2000年 映画特集

2月のナイスな映画 ! !

「π <パイ>」
監督・脚本:ダーレン・アロフノスキー




ダーレン・アロフノスキーって、誰・・・??

 1969年生まれのユダヤ系アメリカ人。
 ハーバード大学在学中、このパラノイアック映画「π」の主演者でもある ショーン・ガレットと出会う。
 さらに2人は、プロデューサーのエリック・ワトソンとともに、脚本を執筆。
 家族や友人から100ドルずつ出資してもらい、たった6万ドルの低予算でこの「π」を制作、撮影した。

 1998年サンダンス映画祭で最優秀監督賞を受賞。
 また同年インディペンデント・スピリット賞初脚本賞も同時に受賞。
 北米興行収入だけで321万6.970ドルという制作費54倍の興収をあげたのは、まさに驚異的である。

 彼の次回作は、昨年春から撮影を開始した「REQOIEM FOR DREAM」。
 主演は、ジャレット・レッド。

 キューブリック亡き後のハリウッド界の鬼才として、もっか注目を集めている。



では、そのストーリーを簡単に紹介してみよう。



********** Story **********

日常生活には、まるで順応できない天才的な数学能力を持つ男。
それがマックス・コーエン。

その頭脳は電卓よりも早く、そしてそれはあまりに異質な幻視的世界で息していた。

1つの数式。
宗教的な真理。
そして、ウォール街の株式市場にいたるまで、
彼の思考によれば、
それは世界の存在意義にも必ず結びつくものであった。

いわば万物は「数の概念」で解明できる!!
そんな奇妙な思想に「取り憑かれてしまった男」であった。

 ところがある日。
「ユークリッド」という名の自作スーパー・コンピューターが、
神秘の数字「216桁の数」を解析した後、突然・・壊れる。

すると、彼自身の内部にも異常な変化が現れはじめた。

次から次へと起きたもの。
それは
パラノイアな妄想・・だった。

そして、ついにマックスが見たものは・・・???。

(ラストシーンへとつづく)



*******   海猫の今日の感想  *******
 
 久しぶりに海猫・・ほんにすばらしい映画を見たあ〜〜「やっほう!!」・・という感じである。
 さらに上映後、渋谷のアップリンク・ファクトリーからしばらく外に出たくなかったほどである・・(^_^;)。

 というのも、まずこの「π」という円周率の記号からイメージされる数式の論理。それがスリラー的な映像と実にうまく融合していた。

 すべてがモノクロームの画像テクニック。これにも海猫、「あ・・ああ・・」と思いながら眼を見張ってしまったのだが、次にあげるとすれば挿入されてた「デジタル音」が実に映像とマッチしていて、巧妙でかつ美しい。

 真っ先にあげるとすればこの点だけは、ダーレン・アロフノスキーというユダヤ系アメリカ人である監督の美意識をふんだんに盛り込んだ最高演出であろう。

 なんでもそうなのだが、とかくこの「音」というのは、それが「ノイズ」であったり逆に「メロディー」であったりしても、耳に入ってきた途端、人間の脳には「快・不快」という両者の指数反応が現れる。

 ところが今回この映像では、巧妙に合わさった「効果音」として、かつまた見事な「ハイセンスな音声」として光っていた。

 よって、見ている我々の脳波には、それがなんらかの効果的な影響を次々と与え、そこに「新たな神秘の扉」として認識させてしまう。それが、非日常的な意識というものを芽生えさせてしまうのである。

 あたかもそれは映画の中で、脳にすばらしい刺激を与えてもらっているかのようで、まず眼の刺激とも異なる早さで凝縮するように強く味わうことができる。
 つまり、「光の反射」と「音のミックス・ジュース」により、われわれの意識が常に同化してしまうような感じなのである。
 
 そんなトリップした現象を映画を見ながら味わうことができた。
 そして音と映像のミックスジュースを浴びてしまった海猫は、彼の奇異で奇抜な世界にじょじょじょじょにと引き込まれてしまったのである。

 不快でもなく・・どこか神秘的・・。それでいて、いかなる刺激よりも強く、圧倒されるように・・。
 脳神経にはドーパミンやらβ遮断剤やらのホルモンが投与されてしまったような深い深い「脳波感覚」である。

 確かに、「天才」という人種にしてみれば、それは日常にある現象なのかもしれない・・。
 だが、われわれのような日常をせいぜい生きるのが精一杯な人間からしてみれば、「病的」とも思えるその日常のパラノイア的妄想の世界が、新鮮でこれまた驚異的で恐怖なのである。

 そんな「紙一重の天才」が、万一この世でこんな風にもがき苦しみかつまた葛藤しつづけているとすれば、それは悲しい現実を必死に抵抗しているということに他ならない。

 だが、そんな次元から新しい思考や思想を産出していたとしたら、それは画期的でありながらも、事実悲しい現実は死ぬまで続くのだ。

 新しい世界を生産するということは、新しい宇宙をこしらえてしまうことに等しい・・。

 としたら、クリエイターな感覚を常に要求される海猫のような人間にとっても、気をつけなければならない思考、それは「パラノイア的精神病」なのである・・。

 どんなにあがいても、どんなに信念を曲げたくなくとも、一度でも「自分は神そのものである」と思ったら最後、人はなんらかの形で自分を抹殺してしまいたくなるかもしれない。
 そんな恐怖と苦しみにおびえて自殺しかねない者たちが、この日常では「狂信者」としてレッテルを貼られている。
 だが、それはクリエイターたるものが誰しも味わう「産みの苦しみ」とは似て非なるもの。
 やはり「妄想的な、病的な世界」なのである・・。

 地球が・・宇宙が・・この無限大な世界が、すべて「何ものか」によって同じ真理によって解明されてしまったら、きっとマックスでなくとも「ただの人になろうと努める」のが賢明で正しいのかもしれない・・。

 パラノイア・・。それは体系だった妄想であり、それすべてを体系として理解しようとする精神の最たる現象である。そこに現れているあまりに苦しいパラノイアとの戦いの日々・・。それは神に選ばれし者たちの悲しい悲鳴であり、この映画から随所に感じられた悲鳴なのであった。

 今日の海猫は「共感? に近い危機感」と「ここまでいかなくて、ほんによかったあ・・あああ・・」という相反する感慨に深く深く感じいってしまったのである。

 それにしても、ああ・・パラノイア・・・。
 これだけは生きていくために確実に避けなければならない「恐怖の妄想世界」なのである。
 いやあ・・これこそこわいのだ・・・これこそ・・ぶるりっ・・(^_^;)。





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