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5月の素敵な映画!!

「永遠と一日」
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス








朝露に濡れた明けの明星が

輝かしい太陽の/到来を告げて

晴れ渡った空を乱すものは

露も陰も一つもない

やさしい風が吹き渡り

見上げる顔を愛撫する

魂の奥へささやくように

人生は美しい

そう

人生は美しい


「詩人・ソロモスの詩より」








 ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロス監督は、ハーヴェイ・カイテル主演の前作「ユリシーズの瞳」で、'95年カンヌ映画祭グランプリを受賞した。

 「ユリシーズの瞳」はバルカンを舞台に一本の映画フイルムを届けるために戦争の中を危険な旅にでるというストーリーだった。

 ただ今回は、自分の過去へ、そして、残された命の一日を旅する老詩人の心の内面が如実に描かれた秀作である。

 さらに、この作品には「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツが主演している。

では、そのストーリーを簡単に紹介してみよう。




********** Story **********










 作家で詩人のアレクサンドレ(アレクサンドロス)は、北ギリシャの港町・テサロニキに一人愛犬とともに住んでいる。

 妻のアンナは3年前に亡くなり、今まさに彼も重い病気を患いながら、明日は病院に入院するのを覚悟していた。

 そんな朝を迎えて・・ふと目覚めると、少年の日の想い出が懐かしい母の声が・・海辺の家で友と3人島まで泳いだ想い出の夢が想い起こされる。
「アレクサンドレ・・!!」

 そんなまどろみの中、家政婦のウラニアは彼に別れを告げに来た。アレクサンドレは愛犬とともにテサロニキ港を歩き、車で娘のカテリーナの家に向かう。

 路上で、アルバニアの難民の子どもたちが、車の窓拭きをしながら群がっている。警察に追われる少年たち。アレクサンドレは咄嗟に、黄色いジャンパーの少年をかくまうと、その後、そっと彼を逃がしてやる。少年は無言のまま微笑み、走り去る。

 娘カテリーナの家に到着したアレクサンドレは、しばらく旅に出るので、犬を預かってほしいと頼むが、真っ先に断られる。仕事はどうしたのかと娘に尋ねられても、前世紀の詩人ソロモスが未完で残した詩集「包囲された自由人」についての本は完成の憂き目もない。

 娘に妻・アンナの手紙の束を渡しながら、1966年9月20日の手紙を見るカテリーヌ。それは、カテリーヌの洗礼の日だった・・。

・・夏の海辺の家。産まれたばかりの名前のない娘のお披露目の日・・。

 赤ん坊を取り囲む親戚たち。白地に水玉模様のワンピースを着たアンナが、光を浴びて輝いている。
 
 手紙には、創作活動に追われ、家庭に縛られないアレクサンドレを深く愛したアンナの言葉が綴られていた。

 アンナのその当時の激しい想いに気づいたアレクサンドレは今になって動揺する。


 ふと我に返ったアレクサンドレに、海辺の想い出の家は売ったのだというカテリーナの夫ニコスの冷たい言葉が響く。

 動揺したまま、娘の家を出るアレクサンドレ・・。そのまま犬を連れて立ち去っていく。

 激痛に襲われながら、ふと路上の行く手に先ほど助けた黄色いジャンパーの少年がいた。背の高いセリムという仲間ともに、見知らぬ男たちに連れ去られようとしている。すぐさまアレクサンドレは彼らを追った。

 着いたのは町外れの廃墟だった。そこでは難民の子たちを、子どもを求める金持ち夫婦に売買していた。

 アレクサンドレは身銭を切って少年を救い出すのだが、彼とともに生き続けることはもはやできない。

 少年の祖母が住むアルバニアの国境まで、彼をバスに乗せようとするが、少年はそこに帰ろうとはしない。仕方なくアレクサンドレは少年を車に乗せ、国境まで送ることにした。

 そんな中、少年が「コルフラ・ムー」という歌を歌う。
 それから故郷での出来事を話し始めた。

 霧深い国境に着くと、そこは不気味な鉄条網に囲まれていて、高いその鉄の砦にアルバニアから国境を越えようとした人々の無数の死体が石の固まりのような影となっていた。

 そして、少年は「祖母などいない」と告白する。

 明日までの、二人だけの旅がまた始まっていく・・。




(後半略)






 
*******   海猫の今日の感想  *******


 とにかく、詩人というものは、言葉を得るために「金」を支払い、また生きているものなのだろう。

 そして、詩人でなくとも人間は、すべて残された時間と失われた時間を計りにかけては、何らかの犠牲を払って生きているのだろう。

 ただ、それは人間に等しく課せられた「死への恐怖」と「孤独の旅」ではあっても、時間という現在の計りにかけられた我々は、死ぬまでその道程を繰り返すのだろう。それは「生に含まれる死」として失われた言葉の意義をも、計りにかけているのである。

 この映画はとにかく海のシーンが限りなく不透明な漂流感を表している。まさに、それは幻であり、遠き過去である。

 さらに、なんといっても「人身売買」という社会的事実が、その中の透明な白昼夢のように描かれてもいる。これはバルカンでは当然のように起きている現実なのである。

 そして、背筋も凍るような国境シーン。それは鉄条網の死体の数々が霧の中に黒いひとかたまりになって描かれている。・・実に、ぞっとするシーンだ。国境を越えるためにさらし者のように殺された人々・・そして、その多民族国家の問題が、とりたてて海猫のような日本にどっぷりつかっている日本人にとっては、ひどく理解しがたいものとして衝撃を与えていた。

 またアンゲロプロスはインタビューの中で詩人ソロモスについて、次のように語っている。

「ソロモスはギリシャ語に新しい形式を与えた詩人でした。
 彼以前の詩人たちは気取った、高踏派の言葉を用いて“詩らしく”書いていただけだが、ソロモスは、自分の母の言葉であるギリシャ民衆語で書いたのです。」


 詩人としての生涯は、いやアーティストとしての生涯は、ことに犠牲をはらんだ何者かが心の奥深くに失われた存在として、忘れ去られた時間として、刻まれていくのだろう。

 海猫も、まさにそんな心境と感慨に耽った。そして、「ユリシーズの瞳」に続く、すばらしいアンゲロプロス監督の映画に心から感動していた・・。




ああ、セリム、今夜、君がいないのが辛い。

ああ、セリム、恐いよ。

ああ、セリム。

海はとても広い。

そこはどんなところだ?

僕たちはどこへいく?

行く手が、山でも谷でも、警官や兵隊がいても、

僕らは前へ進んだ。

今、目の前は海、限りない海だ・・・

夜、お母さんが悲しい顔で、戸口で立っていた・・

クリスマスだった。

山の頂は雪で白く、鐘の音が響いていた・・

これから行く港のことを、君から聞きたかった。

マルセイユや、ナポリのこと、広い世界のことを。

セリム、話してくれ。広い世界のことを。

ああ、セリム、話して、話してくれ。

(声に出して)

セリム・・・



「廃屋にて

窓拭きの少年・セリムの弔いの言葉を紡ぐシーン

 少年の声より」









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