エピソード13  「スローマン」の巻


 夫は、のろい。
その、のろさと言ったら、半端ではない。
 夫の動きは、人が見たら、
わざとふざけてスローモーションごっこをしているのではないかと思われるほど、とにかく遅い。
3倍速くらいで早送りで巻いてやって、やっと平均的な速度となる。
 したがって、会話の受け答えも、信じられないくらい遅い。
せっかちで、「立て板に水」の妻とは、会話が成り立たないのだ。

妻「ねえねえねえねえ、親戚への例の件の連絡、どうした?」

夫「あ・・・・・・ああ・・・・・・」
妻「やった?」
夫「ええ・・・・・・えっと・・・・・・」
妻「ねえ、やったの?」
夫「あ・・・・・・ええ・・・・・・」
妻「やったのっ?!」
夫「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ちなみに、この時点でやっと、夫は、「例の件」を思い出す。

妻「どうなのよ!」
夫「う〜む・・・・・・・」
妻「う〜む、でなくてよ! やったのか、っての!」
夫「ええっと・・・・・・あれは・・・・・・」
妻「忘れたの? 内祝いの、あれだよ!」
夫「う・・・ち・・・い・・・わ・・・」
妻「『内祝い』くらい一息で言ってよ!」
夫「うちい・・・わ・・・い・・・」 
妻「3文字で息切れか!」
夫「うちいわ・・・」
妻「やった、4文字! 記録達成! って、記録に挑戦してる場合か!」
夫「うちい・・・わ・・・」
妻「もうスランプかい!」

 朝なのだ。忙しい朝に、このペースなのだ。

妻「あのさあ、いい加減にしてよ! 今日中に連絡しないと、週明けじゃ間に合わないんだってさ!」

夫「うちいわ・・・」
妻「まだやってるのか!」
夫「・・・・・・」
妻「私が連絡しようか?」
夫「いや・・・・・・俺が」
妻「じゃあ、早くしてよ!」
夫「ううむ・・・・・・」
妻「うなってる間に連絡できるでしょうが」
夫「・・・・・・」

 夫、ここでやっと「連絡か」と思う。

妻「はやくっ!」
夫「・・・・・・」
妻「ねえ」
夫「・・・・・・」
妻「ねえ」
夫「・・・・・・」
妻「ねえ!」
夫「・・・・・・」
妻「寝てるよ、コイツ!!」

 妻、夫に話しかけながら皿洗いと弁当作りを済ませている。

妻「もういいよ! 私やっとくから!」
夫「いや! 俺が」
妻「いやいや、もういい。私やる」
夫「いやいやいや! 俺が」
妻「じゃあ、早くしなよ!」
夫「う〜む・・・・・・」
妻「そこで、なぜうなる!」
夫「・・・・・・」

 夫、『俺はなぜ、うなるのだろう?』と、考え始める。

妻「自分がやる、って言うんなら、早くやってよ」
夫「・・・・・・」
妻「時間ないから」
夫「・・・・・・」
妻「早く」
夫「・・・・・・」
妻「なんで黙ってるの」
夫「俺は」
妻「は?」
夫「なぜ」
妻「は?」
夫「俺は」
妻「はあっ?!」
夫「なぜ」
妻「なんで繰り返す!」
夫「俺はなぜ」
妻「先に進め!」
夫「俺はなぜいつも」
妻「いちいち文頭に戻らない!」
夫「・・・・・・」
妻「悩まずに先に進んで!」
夫「俺は」
妻「また最初からかい!」
夫「・・・・・・」
妻「悩まずに!」
夫「う〜む」
妻「うならずに!」
夫「・・・・・・」
妻「わかったわかった、せかさないから、自分のタイミングで言って!」
夫「・・・・・・」

 夫、ここで『自分のタイミングとは?』と、考え始める。

妻「どうぞ」
夫「・・・・・・」
妻「はい、どうぞ!」
夫「・・・・・・」
妻「はいどうぞっ!!」
夫「・・・・・・」
妻「どしたの!」
夫「・・・・・・」
妻「あ、そうか、それがアンタのタイミングか」
夫「・・・・・・」
妻「・・・・・・」
夫「・・・・・・」
妻「・・・・・・」
夫「・・・・・・」
妻「・・・・・・」
夫「・・・・・・」
妻「どした!!」
夫「・・・・・・」
妻「また寝てるよっ!」

 妻、夫の額に弁当のふたを投げる。

夫「んばあっ!(飛び起きる) はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
妻「早く続き言って!」
夫「何が?」
妻「はあ?」
夫「なんだっけ?」
妻「俺はなんでいつも、でしょ!」
夫「あ、そうだ・・・・・・俺はなんでいつも」
妻「はいはいはい! 俺はなんでいつも!」
夫「いつも俺はなんで」
妻「文を推敲しなくていいから!」
夫「俺はなんでいつも」
妻「そこは、もういい! その先だよ!」
夫「いつも・・・・・・うなるんだろう?」
妻「は?」
夫「なんで、うなるのか、って・・・さっき、聞いてきたから・・・・・」
妻「はあああああっ?!」
夫「なぜ・・・うなるのかというと・・・・・・」
妻「・・・・・・」(うつむいて震えている)
夫「うなるのかと・・・いうと・・・」
妻「・・・・・・」(激しくケイレンしている)
夫「俺は・・・なんでいつも・・・うなるのか・・・と・・・いうと・・・・・・」
「馬鹿だからだよっ!!」

 妻、子供の弁当のナプキンを、キー―――ッ、と噛む。

妻「テメエの うなる原因なんかどうだっていいんだよ!
 連絡するのかしないのか、
 いや、早く連絡しろってことだけだ!
 その手で受話器を握り、
 番号押して、
 内祝いの件はどうしますか、って言うの!!!!!」


夫「・・・・・・」
妻「だから、それはもう、私がやっとくから、早く会社行く支度でもしなっ!」
夫「いや俺が」
妻「だから! 何でそこは、こだわるの!」
夫「俺が言うから」
妻「じゃあ、早くしないと!」
夫「いやしかし・・・・・・つまり・・・いかんせん・・・・・・」

 妻、夫のケツを蹴って、玄関から追い出す。

 妻は、その足で電話の前へ行き、親戚への連絡を済ませる。
30秒で済んだ。

「私が馬鹿だった・・・・・・。夫を立てようとして、アイツに何か仕事をさせようとした、私が馬鹿だった・・・・・・」
 
 妻は、頭を抱える。

「ああ・・・・・・、イライラする・・・・・・」

 妻は、頭を掻きむしる。

「アイツを選んだ時点で、私が馬鹿だった!!!」

 妻は、窓の外の青空を見て、自分の青春を回顧する。

「・・・・・・やっぱ、あっちの方が正解だったんだよ・・・・・・」

 妻、再び頭を掻きむしる。

「神奈川の次男坊の方が、まだましだったなあ〜っ! くっそ〜〜〜〜〜っ!」

 妻、頭を抱えてうずくまる。
そこへ、幼稚園児の三男がやってきて、妻の背中をさする。

「おかあさん、バスもう来ちゃうよ!」

 ハッとして、顔を上げる。
妻は思った。

 相手なんて、どうだっていいんだ。
結婚相手なんかに、私の人生を左右されてたまるか。
 私の人生は、私が決める!
 私の幸せは、私がつかむ!

 妻は、弁当をすばやく幼稚園バッグに詰め込むと、つっかけを履いて、子供と一緒にバスまで走った。

 その頃夫は、 [自分が なぜ うなるのか] について、まだ考えていた。

                           
                       (つづく)

 がんばれ、妻。
 負けるな、妻。
 それにしても、体内時計ってすごいよね。
 世界共通の時計の方は、まったく興味ないね。夫。
 妻の体内時計は、崩壊寸前だぞ。
 いいのか?
 いいのね!

 互いのペースに翻弄されて、もんもんとしながら暮らす夫婦。
 おおぜいの人たちに、ご心配をおかけしつつ、つづく。
 まだつづく。


                       (つづく)