食しているので、
「同じような物ばっかりたくさん買い込んで!」
とか、
「ゴミみたいに地べたに転がってるのは、捨てるぞ!」
と、叱ると、
彼らは、みな口をそろえて言う。

 「ゴミじゃないから!」
 「全部、必要なものだから!」

 じゃあ、しっかり片付けなさい、
そして、自分で管理しきれない分は処分しなさい、
と、言うと、
「ちゃんと自分では、どこに何があるか把握してるから、勝手にいじらないで!」
と言うのだ。

 私も、決して片づけ上手ではない上に、
買い物が好きなので、持ち物が多く、
しまい場所が決まらずに、保留にして山積みしているコーナーがある。

 人の事は言えないのだ。

 「これは、いい。価値がある」
と思うから、店で買ってくる。

 その物を手に入れることである程度満足してしまい、
使わすにあちこちに置いたままになってしまう。

 物を買い集めるのが好き。
 物を分類したり、収納したりするのが苦手。

 はい、これはもう、ゴミ屋敷と同じシステムなのだ。

 ゴミ捨て場から拾ってくるのと、おしゃれ雑貨屋で買い求めるのとだけの違いで、
やってることは、まるで同じ。

 「手に入れることの興奮」
 「取っておくことの安心」
 「整理や処分をする気力が皆無」

 「ゴミ捨て場」発の物か、「販売店」発の物かの違いだけ。

 本人以外の人が見たら、みんなゴミ。

 程度の差こそあれ、みんなみんな、
「ハタから見たらゴミにしか見えない物」に囲まれて暮らしているんじゃないか?

 過剰に備蓄して、
心の奥底の不安感や喪失感を埋めようとしているけれど、
頭の中の混乱は、増すばかり。

 わけわからなくなって、しんどくなって、
ゴミの中で、ため息をつきながら暮らしているのだ。


 私もだけど、多くの人が、おそらく、
買い物をして、物を手に入れて、
ストレスを解消しようとするとjころがある。

 しかし、「ゴミ」ばかり増えて、ストレスは減らず、
ますます、地獄のような悪循環に陥っているのだ。

 「断捨離」とか「こんまり先生」が流行るのもわかる。

 みんな、この悪しき循環を断ち切り、
サイクルを逆回転させて、
気持ちのいい暮らしをしたいと望んでいるのだ。

 私は、ゴミ屋敷の番組を見て、
胸のざわめきを感じずにはいられない。

 自分が責められているような気がしてくる。


 人から見た価値より、自分の価値で選んだ物に囲まれて、
オリジナリティあふれる生き方をしたい。

 でも、それって、きっと、
程度の差こそあれ、
みんな「ゴミ屋敷」ってことだよね?


 良いとか悪いとかでは、ないよね?
 もっと、深い闇があるよね?

 ゴミ屋敷の住人を、誰も嗤うことは、できないのよね!


  (了)

(話の駄菓子屋)2015.7.7.あかじそ作