あかじそサスペンス劇場

健康ランド殺人事件

 三男が幼稚園から地元健康ランドの割引券をもらってきた。
 私・あかじそは、小3を頭に4人の男児を育てているが、
両親(じじじそ・ばばじそ)の日頃の協力に感謝の気持ちをこめて、
日曜に健康ランドへ招待した。
 父と母へのねぎらいの気持ちで計画したのだが、
これが後に、とんでもない事件へと発展していくとは、
誰が予想できただろうか?
 
 
 [2月17日(日) 午前10時半]

 私の車に、じじじそ・ばばじそと、4人の子供たち、
そして、半日だけ仕事の休みをとった夫が、
いつものように、ああじゃねえ、こうじゃねえ、
と、もめながら乗り込み、地元の健康ランドへと向かった。
 途中、ばばじそが、
「なんだか、嫌な予感がする・・・・・・」
と、つぶやいたが、
「いつも嫌な予感だらけだよ」
と、私が笑い飛ばした。
 勘のいい母のそのひとことを、私があの時、きちんと聞いていたら、
私たち家族が、あんな忌まわしい事件に巻き込まれることはなかったのかもし
れない。

 [午前11時]

 我々は、健康ランドの受付にいた。
私が、割引券を出して、
「男2名、女2名、小学生2名、幼稚園児1名、アカンボ1名」
と言うと、受付の女性が、不審な顔をした。
 そして、チラッ、と横目で見た、その視線の先には、私の夫がいた。
 夫は、【KILL YOU!】とプリントされた黒いTシャツを着て、
不気味な笑みを浮かべ、遠い一点を見ていた。
 その視線の先には、フロントでいきなり全裸になり、
従業員にしかられている、じじじそがいた。
 かくして、我々は、男湯・女湯に別れて、浴場に入ろうとした。
 リネン担当の女性が、
全裸のじじじそに男物のアロハを渡し、
ばばじそと私に女物のムームーを渡し、
子供たちにチビッコ用アロハを渡した後、
夫に女物のムームーを渡した。
 夫は、快くそのムームーを受け取り、男湯へと入って行った。
「んっ?」
と、思ったが、身長160センチで小太りの夫は、
よく「おばちゃん」に間違われるから、今回もまた、
女と思われたのだろう。 
 夫は、ムームーを返すどころか、
「どうもありがとう」
と、非常に紳士的にそれを受け取り、
男湯の暖簾の中へと吸い込まれていった。
 夫のことだ。
何にも考えずに風呂に入り、
「うい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
と、うなったり、
「く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
と、うなったりしながら、まったりとっぷりと風呂を満喫し、
ロッカーからパリンパリンにアイロンのかかったムームーを出し、
ふぁほっ、と、全身にまとうまで、気づくまい。
 いや、着た後も、それが女物だということに気づかないかもしれない。
そういう、とっちゃん坊やなのだ。
 長男・次男は、裸のじじじその股間を、自分達のアロハで隠して、
わいわいと男湯へ入って行った。
 三男・四男は、ばばじそと私に連れられて女湯へと入った。

 そして、事件の足音は、コツリコツリと、我々に歩み寄ってきていた。

 [午前11時半]

 じじじそは、ひとりロビーで、シャツと股引と腹巻の姿で、
テレビを見ながら煙草を吸っていた。 
「俺の辞書に【入浴】の文字はない」と豪語するだけあって、
風呂には、ほとんど浸かっていないと見える。
 髪もまったく濡れていず、顔も、起きたままのギトギト油で光っていた。

 [正午]

 待ち合わせ通り、女湯からは、
ばばじそと私がふたりの子供を連れてロビーへと出た。
 じじじその姿は、ロビーから消えていた。
しびれを切らして2階のゲームコーナーへでも行っているのだろう。
 一方、夫と上の子供ふたりの姿もない。
 こっちは、子供にせがまれて地下の温泉プールにでも行っているか、
ムームー姿で呆然と立ち尽くしているのか、
いずれにしても、時間を守れない夫のことなので、
誰も正午にロビーに現れるとは思っていなかった。

 [午後12時半]

 2歳の末っ子が、じっとしていられなくなってきたので、
ばばじそと私は、こどもふたりを連れて、
2階の軽食コーナーへと行ってみることにした。
 すると、ゲームコーナーで、
へろへろに酔っぱらったじじじそと、長男・次男が
UFOキャッチャーをしているではないか。

「あれ? お父さんは?」
 私が子供たちに聞くと、
「お風呂ではぐれた」
と、言う。

 子供が溺れないように見てて、と言ったのに、
なにはぐれてるんだよ、と、私は、イライラした。 
 非常に風呂好きな夫は、サウナやミスト風呂や、
露天風呂に夢中になり、子供の存在すら忘れているのだろう。
 とんでもないヤツだ。

 [午後1時]

 いつまで経っても夫が現れないので、
私たちは、先に食事を摂ることにした。 
 一面座敷の軽食コーナーで、
「のびたラーメン」や「カチカチの唐揚げ」、「干からびたポテト」などを
食べながら、風呂に続く階段を気にしながら見ていた。
 子供たちは、普段から出来そこないのオカズを食べなれているせいか、
「うまいうまい」と言いながら、もりもり食べていた。

 その時だ。
女たちのけたたましい悲鳴が、フロアじゅうに響いた。
 私たちは、水っぽいミソ田楽をかじりながら、
「なんだなんだー」
と、フロアへと出て行った。
 ふと気づくと、ばばじその姿がない。
まただ。
 また始まった。
 ばばじその江戸っ子根性!
「火事と喧嘩は江戸の花!」
と、悲鳴や、救急車や消防車のサイレンに瞬時に反応し、
現場に駆けつけるのだ。
 
 そしてやはり、ばばじそは、現場にいた。
2歳児を抱えて、現場に駆けつけた私が見たのは、
女湯で全裸で倒れている老女に、バスタオルを掛け、
従業員たちに、救急車を呼ぶ指示を出している、
「隊長」然とした、ばばじその姿だった。
   
「どしたのー!」

 私が人垣を掻き分けてばばじそのところへ行くと、
「ノーイッケツ、ノーイッケツ!」
と、ばばじそは叫び、
自分の指示で持ってこさせた冷たいオシボリを老婆の額に乗せた。

「看護婦さんですか?」
という従業員の問いに、
「いえ、ただのおばちゃんです」
と答え、壁の時計を凝視しながら、
老婆の首筋に自分の指2本を当て、脈を取っていた。 

「脈は?」
と問う従業員に、
「打ってる!」
と、即座に答える。
(数えろよ!)
 私は、心の中で厳しく突っ込みを入れつつ、
自分が羽織っていたカーディガンを老婆に掛けた。

「誰か、このおばあさんの連れの方、いらっしゃいませんかー?!」

 私は、大きな声で女湯の人たちに声を掛けたが、
誰も出てこなかった。

「あっ、オバちゃんじゃないの!」
 ムームーを着ながら、ひとりの中年女性が言った。
「お知り合いですか?」
 私が聞くと、
「いや、ただの顔見知り。毎日来てるのよ、このオバちゃん」
そう彼女は言う。
 
 と、救急隊員ふたりが担架を持って入ってきた。
老婆は、担架に乗せられて運ばれていった。
彼らを見送ったばばじそと私は、
やれやれ、と言って、2階へと昇っていった。

「それにしても、よく脳溢血ってわかったね」
と、私が言うと、
「倒れてたら、何でもノーイッケツよ」
と、めちゃくちゃなことを言う。

 [午後2時]

 サイダーを飲みながら、ゲームをしていると、
夫が例の【KILL YOU】Tシャツを着て現れた。

「なにやってたのよ! もう!」
と、私が怒ると、
「いえ、ちょっと・・・・・・」
と、怪しく口ごもる。

「さすがにムームーは着なかったと見えるな」
と、言うと、
「あっ、こ、これは・・・・・・」
と、慌てて手に持ったムームーを後ろに隠した。
「なに隠してるのよ、持ち帰ってうちで風呂上がりに着ようってんでしょ?」
 私は、強引に夫の手からムームーをむしり取ると、
ムームーは、くしゃくしゃだった。
「着てたのっ?」
 私が、軽蔑のまなざしで夫を見ると、
「い、いや、き、き、着てない・・・・・・」
と、異常に慌てている。
「まさか、ムームー着て、おばちゃんに扮して女湯に忍び込まなかったでしょ
うねえ!」
 私がそう言うと、夫は、真っ青になった。
「マジで〜〜〜?!」
「んなわけねえだろっ」
 即座に夫は否定した。
が、何だか怪しい。

 私は、夫のムームーを使用済みカゴに入れるため、
2歳児を抱いて1階に降りた。
 
 と、従業員たちの話すこそこそ話が聞こえた。

「オバちゃんのバッグ、盗まれてるらしいのよ」
「オバちゃん、脳溢血じゃなくって、貧血だって」  
「今、警官が来て事務所で話してたわよ」
「お客さん、ひとりも外に出すな、って言ってるって」

 おいおいおいおい!
「健康ランド殺人事件」かいっ? 死んでないけど。
 私は、老婆の状態を心配しつつも、
自分のワクワクが止められなかった。
 しかし、そのワクワクも、自分とは関係なかったから、
ワクワク、だったのだ。
 まさか、自分の家族が疑われるとは、
この時は、まだ全然思いもしなかったのだ。

[午後5時]

 出口にカギを掛けられ、客は誰一人、外に出してもらえなかった。
そして、ひとりひとりに警察の面接があり、
待っている間に、もう夕方になってしまった。
 私の順番になり、両手の指紋をとられ、
事件発生時、どこにいたか聞かれ、持ち物の検査をされた。
 じじじそ、ばばじそ、夫も同じことをされ、
ぐずる子供たちをもてあまして、うんざりしながら待っていると、
また我々家族が事務所に呼ばれた。

 刑事らしき男が、じじじそに向かって、
「あなた、来る早々、全裸で人々の注意を引こうとしていたそうですね」
と、言う。
 長時間待っている間、すっかり缶ビールで出来上がってしまったじじじそ
は、
「は〜い!」
と、ご機嫌でいいお返事をする。

 そして、刑事は、今度は、夫の方を見て、 
「あなたは、男性であるにもかかわらず、女性用のムームーを来て、
うろうろしているのを多数の人間に目撃されています」
 
「やっぱ、やってたか!」

 私は、間髪入れず、夫の後ろ頭を叩いた。
 夫は、観念したかのようにがっくりとコウベを垂れた。

「そして、あなた」
 刑事は、ばばじそに言う。
「あなた、現場にたどり着くのが速すぎましたね」
 ばばじそは、そっぽを見ている。
「あなたの素早さは、異常です。現場を知っていたから、
あんなに速く駆けつけられたのではありませんか?」
 ばばじそは、そっぽを見たまま、返事もしない。

 ばばじそが、火事でも何でも、物凄く早く駆けつけるのは、
今に始まったことではない。
 その素早さったら、もう野生動物並なのだ。
 
「で、あなたは・・・・・・」

 刑事は、私に向き直り、鋭い視線で睨みつけてきた。
「父親に人々の注意を集めさせ、
おばちゃんになりすました夫に被害者を襲わせ、
母親に現場を盛り上げさせておいて、
ゆっくりと何食わぬ顔で現場に現れ、
何も知らぬ2歳児に大金の入ったバッグを取ってこさせた」

「はあっっっっ?!」

 私は、刑事の視線の先を見て、凍りついた。
2歳の末っ子が、見知らぬ小さな、ばばくさいポーチを持って
その辺を駆けずり回っているではないか。

「あっ、何だ、あのバッグ?」
 私は、叫んだ。
「とぼけないでくださいよ」
 刑事は、私にじりっ、じりっ、と歩み寄った。
「あなたは、ご存知のはずです。あれは、被害者のバッグですよ。
あなたは、『オバちゃん』と呼ばれている被害者が、
身寄りのない大地主で、常に札束を持ち歩いていたのを
知っていた」
「知らないって!」
 私は、本当に知らなかった。

 更に刑事は、続けた。
「では、健康ランドに来たのに、ろくに風呂に入らず、
全裸でロビーを駆けずり回る父親のことや、
女物のムームーを着て歩き回る夫のこと、
迷うことなく事件現場に一直線に駆けつける母親のことなど、
普通では考えられないこれらの不可思議な点を、
どう説明するんですか?」
 
「いや、だってそういう人たちなんだもの・・・・・・」
 私は、口の中で言った。

「完全犯罪なんて・・・・・・ありえないのですよ」
 刑事は、遠い目をして言った。
「あなたたちは・・・・・・目立ちすぎました」

 刑事は、私に向かって静かに微笑んだ。
「任意同行、願います」

「ちょっと待った!」
 ばばじそは、すっくと立ち上がり、刑事に詰め寄った。
「娘に、この父は操れない」
 そうそう、確かに私には、じじじそは、操縦不能だ。
「そして、この娘は、夫も操れない」
 そうなのだ。夫は、私の言うことなんて、聞いたことがない。
「子供たちだって、母親の言うこと、聞きゃあしないのさ」

 刑事は、はっとして、ばばじそを見た。
「まさか!」

「そうさ、あたいさ、真犯人は」
 ばばじそは、吐き捨てるように言った。

「ばーば! 嘘でしょう!!」
 私は、ばばじそのムームーの袖を掴んだ。
ばばじそは、微笑み、うなづいた。

「どうしても欲しかったのよ、あれが」
 ばばじそは、ポツリと言った。
「あの、30万のマッサージ機が・・・・・・欲しかったのよ!」

 刑事は、すべてを包み込むようにうなづいた。
「わかります。気持ちいいですからね、あのマッサージは」

「いつも健康ランドで【お試し】だけしていたけど・・・・・・
マッサージ機の営業社員の勧誘を受けながら、
ほんの数分揉んだだけで・・・・・・
そんな半端な「揉み」で、このあたいの長年の疲れは、
取れないんだってばよう!」
 ばばじそは、じじじそをチラリと見た。
「買いたかったのよ! 30年以上、ずっと!」

 そういえば、昔から母は、
わがままを言って暴れる父と取っ組み合いをしたり、
給料日に全部、呑んできてしまった父に、
苦労させられっぱなしの人生だったのだ。
 でも、「盗み」なんて、そんな筋の通らないことをするのは、
江戸っ子のばばじそにはありえない。

 いつの間にか、健康ランドのBGMに、
「マドンナたちのララバイ」が流れ出した。
 もう、エンディングである。

 ばばじそは、刑事にやさしく促され、
パトカーに向かって歩いていった。
 何も知らない無邪気な孫たちを振り返り、
ニカッ、と笑って、元気に手を振り、
そして素早く颯爽とパトカーに乗り込んだ。

「ママ!」

 私は、30年ぶりに、そう呼んだ。
 ばばじそは、パトカーの後部座席で、
にこっ、と笑って、口に、しいっ、と人差し指を当てた。
 ばばじそは、じじじそや、私の夫の挙動不審を、
刑事に一から説明するわずらわしさよりも、
自ら罪を背負ってまで、事態を一瞬で収拾することを選んだ。
 
 私は、夫とじじじそに幼い子供たちを託すと、
小走りでパトカーの後を追った。
 ばばじその口が(早く出して)と動いて、
パトカーは、私を置いて、走り去ってしまった。
 パトカーの後を走る私に、
手の甲で(しっしっ)と追い払う手振りをして、
ばばじそは、しら〜ん顔で前に向き直り、
そして、どんどんパトカーは、見えなくなってしまった。

 その一部始終をじっと見ていた、
小さな小さな2歳児のトレーナーの背中には、
こんな文字がプリントされていた。

―――【次週予告】―――
  
「酔いどれ刑事 ウマヅラ編」
主演 : じじじそ

乞う御期待!

――――――――――――

 私は、頬を伝う涙をぬぐいもせずに言った。
「んなわきゃねえだろっ」


                      (おわり)

 2002.02.17 作:あかじそ