
| 1960年4月9日に東京で生まれる。 3才の時に日舞の初舞台。 7歳の時に「小さなプリンセス」で歌手としてレコード・デビュー(1967年)。 8才(1968年)の時に田端義夫氏とデュエットした「ねんねん船唄」がヒットし、以後、「親星子星」、「さよなら船」と デュエットのシングルが発売された。 14才の時に、テレビドラマ必殺シリーズ「暗闇仕留人」の主題歌「旅愁」が空前の大ヒット、歌手としての一大 転換期を迎える。 その後の必殺シリーズで、主題歌として「さざなみ」と「流星」、挿入歌には「もどり道」が使われた。 女優としては、必殺シリーズ「暗闇仕留人」の最終回と、「仕業人」第16話にゲストで出演、必殺シリーズでは、 「仕舞人」、「新必殺仕舞人」、「渡し人」、「仕切人」、「橋掛人」で、レギュラーとして活躍。 44歳で富士后ちゃんを初出産(ちなみに当時の芸能界高齢出産第2位)、母としての魅力を加え、歌手・舞踊家・ 女優などマルチタレントとして現在も活動の場を広げている。 |
| 初代西崎緑師匠は、明治44年5月16日の岡山県生まれ。 正派西川流に入門し18歳で名取になり、その後独立して西崎流を立ち上げ、大衆民謡の創作踊りに取り組む。 舞踊家として勲五等受賞。 昭和32年2月18日没 緑(みどり)師匠の母、西崎眸さんは初代西崎緑師匠の内弟子であった。 若くして西崎流の名取りとなり、舞踊の才能に長けていた。 緑(みどり)師匠への西崎流お稽古は、母親の西崎眸さんが行っているが、それは、かなり厳しいものだった のである。 1988年2月1日放映の、よみうりテレビ:スター爆笑Q&Aの中で、3歳から5歳頃、踊りを間違えるとそのたびに、 真冬でも着物を1枚づつ、脱ぐことを命じたいうエピソードが紹介されている。 TV放送「必殺仕舞人」で、緑(みどり)師匠が可憐に民謡を踊るシ〜ンが多数あるが、これは、厳しい稽古を積み 重ねての技に裏打ちされたものだったのである。 決して、ドラマのためだけの、にわか仕込みではない、実力を伴った本物の舞なのである。 では、緑(みどり)師匠の歌はどうなのか? 母方の叔母である有明ユリさんは、ラテン音楽を得意とする実力派の歌手だったので、大きな影響を受けた可能性 がある。 1960年(第10回紅白)に宝とも子、藤崎世津子さんと三人で♪シエリト・リンドを、1961年(第11回紅白)には 小割まさ江、沢たまき、高見アリサさんと共に、或る恋の物語を歌っており、その実力は相当なものだったと考えら れる。(実は、聴いたことがないのでどのようなヴォーカルだったのか?分かりません。) |