「千葉沖地震体験記」


10年以上前、まだ私が結婚する前に、千葉に住んでいた頃の事だ。

よく晴れた日だった。
昼頃だったか、大学に行こうと、家を出たとたんに、それは起こった。
私は、団地街に住んでいたのだが、静かな街に、いきなり、雷の様な音が
ガラガラガラガラガラガラ・・・・・・、と、鳴り響いた。
それが、いつまでも鳴りやまないので、
「おや?」
と立ち止まってみた。
しかし、なぜか、まだ私は動いてしまっていた。

注意して見回すと、ガラガラガラガラの音の出所は、団地の建物からだった。
窓という窓が鳴っているのだ。

地震だ!
随分経ってから気付いた。

何やら、視界を何度も横切る物がある。

電柱である。道路の両端に規則正しく立っている、数10本の電柱が、
まるでメトロノームの様に左右に揺れているのだ。
車のワイパーの様に並行して揺れるのではなく、
ピンボールの、ボールを打つ部分みたいに両端の棒が、
内側、外側、内側、外側、と、左右対照に揺れているのだ。

幸い、車は通っていなかったが、アスファルトの道は、冬の日本海の様に、
荒々しく波打ち、じっと立っていられなかった。
よろよろとしながら、「地震体験車みたい」と、本末転倒な事を考えていた。

ところが、そんな場合ではないのだった。
何10本もの電柱が、今度は、1本1本、バランバランに動き出し、
越後獅子状態になってきたのだ。

何百枚ものガラスが、一層高い音で激しく鳴り出し、電線も地面に付きそうだ。

「やばい。危ない」

私は、とりあえず、電柱や、建物から離れようと、道の真ん中によたよた進んだ。

すると、向こうの方から、ママチャリに乗ったおばさんが、ものすごくハンドルをぐらぐらさせながら、
「あっあっあっあっあっあっあっあっ」と、私に向かって突進してきた。
おばさんは、私にすがるような目で、どんどんこっちにやってくる。
  「すがられても・・・・・・」
私は、しっかり立とうとしたが、足が勝手にボックスステップを踏んでしまう。
「踊ってる場合じゃないのに!」
踊ってる間に、おばさんはぐんぐん近づいて来る。
「なにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれ」
おばさんは、相変わらず細かい叫びを刻みながら、私の顔を直視している。
「見られても! 見られてもっ!!」
私にどうしろというのだ!!

・・・・・・やがて、揺れはデクレッシェンドされていき、電柱も静かになってきた。

「は〜」

呆然として、その場に立ちすくんでいると、おばさんは私の目の前でチャリを降り、
「ね〜え」
と、同意を求めて去って行った。
苦笑いでおばさんに応えながら、ハッ、と家で寝ていた弟の事を思い出した。
急いで家に戻ると、弟が目をこすりながら居間に立っていた。

「だいじょぶだった?!」
息せき切って尋ねると、
「はぁっ?」
と、寝惚けている。
「地震! 気が付かなかったの?」
  弟は、部屋の中がめちゃくちゃになっているのに驚いていた。
「地震あったの?」
・・・・・・どういう平衡感覚なんだ。

房総の方の友人に無事を確認したら、家の瓦が全部落ちて、親戚のおじさんが怪我をした、と言っていた。
ところが、地元で大騒ぎだった割には、ニュースでは、あっさり触れられただけだった。

教訓。

地震は怖い。
怖いが、我々が、自然の前では無力だという事を教えてくれる。
読み捨てられた雑誌がきれいに残り、大切な人があっさりつぶされてしまう事もある。


  自分だけが、特別な人間ではないのだ。
そして、 人間だけが、特別な生き物ではないのだ。

昔の人は正しい。
やっぱり、自然という名の神を、畏れながら生きていく事が必要なのだ。


                           (おわり)