エピソード 「 ボケるが勝ち 」の巻

夫の出勤直前、妻が、突然、玄関先で夫に言った。
「あたし、先にボケるから」

 夫は、はあっ? と、いう顔をしたが、すぐに、まあいいや、という顔になって、
「行ってきます」と、出て行った。

 「おいおい、ノーコメントかよ」
妻は、ふてくされた。
 夫は、妻がまた、いつものばかっぱなしをしていると思ったらしいが、妻の方は真剣だった。

 若いときに頑張って頑張って、苦労してきた80歳代の知人たちが、
みな、息子や、その嫁に、粗末に扱われているという話を、ここのところ、よく聞くのだ。
 貧しい時代や、戦争中、7人も8人も子供たちを育て、働いて働いて、歯を食いしばって頑張ってきたのに、
そんなのってないよね・・・、と、思うのだ。

 体が全然動かないのに、頭がはっきりしているのが、一番つらいと思う。
 大切に育ててきた子供たちに汚物のように見られるのは悲しすぎる。

 そうなったら、いっそのこと、何もわからなくなってしまいたい、と、妻は思った。
赤ん坊みたいになって、好き放題徘徊して、捕まって、部屋に閉じ込められて、
ベットに手足を縛られても、何にも感じないほど、ぼけてしまいたい。
 悲しさなんていう感情が、なくなってしまえばいい、とも思う。

 子供に見捨てられても、嫌われてもいい。
その事を自分が感じなくなってしまえばいいのだ。
わたしに対する、いい思い出なんて、残さなくてもいい。
 
 ――――――怖いのだ。

 妻は、一人ぼっちを実感する事、誰からも自分が理解されない事、大切な人に嫌われる事、
どうやっても希望が見出せない事が、本当に怖いのだ。
 それがどんな気持ちなのかが、よくわかってしまうからだ。
 
年をとるほど、抱きしめられたい、手を握って欲しい、と、思うのではないか?
もし、それがかなわないのならば、いっそ、何も感じなくなってしまいたいのだ。

 「淋しさ」も、積もり積もると、「恐怖」になる。
妻は、子供の頃から、いつも、うすら淋しく、背中の後ろが怖かった。
両親顕在、兄弟仲良く、一見、何の問題もなく育ったが、生まれてこの方、
気を張っていない事はなかった。
 ぼんやりしていたら、親に捨てられるような気がしていた。
 頑張っていないと、友達にもそっぽを向かれそうだった。

そして、唯一、頑張らない自分を、見捨てない人を見つけた。
それが、夫だった。


 「俺は絶対、ボケたくない」
夫が、玄関に戻ってきて言った。
 「じゃあ、私がボケたあと、よろしくね」
妻が言うと、
 「はいはい」
と、また出て行った。

 ―――妻は、はた、と思った。
 私の寿命は、うまくいけば60年、と。
あと26年。それまでに、大病したり、事故に遭って死んだら、それまでよ、と。
 60歳になっても生きていたら、私の人生はひとまず終わった事にしよう。
そして、そこから先は、適当にやろう。
 問題は、26年だ。
たぶん、あっという間だろう。
 その、短い26年という期間を、濃厚に生きたい。
 ひとりでクヨクヨといじけたり、すねたりしているひまはない。
淋しい、と思ったら「淋しい」と夫に言ってみよう。
 もうだめだ、と感じたら「助けて」と夫に言ってみよう。
 ぷんぷん怒っていても、何も伝わらないのだ。
両親が自分に、愛情を伝えられなかったように。
自分が両親に、愛情を求められなかったように。

 「いってらっしゃ〜い」

 妻は、夫の背中に、明るい声を掛けた。
 夫は、ビクッ、として立ち止まり、そろりそろりと振り返った。
 妻は、にっこり微笑む。
 夫は、首をすくめる。

 何を怯えているのか、夫。
夫婦の関係はまだまだつづくのだぞ。
少なくとも、あと26年は。

                     (つづく)