「プラマイゼロ」

幼稚園から、中学3年生まで、私の 父兄参観日には、
必ず両親揃って、一張羅をキメて、来てくれた。
うちの両親だけ、極端に若く、かっこよかった。
授業中、振り返ると、二人ともニヤニヤしながら、私にうなづいて見せた。
誰よりも早く来て、校庭の真ん中で、ジャグラーの様に、ドッジボールを
クルクル回し、全校生徒から喝采を浴びている父。
毎年、すすんで役員を買ってでる母。

彼らの愛情表現なのだ。
発信型の愛情なのだ。
受信は一切しない。

私と弟は、痛いほどのトガッた愛と不信の中で育った。
父や母の人生の「脇役」として、父や母の邪魔にならないように気を付けながら育った。
何でもいいから、早くオトナになりたかった。
そのくせ、心はいつも3歳前後で、くすぶっていた。

うちの両親について、「 しどいわっ」と、何千回も思ったけれど、
「面白いなあっ!」 と、何万回も思った。

バランスの悪い人間だ。――父も母も。
でも、やっぱり、私の父と母なのだ。
どの家の親よりも、面白くって可笑しい、父と母なのだった。

(おわり)