インパクミーティング&パーティー レポート



 そのイベントの5日前に、私は、とある文学新人賞に原稿を応募し終わり、
気力のほとんどを使い果たしていた。

 しかし、イベントにホームページのダイジェスト版小冊子を持って行く、と、
前に事務局に届けてしまったため、
ない気力を振り絞って、原稿の推敲・編集を始めた。

 どの文を選んだら、お客さんたちにこのサイトのイメージが伝わるだろう。

 真剣に考えた末、「短く」「面白く」「感動的で」「老若男女に理解できる」
などのバランスを考え、結局、

1、「墓参り ‘01 (改訂版)」

2、コンテンツ表

3、あかじそ姉妹社紹介文

4、「見世物小屋」

5、「生き始める」

6、「ドラマチック・ワイフ」

7、「カウントダウン初産」

8、「俺の新生活」

という構成にした。

 事務局は、参加者は、300〜400名と見込んでいるというので、
200部ほど刷れば充分だろう、と思い、
予備にブラックのプリンターのインクを1本用意して、印刷を始めた。

んがっ!

プリンターの調子が悪いったらないのだ。

ちょっと刷っちゃ、ダウーン……
ちょっと刷っちゃ、シュシューン……

10枚続けて刷れたためしがないのだ。

これで9ページ×200部、計1800枚も刷れるのかよぅ……。

 なだめたりすかしたりしながら、1日目は何とか400枚ほど刷り終えた。

 1日かかって、だ。

翌日も、プリンター様は、まったく機嫌がすぐれず、
結局朝から晩までかかって、400枚。
 これではダメだ、間に合わん。
夫にたのんで、夫の職場で刷ってもらうことにした。

 昼頃、「できたよ」という連絡が入り、
取りに行くと、表紙の字が途中でブツ切れになっている。

「こんなんで、すみません」

私たちは、お客さんがいる手前、他人のふりをして(ホントに他人だけどね(-_-))
敬語でやりとりしていた。

「切れちゃいましたけど、これでいいっすか?」

 私は、目で
(いいわきゃねえだろ、表紙だぞ!)
と、訴えたが、

「これは、なんとか復元できませんか?」
と、極力おさえた口調で聞いた。

 すると、夫は、

「あ、そりゃ無理っすね!」
なんて、シラッ、と言いやがる。

(ミスプリ200枚もこさえやがって、なんつう開き直り!)

 お客さんも待っているし、
これ以上時間を取らせては、夫の仕事に支障がでると思い、
「じゃ、これでいいです。ありがとうございました」
と、帰ってきた。

「使えねえ!」

 帰り道、私は、くらくらしてきた。
 夫も仕事で忙しい中、やってくれたんだ。
怒っちゃいけない。怒っちゃ、筋違い!
 
これは仕事でもないし、商品でもない。
でも、どれも私の魂を削って書いた作文だ。
 それを、ものすごく軽く扱う夫に、もう、本当にじりじりとしてくる。

 しかし、それはそれとして、
早いところこの1800枚の紙を製本しなくちゃいけないのだ。

 1歳の四男を、有無を言わさず実家に押し付け、
家でひとり、部屋中に原稿を広げ、
紙を半分に折り、順番に並べ、端から1枚づつ拾っていく。

9枚順番に拾って重ね、ひとまとめにして置く、これを200回。

 その作業だけで7時間。
ご飯を食べるのも忘れていた。

 午後7時頃、夫が職場から電話をしてきた。
 表紙のやり直しが刷り上ったと言う。

 私は、上の子供3人も実家の玄関に突っ込み、
自転車をかっ飛ばして夜道を走った。
 頭がくらくらした。
食事をしていない上、ずっと不自然な姿勢で単調作業を7時間も続けていたせいで、
もう、へろへろだった。

 今度は、ちゃんとしたカラーの表紙が刷れていた。
左側に大きくあかじそドリンクのグラスの写真。
右側に小さく人気キャラ・じじじその絵。

 さっそく家に帰って仮製本した200部の冊子に、
一冊一冊、表紙を付けてホッチキスで留めていく。

 最後の一冊を綴じ終わったのは、午前3時半。
つまり、イベント当日の早朝だ。
 まだまだ準備は終わっていなかったが、まばたきをすると、
そのまま瞼がくっ付いて1分くらい開かなくなってしまうので、
もう寝てしまうことにした。

 夫も、こっくりこっくりしながら、あかじそドリンクの新作更新の作業をした。

 夫は、3秒ごとに意識を失っていた。

 床に入り、眼を閉じたと思った途端、目覚ましが鳴った。

 午前6時。

子供に朝食を作り、支度をさせながら、
白い紙に大きくプリントアウトした
「読んでさっぱり あかじそドリンク」
の文字を切り取り、紫色の模造紙に貼っていった。

 もう、目がぴくぴくぴくぴくしている。

 私は、なにがなんでも最低6時間は寝ないと動けないのだが、
気が張っていると何でもできるもので、
子供らをいつも通り送り出し、
着物の着付けのために、歩いて5分の実家に向かった。

 午前9時に出発予定だというのに、もう8時半になってしまった。
実家では、待ちかねた母が玄関で待っていて、

「ほいほいほい」
と、手早く紫色の着物を着付けてくれた。

 夫が四男を実家に連れてきて、母に渡し、
二人して小走りで家に戻った。

夫は、出掛けに何度も何度も「忘れ物」をし、
いつもの如く、まったく反省心のない「ごめん」を連発して、
結局出発したのは、10時前だった。

 小冊子200部―――紙袋にびっしりふた袋。重い!

そして、模造紙に文具類、ブースを飾るテーブルクロスに千代紙、
物凄く大荷物になったが、すべて夫に持たせ、
私は、しゃなりしやなりと和服で歩く。

 夫は、3歩下がってついて来る。
ひとのことを「先生」などと呼びながら……。

 「先生」というより、
地方回りをする売れない演歌歌手とマネージャー、といった雰囲気だ。

 電車で2時間。
途中、ドトールでカフェラテとサンドイッチを摂り、
12時過ぎに、会場となる新宿の廃校に到着した。

 あてがわれた教室は、2階にあり、燦燦と日が注ぐ窓際に
会議机と2脚の椅子が用意されていた。

 ぱぱっとブースを設営し、出来たてほやほやの小冊子を平積みにする。

「で……でぎだあっ!」

 教室は暑いくらいだったので、安心したとたんに、目の周りが、ぐずぐずぐずっ、となり、
激しい睡魔が襲ってきた。

 その時だ。

 巨大な男がブースにやってきて、
「こんにちは〜〜〜〜〜」
と、言った。 

(あっ! この人、テレビで見たことある!)

と、思ったら、作家の荒俣宏氏だった。

 荒俣氏は、小冊子を快く受け取って、
一緒に写真を撮らせてください、と頼むと、
これまた快く私と並んで撮ってくれた。

 デジカメで撮影する夫は、
アインシュタインの写真がプリントされたTシャツを着ていたが、
氏は、そのTシャツを指差し、
「それ、いいなあ! それ売れば?」
と、がははは笑いながら言った。

 初対面でも、物凄くいい人だということが、物凄くよくわかった。
荒俣氏は、本当に朗らかな知性の人だった。

 と、 今度は、糸井重里氏がフラッ、とやって来た。

「こちらは、ドリンクの試飲コーナーですか?」
と言うので、
「いえいえ、こちらは、読み物サイトで、試読コーナーです」
と私が言うと、
「あっ! 思い出した! 知ってる知ってる、ここ!」
と、言い、自ら小冊子を手にとってくれた。

 私は、また一緒に写真を撮らせてもらったが、
糸井氏は、気を利かせて、
小冊子を自分の胸元で表紙を見せて持ってくれた。
 神経の行き届いた人だなあ、と思った。

「うちは、子供が喘息なんで……」
 と言うと、
「ぼくも子供の頃、喘息だったんです」
と言った。

 スラッ、とスリムで、軽やかな人だ。
こんなにイメージ通りだと、返って驚く。

 この後、体育館で、
インパク出展者や糸井氏、荒俣氏などによるパネルディスカッションがあったが、
その控え室で、荒俣氏は、あかじそドリンク小冊子を読んでいてくれて、
出演者たちに「カウントダウン初産」を朗読したらしい。

 特に、「1トンのうんち」というフレーズを気に入っていただいたらしく、
みんな笑って、場のムードがほぐれたらしい。

 あとからその話を人から漏れ聞いて、
「作家の人が、素人の文章をちゃんと読んでくれるなんて!」
と、私は、いたく感激してしまった。

 みんな、小冊子を快く受取っても、
後で読まずにポイ、だろうな、
と覚悟していただけに、嬉しかった。  

 ただ、閉口したのは、ほとんどの人が、
「ああ、あかじそドリンクの作り方ですかあ……」
と、言いながら小冊子を受け取り、
「花粉症にいいんですよねえ」
と言いながら去っていったことだった。

 はじめは、
「いえいえ、私はドリンク屋ではなくて……」
と、いちいち説明し、
「ここは読み物サイトでして……」
と言うと、
「ああ、飲み物サイト……」
と言って去っていった。

(何だよ、飲み物サイトって!)

とも思ったが、そもそも紛らわしい名前を付けた私も私なので、
どんなに説明しても断固「飲み物屋」と勘違いしている人には、もう、適当に、
「アレルギーに効くんですよ、これが〜」
などと、すっかりドリンク屋の売り子として接していた。

 このイベントで面白かったのは、
ホームページを意欲的に運営し、
日本の立ち遅れたインターネットを、
みんなで盛り上げて発展させていこうぜ、
というバイタリティーの塊みたいな人が
たくさん出席していたことだった。

 普段は、あまり横のつながりのなかったインパク出展者同士が、
互いのブースを行ったり来たりして、顔を突き合わせ、
「どうだい、そっちは」
というような会話をすることが、なんともエキサイティングだった。
 楽しみに通っているサイトのあるじが、そこにいるのだから。

 テレビ局のカメラが、我々のブースに向けられた。
そして、ディレクターらしき男性が、
「もしよろしかったら、自宅での様子を撮らせてください」
と言ってきた。

「個人で出展している人が、
生活の中でどんな風にインターネットと関わっているのか、取材したいので」
と言った。

 私は、hanaに突然ホームページを作ってもらい、
「やってみなって」
と言われた日のことを思い出した。

 毎日、家事育児に追われるだけの毎日で、
作家志望で頑張って勉強していたことすら、
遠い過去のこととなっていた。

「オネエチャンの書くものは、面白いって。みんなに読んでもらおうよ」
 そう言われてその気になりつつも、パソコンに対する拒絶反応もあった。
「でもねえ……」
 そう渋りながら、台所でねぎを刻んでいたのは、もう1年半も前のことだ。
  今は、もう、インターネットのない生活は、考えられない。

密室育児でノイローゼになっていたあのころ、
もし、ネットと出会っていたら、
あんなにも苦しまずに済んだはずだ。

 子供のお母さんたちに聞いても、
ネットをやっている人は、まだ少なかったりする。 

「わかりました。引き受けます」

 私は、取材を受けることにした。
私は、6年前の私を救いたい。

 ひとりぼっちで、ダンナにも親にも相談できずに、
がけっぷちで育児しているママたちに、
あの日、hanaが私に言ったように、
「やってみなって」
と言いたい。

 イベントの最後、全員で記念撮影をした。
その後、荒俣氏が、「我々は、同士だ」というようなことを言った。

 これからどうなるのか全然分からない日本のインターネットの創世期に、
それぞれが別々の場所で、違うアプローチの方法で、
しかし、しっかり腕を組んで、未来に向かって進んでいく、
我々は同士だ、と。

 校庭で、芋煮やら、焼き鳥やらが振舞われて、
何百人もの人々が、飲んで、食べて、歓談した。

 知らない人が、知ってる人になり、
自分がひとりぼっちでないことが、嫌ってほど、ぐいぐいと実感できた。

 行ってよかった。

そして、風邪で体調を崩し、欠席したhanaに、ぜひ出席させてあげたかった。
 私達は、「あかじそ姉妹社」だ。
イトコ同士だけど、姉妹なのだ。

 やってよかった。

また書くことが始められてよかった。
 月々の原稿料をもらうのをやめて8年。
プライドまでも捨ててしまっていた。
 楽しいことのなにもない、
家事・育児の苦手な、
不機嫌な主婦になっていた。 

 書くこと。
読んでもらえること。
 書くこと。
誉めてもらえること。
 書くこと。
生きていると、認められること。
 書くこと。
生きていること。

 この1年半で、私は、生き始めたのだと思う。
子供達が可愛く感じられるようになったのは、
私が生きているからなのだ。


インパクの意義は、まだよくわからないが、
少なくとも、インパク2001 ミーティング&パーティーは、
ひとりぼっちじゃないことがわかったという意味では、
意義があったと思う。


以上。