エピソード 「はじめての口答え」の巻
妻は、マスクとサングラスで顔を覆って、部屋の隅でスーパーのチラシを吟味している。
その横で、4人の小さい子供たちが、全員、やはり、マスクをして固まって座っている。
「終わったー?」
隣の部屋で、押入れに頭を突っ込んで、衣装ケースを出したり押し込んだりしている夫。
「まだまだ」
「早くしてよー。寒いんだからぁ」
「ちょっと待てよ、6人分なんだからー」
「もっとサクサクサクサク動いてよ。一個一個の動きがおっそいんだよー」
「文句言ってないで手伝ってくれよ」
「手伝えるもんなら、とっくにやってるわいっ! ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっくしょおおおおんっ!!」
妻と4人の子供たちは、重症のアレルギーなのだ。
衣替えなどした日にゃ、全員、一遍に、喘息の発作を起こし、アトピー性皮膚炎に狂い、
くしゃみ地獄から発熱へと発展するのだ。
「10月はアレルギー体質にとっては恐怖月間なのよぉ。その上、ほこり吸ったら・・・」
「はいはい」
夫、黙々と衣類を出したり引っ込めたり、出したり引っ込めたりしている。
しかし・・・・・・実にのろい。スローモーションで、再生と巻戻しを繰り返している。
「いつまでもいつまでもなーにやってんのよっ!! ふえぇぇぇぇぇぇぇぇっくしょおおおおん!!」
「わかってるよっ!!」
「わかってても動けてなーいっ!!
ふえぇぇぇくしッ! ふえぇぇぇくしッ! ふええええええええええええええええええええええええええくしっ!!!」
「サイズが・・・・・・」
「サイズって言っても・・・ふえっふえっふえっ・・・・・・・・・・・・・・・・・くしぃぃぃぃぃぃぃんっ!!!
こないだ・・・・・・ふえっふえっ・・・・・・しまっ・・・・・たとき・・・・・・ふえっふえっふえっくしんっ!!
ちゃんと・・・・・・ふえっ・・・書いて・・・おか・・・なかっ・・・たのっくしいーーーーーーーん!!」
「何いってんのかわかんねえよぉ」
「なにっなにっなにっ・・・・・・・ふえっふえっ・・・いって・・・ふえっふえっ・・・・」
「ああ、もういいっいいっ。静かにしてなさいよ」
妻、マスクをあごにずらして勢いよく洟をかむ。その鼻はすでにマッカッカで、小鼻の皮は剥けている。
「まったく。いらいらするわよっ」
「(小さな声で)こっちこそだよ」
「ぬわーにー?!」
「べつに」
「はっきり言いなさいよっ!! こっちはねえ、病気なんだよっ。障害なんだよっ。生きるか死ぬかなんだよっ!!!」
「はいはい」
「はいはいって何よっ!!」
「はいはい、すみませんでしたっ」
「なによっ! その馬鹿にした言い方はっ!!」
「はいはい」
「またっ!! ふざけないでよっ、こっちはねえ、息がっ息が・・・・・・ふえっふえっ」
「わかったわかった」
「いちいち・・・・・・2度づつ・・・ふえっ言って・・・ふえっふえっ・・・全然・・・聞いてふえっふえっ
・・・・・・・・・・ないなええええええええええええっくしいいいいいいいいいいんっ!!」
「聞いてる聞いてる」
「もうっもうっ・・・・・・へえっへえっへえっ・・・・・・頭に・・・き
しーーーーーーーーんっ!!!」
「頭に来シーンね」
「ふざっふざっふざけっくしーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
「いいからっ。 寝てなさいっ」
妻、洟をかむ。洟をすすって、またかむ。ごみ箱にティッシュを放りこんだ姿勢の
まま、固まっている。つつーーーーーーーーーーーー、と洟が畳に向かって、
すごい勢いで伸びて行く。
妻、慌ててティッシュをつかんで、また洟をかむ。
「もう・・・いや・・・へっへっへっへいーーーーーーーーーくしいいいいいいんっ!!」
「大変ねえ」
夫、妻を見もせずに、淡々と衣替えを続行している。
いや。むしろ、ほくそえんでいる様にも見える。
「あったま・・・くる・・・ふえっ・・・」
「しゃべんない方がいいんじゃなぁい? くっくっく」
「・・・ふえっ、くっくっくってのは・・・なんつう・・・ふえっ・・・・・・・くしっ!!」
「お大事に」
夫、押入れの中にもぐって行く。
妻、ナミダ目で仁王立ちしている。
「ふえっふえっ、だいだいさあ・・・・・・、頭悪すぎ」
「なにがぁ」
「しまう時にめちゃくちゃにダンボールに突っ込んじゃうから・・・・・・ふえっ・・・
次、わかんなく・・・なっ・・・ちゃ・・・て・・・ふえぇぇぇぇぇぇぇぇくしょおおんっ!!」
「ふーん」
「なんっなんっなんっだっ・・・・・・それ・・・・・・ふえっ」
「べっつにー」
「ふえっ・・・別にってなんだそのふえっ態度ふえっ」
「あたしに・・・ふえっ・・・く・・・く・・・くち・・・ごた・・・え・・・っしーーーんっ!!!」
「なーに言ってんだかねー」
「お父さんっ! おかあさんがくしゃみしてると、[くちごたえ]できるね!」
長男がマスクの奥から嬉しそうに叫んだ。
「はじめての[くちごたえ]だねっ!!」
次男が立ちあがって叫んだ。
「[くちごたえ]ってなあに?」
三男がぴょんぴょん飛び上がりながら笑った。
「アッパー! アッパー!」
四男が興奮してマスクを取って夫の方へハイハイして行った。
「ふえっ・・・なによっ・・・ふえっ・・・みんなして・・・ふえっふえっ・・・・・・くしっ!!」
「お母さんに文句言うなら、今だぞっ!!」
夫も立ちあがって、ぴょんぴょん跳ねた。
子供たちは一斉に立ちあがってマスクを剥ぎ取ると、全員ぴょんぴょんしながら
「お母さんはいつもいつも口うるさいんだよ−っ!!」
「焼肉ってうそついて肉野菜炒め出すなー!!」
「お年玉返せ−!!」
「アッパッパッパッパッパ−!!」
・・・・・・と、同時に叫んだ。
そして、夫は、ひと呼吸おいたあと、静かにこう言った。
「なめんなよっ」
妻は、目をしばしばしながら、しばし固まっていた。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁくしょおおおおおおおおおおおおおおんっ!!!」
「ばんざーいっ!!」
夫が両手を挙げた。
「ばんざーいっ!!」
子供たちが飛び上がった。
「へええええええええええええええっくしいいいいいいいいいいいん!!」
妻はティッシュに駆け寄って、じるじるじるじるー、と脳みそまで出尽くしたような
洟をかんだ。
「負けた・・・」
やったね、夫。やったね、子供。
たまにはやられてあげるんだ、妻。
大人になったねえ。結婚10周年だもんね。
ん? 10周年?
何かありそな予感がしつつ・・・・・・続く。まだ続く。
(つづく)