第535回 5月せいび歩こう会

手習之古蹟 碑
(てならいのこせき)

旧奈良街道と交差する所。宇治十帖の古蹟(石柱)。

三 室 戸 寺

西国33所第10番の札所で、観音霊場、三井寺派。第49代・光仁天皇が宮中に奇瑞があり、その地を探したところ、兎道山の志津川の上流に一体の黄金仏を得、お室をそこに移して尊像を安置「お室寺」とした。その後、信長が足利氏との戦により、焼き打ちされ焼失、後再興された。
千手観音を本尊とする。勢至阿弥陀像が安置されている。

三 重 塔

明治43年兵庫県の高蔵寺から移された。
庭園は昭和60年の作庭。見事な庭園美。谷を望んで約 13,000平方メートル。

十 八 神 社

三室戸寺本堂の背地に九寺の鎮守。
現在宇治市、旧三戸村の産土神、祭神大物主(大国主)、 手刀雄命、 熊野久須毘命を祭祀

源 氏 物 語
ミュージアム

源氏物語宇治十帖の編、映像より物語解説、美しく悲しい恋の物語に、一時の粋を楽しんで下さい。

宇治上神社

幽邃な山麓に鎮座、稚郎子(わきのいらつこ)皇子を主神とし、父・ 15代応神天皇(第14代仲哀天皇の御子、母は神功皇后)。兄・仁徳天皇が配祀されている。此の地は応神天皇の宇治離宮の跡という。拝殿の右側に「手水舎」と書かれた小さな小屋に囲われて自然石の間から湧き出る水は、宇治七名水の一つ、他の宇治七名水が枯れあがってしまったのに、唯一現在でも湧きつづけて残っている。

宇 治 神 社

菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居跡と伝えられている。
※宇治上神社よりこちらの社の方が立派です。

恵 心 院
(えしんいん)

寺伝では寛弘2年、恵心僧都源信の再興、中世の兵火により衰微した。
本堂に本尊十一面観音と源信72才の自作像を安置。
阿弥陀如来立像や春日局が幼君(竹千代=徳川家光)の安穏祈願をした時の感謝状を有する。

興 聖 寺
(こうしょうじ)

福井の永平寺派、道元禅師の建立、道元が越前に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。
その後、淀城主・永井尚政が再興、本堂は伏見城の遺構を移した建物で「血塗り天井」が今に残る。
本尊は聖観音(釈迦三尊が天竺殿で手習いをした観音と云われる)。

宇治川先陣碑

宇治川の中の島の北端の皮の流れの中、 900有余年前、源平合戦の時、源氏の義経の配下の佐々木四郎高綱と梶原源太景季の二人が先陣を争った故事にちなみ、この碑が昭和6年に建てられた。題字は陸軍大将一戸兵衛の筆と云う。