「どこまでも憑いていく」


 俺は、とりつかれた。
できる限りの事はしてみたが、奴は、出て行ってくれなかった。
 奴は、いわゆる生霊というやつで、あの世から来た訳でもないし、
俺に危害を加えてくる訳でもない。
ただ、いつでもどこでも、俺のそばに居て、俺そっくりの性格で、俺を見ているのだ。
 
「そんな仕事をしていたんじゃ、同僚たちに迷惑がかかるだろうが。
スタンドプレイもいい加減にしろよ」

おじいさんが、俺の肩越しに身を乗り出して、パソコンのキーボードを叩こうとしてくる。
70歳の俺だ。

「やめてくれよ、ほっといてくれ」

俺は手の甲で、おじいさんをはたく。

「お年寄りを大切にしなくっちゃ、いーけないんだー」

10歳の俺だ。
仕事に追われる俺の周りをぐるぐるぐるぐる駆け回っている。

「うるせいっ」

俺は、<ガキの俺>の尻を蹴飛ばす。

一事が万事、こんな調子で、いっときたりとも一人になれないのだ。
トイレに入っているときも、ニョウボと仲良くしている時も、いつもいつも、
俺は俺に<見守られて>いる。
 やっかいな事に、俺は非常に世話好きで、当然、俺に憑いてるやつらも、
やっぱりかなりのおせっかいなのだ。

 そんなわけで、俺はもう、毎日やつらと折り合いをつけるのにいっぱいいっぱいで、
いつもいつもイライラしていた。
 そして、最近、更に困ったことに、夜な夜な<赤ん坊の俺>が現れては、
ひどい夜泣きを繰り返す。
ひどいときには1〜2時間ごとに、狂ったように泣きまくるのだ。
 これには参った。
連日、必死にあやす俺の横で、すやすや眠るニョウボを見るにつけ、
「たまには、お前も起きて、あやしてくれよ」と思うが、
彼女には、まるで見えないし、聞こえないのだ。

 そうかと思えば、今度は、<4歳の俺>が、泣きじゃくる赤ん坊の横で、
毎早朝、喘息の発作に苦しんでいる。
泣きながら咳き込み、咳き込んでは喉からヒューヒューと悲痛な息の音をたて、
「くるしい・・・たすけて・・・、いきが・・・でき・・・な・・・い・・・」
と、赤ん坊を抱く俺の腕をつかむ。
 すると、やっと寝付いた<赤ん坊の俺>が目を覚まし、再び激しく泣き始める。
恨めしそうに俺を見上げ、息も絶え絶えの<4歳の俺>。

 誰か助けてくれ! と、思わず叫びたくなっていると、耳元で

「うるさいっ! 眠れないから子供を黙らせろ!」
と、57歳の俺が怒鳴る。

 「そんな事言ってないで手伝ってくれ!」
と、叫ぶと、

「自分でやれ! 自分の事だろ!」と、20人位の俺に怒鳴り返される。

 俺は心から反省した。
俺には、喘息もちの子供と、連日連夜泣きじゃくる赤ん坊がいた。
彼らはもう、高校生と中学生だが、俺は、育児を手伝った覚えもないし、
夜中起き上がって、彼らの世話をした覚えもない。
 そのことについて、不満をぶつけてくるニョウボに、
「母親なんだから、やって当たり前だろ」と、吐き捨てていた。
 
 俺は、もうろうとしながら、新しい朝を迎えた。
仕事だ。もう、仕事が貯まりに貯まっている。

 本当に困っている。
 もう、いい加減、どこかへ行ってくれ、<俺>たちよ!

 待てよ、これは、生霊などではなく、精神の病かもしれない。
話題になっている<多重人格>というやつではないだろうか。

 俺は、仕事が更に遅れることを覚悟で、精神科を受診した。
そして、俺は、悪夢のような宣告を受けた。

―――「まったくの正常だと思いますよ」

 おいおい、こんな異常なことを口走る人間が「正常」とは、どういう診断なんだ。
その「おかしいふりしちゃってぇ」という目は何だ。

 霊媒士にも「異常なし」と言われ、医者にも「異常なし」と言われた中での、
この、異常な現状はどういうことなんだ。
これが正常なことであるものか。

 俺は完全に逃げ道を失ってしまった。
こうして、呆然としている俺の横でも、常に<俺達>が騒ぎ、俺に意見してくる。
夜は夜で、夜泣きと喘息発作の面倒を見なければならない。
 生きている限りこれが続くのか?

 絶望的な気持ちで家路についた。
もう、何もする気になれない。
 ふらふらと歩きながら、ふと、誰かと目が合った。
ショウウインドウに映る、俺の姿だった。
俺は、息だけで言った。
 「今度は、どの俺だよ」

その<俺>も、俺にそう言った。

俺は、きっと狂っている。
明日は、別の医者に行こう。

肩を落とし、再び歩き出す俺を、優しく後ろから抱きしめる人がいた。
涙ぐむ俺に、ゆっくりうなづき、俺の肩をぐっと引き寄せて抱いてくれた。
「明日の俺だよ」と、彼は微笑んだ。


                        (おわり)