ハードボイルド主婦

私は、ハードボイルドが、割と好きである。
 
 「ハードボイルド」とは、
トレンチコートのナイスミドルが、港で葉巻をふかしたり、
男がカウンターバーで、マスター相手に渋い会話を交わし、
「あちらのお客様からです」なんて言わせて、
女性にカクテルをおごっているばかりではない。

 女だって、いや、女だからこそのハードボイルドがある。

 まず、ハードボイルドは、黙って何かを背負っている。
つらい過去、冷たい世間、救いのない未来など、
多くは語らないが、背負っている。

 女は、娘時代に受けた、世間からの温かい扱いは、
もうされない。
若い連中に「おばはん」とか呼ばれ、夫からは無視されて、
ぐずりまくる乳幼児を背負って、
今日家族が摂取すべき食材の調達に走る。
 自転車の前には、2歳児、後ろには4歳児を積み、
背中には0歳児をくくりつけている。

 仕事が終わったのが夕方4時過ぎだ。
空腹と眠気で泣き狂う乳幼児3人を連れて、
近所で最も安いスーパーマーケットへと急ぐ。

 ぎりぎりの低収入で、子を養っていくためには、
寸暇を惜しまず手間を省かず、やっていくしかないのだ。
 子供たちの体調がすぐれないが、仕事を替わってくれる人もいないので、託児所に預け、今日も働いた。
 店で買い物を済ませると、
女は、やはり泣き狂う子供たちの相手をしながら、夕飯を作る。

 遅々として進まぬ乳幼児の食事を介助しながら、
自分は、子供の残り物や、冷めきったおかずを掻きこむ。

 子供たちを入浴させる。
子供たちに風邪をひかせないように溺れさせないようにと、
細心の注意をはらいながら、
寡黙に入浴を仕切る。
 すばやく洗った自分の体に湯をかけて泡を流すと、
物凄い量の垢が流れた。

 それは、労働者の垢だ。
一日中、ヤクルトを何十キロも自転車に積んで、
何十回軒も回り、
何百回も頭を下げて売り歩いた。
 現代の行商だ。
 我々は社員じゃない。
みな、自分の責任で仕入れ、売り、
お客様の開拓も自分でしている、
小さな自営業なのだ。
 決まった時間そこに居れば給料がもらえる、
という仕事ではない。

「おい、おばちゃん」
と、自分よりずっと年配のおやじに言われたり、
「そこの瓶の中の1円玉から払うから」
と言われて、370枚数えさせられたり、
「ケツでけえぞ、ババア」
と、若い会社員たちにからかわれたりしながら、
今日のおかずを買う金を稼いだ。

「いつも大変だね」
と、微笑む警備員のおじさんや、
「お互いがんばろう!」
と、肩を叩く保険屋のおばちゃんや、
「きょうもありがとう」
と、手を合わせる、アパートでひとり暮らしのおばあちゃんが、
私を支えてくれている。

 今日は、頑張って10軒多く回り、子供たちにケーキを買った。
風呂上がり、「うまいうまい」と言って食べる子供たちを横目に、
冷蔵庫の麦茶をごくごく飲む。

 夫は、いつもいない。
明け方近くに帰ってきて、みんな出かけてから起きて来るから、
とんと会っていない。
 でもそれは、もう慣れてしまった。
 夫とは、もう何年も、目も合わさなくなってしまった。
 これがいいこととは思わないが、
夫とは話し合いをする時間もないので、仕方ない。
今の自分には、これが精一杯の生活だ。

 深夜、子供のひとりが喘息の発作を起こした。
他の子供たちも連れて、救急外来へと、駆け込む。
吸入をし、薬をもらって、
うつらうつらする子供たちを連れて、帰宅する。

 そして、また、朝が来る。

 女は、苦しかった。
決して、楽しい毎日ではなかった。
 しかし、この生活が
嫌いではない、と思っていた。

 何不自由なく暮らせるだけの経済と、
いつも家に居て、一緒に子育てしてくれる夫がいたとして、
家族で海外旅行をしたり、
奥様仲間とスポーツジムで汗をかいたり、
そういう毎日に、果たして自分が満足するだろうか、
と、ふと思うのだ。

 アロハやムームーを着て、温泉につかったり、ゲームをしたり、
焼肉を食べてサウナに入り、
映画を見たり、仮眠したり、
カラオケしたり、ビールカックラッタリする、
<健康ランド>みたいな人生を、
果たして自分は幸福と感じるのだろうか、と。

 ほどほどの人生で、ほどほどの子を育て、
心ゆったりと、連日、余暇のような生活を送り、
「人生を楽しく」と謳歌するくらしを、私は望んでいるのだろうか、と。

  頑張って生きていないと死んでしまうような、
そんな「生」の実感を感じながらの人生でないと、
自分が本当に生きているのか、わからなくなってしまいそうだ。

 「死ぬまでの時間つぶし」のような人生では、
女は、満足できないのだった。

女のこころには、穏やかな日々を願いながらも、
それをひどくつまらなく感じる、相反する気持ちが、
いつも行ったり来たりしていた。

  子供を産むこと、
育てること、
病気と付きあっていくこと、
労働すること、
生きていないと死んでしまうことを、
常に実感しながら、
女は、今を生きていた。

  これを、ハードボイルドと呼ばずして、何と呼ぼう。

 そして、この苦しい毎日に嘆く主婦たちに、
どうして声を掛けずにいられようか。

「君こそ、ハードボイルドだよ」
と。
「君は、誰よりカッコイイのさ」
と。


                              (おわり)