「野田君挟まれる」

 小学2年の頃、同じクラスの野田君と、よく遊んだ。
 野田君一家は、神社の管理人をしているのだが、
時々やってくる「宮司さん」というえらい人には、
恐ろしく腰が低い一家だったように覚えている。 
 野田君は、ガリガリにやせた坊ちゃん刈りで、声が女子より高かった。
 教室では、泣き虫なくせに、大きい子たちに、
「カンリニ〜ン、カンリニ〜ン」
とからかわれると、パチンコ球みたいに相手の腹の中に飛び込んでいく、
勇ましいところもあった。
 影の薄いお父さんと、いつも働きに出ていて家にいないお母さんと、
野田君と、野田君の妹は、神社の隅のぼろい管理小屋に住み、
いかにも貧しい感じの洗濯物を、悪がきたちにわざと汚されたりしながらも、
みんな明るく、さっぱりと暮らしていた。
 私は、時々、野田君の家に上がり、
野田君のお母さんが握っておいてくれたおむすびを一緒に食べた。
 これが、なんとも旨い塩むすびで、
丸いちゃぶ台に置かれた、紺色の皿の上に、ほっこりと5〜6個置いてあると、
飛びついて食べたくなるような気持ちになる。
 私は、小屋に上がるたびに、その塩むすびを頬張りながら、
野田君自慢のトミカのターミナルセットを、何度も何度も見せてもらった。
 そして、6畳と台所だけのその小屋には、もうひとつ、私を惹きつける物があった。
 それは、「収納ベッド」だった。
 壁からぴろぴろと飛び出している紐を、ぐっと引くと、何もなかった部屋に、
壁から、どどーん、とベッドが降りてくる。
 布団もすっかりセットしてあって、紐さえ引けば、もう、すぐにでも眠れるようになっているのだ。
 私の家にも、どこの家にも、そんな凄いシステムはなかったので、
私は、心底興奮して、その秘密のベッドを何度も見せてもらった。
 私と野田君は、
「いっせえのせっ!」
と、掛け声を掛け、何度も何度も、ベッドを上げたり、壁に戻したりをくり返し、
すっかり「あせびしょ」になってしまうのだ。


 ところで、その神社は、盆踊りや秋のお祭りの会場になっていて、
催し物が行われる大きな舞台もあった。
 普段、私たち子供が遊んでいるときは、舞台は固く雨戸が閉ざされているのだが、
夏には、人気絶頂のラッキーセブンがやってきて、
酔っ払いコントなどをやってくれる、魅惑のステージなのだった。
 その華やかな舞台のしもてに、野田君の住む小屋があり、
ラッキーセブンはじめ、営業に来た芸人達は、なんと、野田君ちを楽屋にしているのだ。  

 ある日、いつものように、鳥居のところで、
みんなで「だるまさんが転んだ」をやっていると、突然、大きな子たちが
「ドロ警やろうぜ」
と言って、広場の方へ行ってしまい、鳥居には、私と野田君だけになってしまった。
 野田君は、男子なのに、自分だけ大きな子たちに誘われなかったのが悔しかったらしく、
少しイライラしたように、
「リカちゃん、ウチで遊ぼうぜ!」
と、私の手を引いて、ずんずん小屋に向かって歩いていった。
 その日も、野田君のうちのちゃぶ台の上には、
美味しそうな塩むすびがあり、魅惑の紐が壁からぴろぴろ出ていた。
 私は、野田君にすすめられておむすびを頬張りながら、
いつものトミカ自慢を上の空で聞き、壁の紐をチラチラと見ていた。
「ベッドでトランポリン大会やろうぜ!」
 野田君は、壁の紐を慣れた感じで「よっ」と引っ張り、
狭い部屋いっぱいに「ダーン」と、ベッドを出した。
 私は、ふと、不思議に思った。
(この部屋は、このベッドが出ると、もう、隙間が全然ないじゃないか)
(4人家族で、どうやって寝てるの?)
 でも、それは口に出さずに、トランポリン大会を始めた。
 はじめに、私が「女子の部」で、まっすぐ飛んだり、お尻をついたり、
変なポーズをつけたりした。
「67て〜ん!」
と、野田君は言い、次に、「男子の部」の演技に入った。
 受けを狙って、野田君は、激しく飛びまくり、壁が揺れるほどだった。
「野田君! 危ないよ! ちょっとやりすぎだよー!」
 私が叫ぶと、
「男子の部は、激しいのだー!」
と、ますます高く、激しく飛び、そして、次の瞬間、
「ダー――――――――――ン!」
と、いう、すごい音とともに、野田君は壁に消えた。
 そうなのだ。
 ベッドがスプリングの力で、勝手に壁に収納されてしまったのだ。

 シ―――――――――――ン、としていた。
ただただ、シ――――――――――――――ン、としていた。
 しかし、そのうち、私は、はたと我に返り、
ハアハアと激しく息をしながら、
(これはどうしたものか)
と、じっと壁のベッドを見つめていた。
 そのうち、壁の中から、野田君のこもった声が小さく聞こえた。

(ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ)
  
 そうなのだ。早く野田君をここから救出しないと、野田君は死んでしまう。
私は、急いで紐を探した。
 しかし、いつもぴらぴらしているところに、その紐は、ない。
どうやら、ベッドと一緒に、中に巻き込んでしまったらしい。
 私は、泣きながら、ベッドのパイプを引っ張ってみたり、
隙間に指を突っ込んで、力いっぱい引いてみたが、びくともしない。
(早くしなきゃ! 早くしなくちゃ、野田君が死んじゃう!)
 しかし、ひとりでは、どうにもならなかった。
 私は、わけもなく部屋の中を見回してみた。
 そして、ちゃぶ台の上に、野田君の食べかけの塩むすびを見つけた。

(そうだ! 野田君のお母さんを呼んでこよう!)

 私は、壁の隙間に向かって声を掛けた。
「野田くん!」
 すると、野田君は、自力で、じりじりとベッドの隅の方にずれて来て、
何とか布団の隙間から息ができるようになっていた。
 しかし、どう考えても野田君は押し花状態で、いかにもやばい、という感じだった。
 野田君は、真っ青な顔で、
「お母さん、呼んで来て! お母さん! お母さ〜ん!」
と、絶叫した。

 私は、「待ってて!」と叫び、全速力で野田君のお母さんの働く工業団地へと走った。
大きな工場の中を、
「野田君のお母さ〜ん! 野田君のお母さ〜ん!」
と、叫びながら、走り回った。
 野田君のお母さんは、暗い工場の隅の方で、機械でダンボールに
ビニール紐を掛けていた。
 私の姿を見つけて、
「リカちゃん、どうしたの〜?」
と、のんびり答え、そして、はっとして、
「何かあったね」
と言い、私の手を引いて、すごい勢いで神社へと走った。
 野田君のお母さんは、小屋に飛び込むなり、
「ンガー!」
と叫び、どこをどうやったのか、一瞬でベッドを「ダ〜ン!」と壁から剥がした。
 野田君は、ぺったんこになって布団にへばりつき、ベッドと一緒に床に現れた。
 凍りついた表情で天井を見上げていた野田君は、
仁王立ちしたお母さんを見つけると、たちまち立体的に戻り、
「うわあ〜〜〜〜〜〜」
と、お母さんに抱きついて泣きじゃくった。
 野田君のお母さんは、油で汚れた軍手をはずすと、
「バカだねえ! この子は!」
と、軽く野田君の頭を小突くと、胸にしっかと野田君を抱いて、豪快に笑った。
 
 私は、抱き合う二人を、ただ立ちすくんだまま見ていた。
 野田君のお母さんに、
「リカちゃん、ありがとね!」
と、顔を覗き込まれて、そこで初めて我に返った。
「今日は、シャケのお寿司作るから、食べていってよ!」
 野田君のお母さんが、うちの母に電話をして、
その晩は、野田君の家族と一緒に小さなちゃぶ台でシャケのお寿司を食べた。
 うちでは、食事時、いつも父と母が喧嘩していて、緊張しながらの食事なの
だが、
野田君ちは、みんな静かに笑いながら、楽しく食べる。
 私は、その団欒の中でひとり、どんどん淋しくなってきて、食事の途中で、
「うちに帰りたい」 
と、泣き出してしまった。
 母が暗い中、神社に迎えにきて、シャケのお寿司をたくさん包んでもらって
家に持って帰った。
 家で、機嫌の悪い父にびくびくしながら、シャケのお寿司の続きを食べた。
 母は、何も言わなかったが、帰り道、私と手をつないでくれた。

 お寿司は、実に、旨かった。
 

 それからずっと後に、野田君に聞いた話では、
野田君一家は、内緒で、あの(ラッキーセブンも立った)魅惑のステージの上で、
物凄くたっぷりとスペースをとって布団を敷き、一家4人、大の字になって寝ていたらしい。
 大きな大きな舞台の板の上で、家族は、のびのびと手足を伸ばし、
高い高い天井を見上げて、壮大な気分で眠りについていたというのだ。

 私たちの知らない、雨戸の向こうの舞台の上で、
野田君一家は、幸せな管理人一家なのであった。


                     (おわり

青春ってやつぁ : 2002.04.07 作 あかじそ