「墓参り ’01」


 あかじそドリンクのルーツは、父方の祖母の作る、夏場の手作りサワードリンクである。
 あかじその葉っぱに、りんご酢と蜂蜜を入れて作る、紫色の、滅茶苦茶酸っぱい飲み物だ。

 冷房もない、猛暑の田舎で、氷とあかじそドリンク(原液)が入ったグラスが出てくると、
子供も大人も、うっ、となったものだ。
 物凄く酸っぱい上に、飲み干すまで、にこにこしながら婆ちゃんが見守っているのだ。
 体には、とってもいいが、ちょっとインパクトが強すぎるのである。
 最近は、あかじそがアレルギーに効く事がわかってきたが、そんな事は、全然知らなかった大昔から、
婆ちゃんは、アレルギー体質の家族に、あかじそドリンクを、にこに こにこにこしながら、
飲ませ続けてきた。
 シャイで、働き者で、ひょうきんで、洒落者の婆ちゃんは、真面目な、
哲学者のような爺ちゃんを見送って4年、今年で90歳になるはずだ。
「あたしゃもう、10年くらいしか生きられないよ・・・・・・」
と、言っているらしい。
 墓参りを兼ねて、婆ちゃんの顔を見に行こう、と、両親と、私と、4人の子供達で、
片道3時間のドライブをする事になった。
 渋滞したり、車内が暑いと、短気な両親(ふたりとも還暦)がキレルので、
エアコンが良く効く私の車で行き、運転も私がする事にした。

 子供達は、いつもの席、いつものジュニアシート、いつものチャイルドシートに黙って乗り込み、
母は、後部座席に乗り込んだ。
 父は、地図を片手に、助手席に乗り込み、ナビゲーション・ジジイと化した。
 私は、未熟な運転とはいえ、日常的に乗っている。
  だから、勇んで運転席に乗り込んだが、両親にとって は、私の運転は、全然信用できないらしい。

 父は、いつも平気でスピードオーバーするくせに、私がちょっとアクセルをふかすと、
「あぶねあぶねあぶねあぶねあぶねあぶね・・・・・・」
と、つぶやき、
「あせるなあせるなあせるなあせるなあせるなあせるなあせるなあせるな」
と、連呼した。
 そして、自分は、黄色信号で停まった事などないくせに、 私が強引に黄色で突っ込むと、夫婦して、
「お姉ちゃん!! 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤!!!」
と、絶叫した。
 運転しずらいったら、ありゃしない。
 快適に車は進み、気持ちよく運転していると、突然、
「車線変更!!」
と、大声で、しかも、物凄くハッキリした活舌で、父が叫ぶ。
「うわっ! びっくりした!」
 びっくりしやすい私は、その叫びに驚いて、ハンドルが揺れ、車がわずかに蛇行する。
「危ない! お姉ちゃん! 何やってんのよ! 気を付けて!!」
 母も絶叫する。
 父ナビも、止まらない。
「待て! 待て待て待て待て! 合流だ! 一台づつ、入れてやるんだ!」
「わかってる、って・・・・・・」
「そう・・・・・・そう・・・・・・。そうだっ! 今だ! あっ! 遅い! ほらっ! ほらほらほらほら! 
 2台入られちゃった! ほら! ほ〜らね、言ったこっちゃない!」
「うるっさいなあ! ちっとは黙っててっての!」
「・・・・・・・・・・・・・・・はい、左折! ミラーで左後方確認!」
「だから! わかってる、って! 教習所じゃないんだから! この調子で6時間やんの〜?!」
 助手席とその後ろで、父母が、ひっきりなしに警告を発しているのである。
はっきり言って、うるさい!
 うるさすぎて、危ない!

 車内が、警告の叫びと、「お菓子食いてえ」の叫びと、「チャイルド・シートから出せ」の叫びで、
もう、ピッシビシになり、ガソリンもなくなってきたので、国道沿いのスタンドで給油することにした。
 私がトイレに立ち、戻ると、運転席には、父が平然と座っていた。
「あり? 運転代わるの?」
「運転交代!」
 号令一発、交代だそうである。
よく見ると、助手席には、母が当然のように座り、地図を膝に乗せている。
 父の運転と、母のナビは、セットなのらしい。
いつものように、落ち着いた空気(?)に戻り、
「3つ目の信号を右!」
と言う、母ナビも平常通りだ。
 私は、四男に授乳し、子供達にもお菓子やお茶を配って、車内は鎮静化した。
(結局は、やっぱり、このポジションなのね・・・・・・)
そして、2時間半後、無事、菩提寺に到着した。

 墓参りをソツなく済まし、婆ちゃんの家に行った。
勝手口が、相変わらず開けっ放しだった。
「おばあちゃ〜ん」
 中に声を掛けると、隠居している、父の兄・66歳が、ランニング姿で出てきた。
「おうっ! どうした、リカ! 子供達も来たのか?!」
 父の兄は、「めちゃめちゃ明るい高倉健」という感じの人で、ひっひっひっひっ、と笑いながら、
奥で昼寝している婆ちゃんを呼びに行った。

 この婆ちゃんという人は、孫に、「こっそり」小さくたたんだお札を握らせるのが生きがいで、とにかく、
その渡し方というのが、まるで忍者なのだ。
「ちょっと、トイレ貸して」
と、トイレに向かうと、音もなくススッ、と消え、廊下の陰で、壁に張り付いて待っている。
何にも知らない私が、トイレから出ると、どこからともなく、物凄い力で腕を引っ張られ、
手のひらをこじ開けられて、札をねじり込まれる。
「これ、とっときな!!」
と、婆ちゃんは、耳元でささやいて、はやてのように去って行く。
 親には、内緒だよ、と、言うのだが、
(何も、そんなにアクロバティックに渡さなくても・・・・・・)
と、子供心にも思っていた。
 私が、三十路を過ぎても、腕を引っ張り、手のひらに札をねじ込んで来たが、愛する爺ちゃん亡き後も
クソヂカラは顕在か、と、ちょっと楽しみだった。

 婆ちゃんは、杖をついてはいたが、まあ、元気そう
だった。
ひ孫達の成長に目を細め、
「まったく、すぐにおっきくなっちまってよお、あきれっちまうよぉ!」
と、4人のひ孫たちを見回しては、うなづいていた。
 と、いつのまにか婆ちゃんが消えた。
 いよいよ婆ちゃんに無理やり「札」を握らされる瞬間がやってくるのか、と、どきどきしながら
三男をトイレに連れて行くと、婆ちゃんの部屋のドアが開いていて、中が見えてしまった。
 ベッドに腰掛けて、ガマグチの中を覗き込み、小さくため息をついている。

 お金がないのかもしれない。
ここのところ、通院代がかさむため、父の兄に、年金をそっくり預けてしまっているのだと聞いた。

 ひ孫達が、「札ねじ込み」の廊下を、バタバタと何往復も駆け抜け、握らせる絶妙なチャンスが
何となく訪れても、婆ちゃんは、部屋からなかなか出てこなかった。
 小さい背中が、震えているように見えた。

 帰りしな、みんなで婆ちゃんや、父の兄に挨拶をしていると、婆ちゃんは、静かに泣いていた。
「何も渡すものがなくってよぉ・・・・・・、情けないよ・・・・・・」
 私は、婆ちゃんの背中を抱いた。
「婆ちゃんに会いに来たんだよ。婆ちゃんの元気な姿が、何よりの土産だってば!」
 大きな声で、いたずらっぽい目で、ひっひっひっひっ、と、笑うのが、いつもの婆ちゃんなのだ。
それが、今日は、声も小さい。
「ごめんよぉ、ごめんよぉ・・・・・・」
 自分の畑で何でも作り、料理が得意な婆ちゃんだが、
さっき、流しの三角コーナーに、カップ麺の食べた跡があった。

「婆ちゃん、元気でね! また来るから!」
 私が言うと、婆ちゃんは、手に持っていたグレープフルーツをひとつ、私に渡した。

「これ、とっときな」

 グレープフルーツは、おや、と思うほど温かかった。
 ずっと両手のひらに包んで、ひ孫の誰かに手渡そうとして持っていたが、とうとう渡せずにいたのだろう。

「わあ、いいの?」
 私が鼻声で言うと、
「みんなには言うなよ」
と、やっぱり鼻声で婆ちゃんは言い、二人して真っ赤な目を見合わせて、ひっひっひっ、と笑った。

 婆ちゃんは、車が見えなくなるまで、ずっとこちらを見ていた。
私も、婆ちゃんが見えなくなるまで、車の中から手を振った。 

 婆ちゃんに、返って可哀想な事をした。
 食事の準備など、婆ちゃんや、父の兄一家に面倒をかけまいと、連絡しないで突然訪ねたが、
裏目に出てしまった。  

 帰りの車内は、静かだった。
 淋しかった。

 婆ちゃんは、私のルーツなのだ。
私のやることなすこと、言うことは、全部、婆ちゃんの受け売りなのだ。
 婆ちゃんは、4人の男の子を産んで、5人目に女の子を産んだ。
私も続けて4人、男の子を産んでいる。
 私は、婆ちゃんのコピーだ。
 どんなに嫌なことがあっても、爺ちゃんと婆ちゃんの、私に向けられていた愛しげな視線を思い出せば、
生きていこう、という気持ちが湧いてきた。

「私さあ・・・・・・、今度、ちゃんと連絡してから、婆ちゃんチ行くよ」
 いつもは、私の発言に、必ず一度は反対する両親も、黙ってうなづいた。

 みんな、淋しくなってしまったし、クーラーは、ちゃんと効いているし、子供達は眠っているし、
渋滞もたいした事なかったので、一行は、静かに静かに、帰途についていた。

 このまま婆ちゃんをあの墓に入れちまう訳にはいかない。
私は、近々、大人しげな子供を一人みつくろい、もう一度、婆ちゃんを訪ねる。
 あの、「札ねじ込み」の廊下で、婆ちゃんに、札をねじ込まれに行こうと、思っている。


                                                      (おわり)  
あかじそ作:2001.08.16