エピソード  「夫、土に返るっ?」の巻



 真夏の夕方、庭で真新しいプランターに土を入れている女がいる。
白いフェイスタオルを頭にかぶり、その上から、つばの広い麦藁帽子をかぶっている。
 表情こそ見えないものの、その弾んだ動きから、鼻歌のひとつも聞こえてきそうだ。

「いい肥料が入ってるから、いっぱいトマトがなるだろうなあ」
モスグリーンのスコップで、傍らのビニール袋から、ざくっと、こげ茶色の乾いた
粉末をすくうと、高い位置からさらさらとプランターの土の上に落としていった。
 「いい感じよー、お父さん」
口の中でつぶやくと、顔のわきに垂れたタオルの端で、額の汗をぬぐった。

 台所の窓からは、ぎらぎらの西日が流しのあたりを照り付けていた。
その影になったところで、小型冷蔵庫に似た四角い家電製品が、小さく、ういんうい
ん、とうなりながら働いていた。
 [生ごみ再生 エコロちゃん]
と書かれたシールが貼られたままで、その周りには、雑誌から切り抜いた料理のレシ
ピや、子供の学校のプリントやらが、かわいい野菜のマグネットでとめられていた。
 
 「お母さん、お父さんは?」
 「ん? まだ出張だよ」
 「随分長い出張だね」
 「ほんとだねえ。 風邪ひかないで元気にしてるかな」
 「大丈夫だよ。お父さん、丈夫だもん」
 「・・・ふっ、そうだね。お父さん、殺しても死なないわよ、ふふ。 地球の為に
生きて働くわよ」
 「えっ? なに?」
 「ううん。こっちの話。 早く宿題やっちゃいなさい」
 「はーい」

 「あっ、そうそう、夕飯、何がいい?」
 「暑いから、何か冷たいものっ!」
 「じゃあ、冷たいトマトのスパゲッティ-なんてどう?」
 「いいよー」
 「ようし、お母さん、張り切って作るぞ-」

 「早くうちのトマトもならないかなあ・・・。大きくて、甘くって、真っ赤な汁が
じゅうーって・・・。ああ、おいしそーう」
 
 ピポピポピポピポーン、と、乱暴に玄関チャイムが鳴った。
女は、洗いかけの食器を置き、タオルで手をさっと拭って、玄関へと走った。

 「どなたですか」
 「警察の者です」
 女は、はっ、となったが、すぐに気をとり直してドアを開けた。
 「はい、何でしょうか」
 「お忙しいところすみません。ご主人いらっしゃいますか?」
 「いえ、今、出張中ですが・・・。」
 「出張?」
 「はい」
 「出張ですか・・・。」
 「あの・・・」
 「いえいえ、いや、最近このあたりで物騒な事件が起きているので、周辺の住民の
皆さんに声をかけて回っているんです。 ご主人が出張中ならなおさら戸締りを厳重
にしてくださいね」
 「はい」
 「それでは、失礼します」
 「ご苦労様です・・・」

 女はドアを閉めた後、すっと顔色を変えた。
 「あぶない、あぶない。 ・・・気を付けなくっちゃ」

 ピポピポピポピポピポーン。
またも乱暴なチャイムの鳴らし方だ。さっきの人かもしれない・・・。
女はぐっと下唇をかみ締めた。
 今度こそやばいかもしれない。
 ピポピポピポピポピポピポピポピポピポーン。

女は怖くなって思わず叫んだ。
 「お父さんっ! ちょっと来てっ! 出張中なんて冗談だもんねえ。ほんとは奥の
部屋で寝てるんだよね-」
 チャイムはなおも鳴りつづけた。
 ピポピポピポピポピポーン。
 がちゃっ、と、ドアのカギが外から開けられた。
 「うわっ!」

ドアを開けて、夫が玄関に入ってきた。

 「怖かったーっ!!」
女は夫にしがみついた。
 「警察のふりした男に襲われるかと思ったーっ!!」

 「あぶねえなあ、簡単にドア開けない方がいいよ」
夫は、まったく平常心で、つかつかと奥に入って行った。
 「あれっ? 出張は?」
 「ああ、早く終わった」
 「ふーん・・・」
 「お土産、買ってきたよ。 五色饅頭」
 「えっ、五色饅頭? やったー。 黄色いの、あたしのだからねー」
 「はいはい」

裏庭に、換気扇からの匂いが流れていった。
バスタをゆでる、あわい、むんとした匂いだった。

                               (つづく)

殺さなかった。殺さなかったね、妻。
そして、やっぱり、愛しているのだね、妻は夫を。夫は妻を。
夫婦百態、そんなこんなで、まだ続く。

                        (こんどこそつづく)