hana懐妊祝い第一弾
「 夫とビデオ 」

 初めての出産を終え、産科病棟に入院中、
授乳室で和やかに授乳風景が展開されている最中、
ひとりの年配の助産婦が困惑の表情で輪の中に入ってきた。

「この中に赤木さんて方、いらっしゃる?」

 私は慌てて顔を上げ、「はい」と返事すると、助産婦は、
うんざりしたように太いため息をつき、みんなに聞こえるように言った。

「うちは原則的に患者さんたちへの電話連絡なんかは、お断りしているんだけど、
何だか緊急の大事な用事だとおっしゃっていたから伝えますね」

 私は勿論、授乳室中のみんなは、新生児片手に、シンとなって彼女に注目した。
 緊急の用事とは―――。
 親が倒れたとか、親戚が亡くなったとか、その手の連絡に違いないと、
一同、生唾飲んで構えていた。
 助産婦は言った。

「赤木さんのご主人から緊急の連絡です。
ご主人は、出産のお祝いにお婆ちゃんから15万円もらったそうです。
その15万円で、ビデオカメラを買っていいか、
至急、どうしても妻に問い合わせたいとのことです」

 一同、シンと静まったまま、固まっていた。

 私は、体内の血が一気に顔面に集まってくるのを感じた。

「すみませんでした! そんなくだらないことで大騒ぎして!」

 みんな大笑いだった。
 私ひとり、真っ青になって頭を下げまくり、助産婦さんは苦笑とともに、
「これから大変ね」
と、言った。

 退院の日、私の両親が荷物を持ち、私が新生児を抱いて、
夫は、新品のビデオを撮影していた。
 病室で新しい産着を着るアカンボを撮影。
 初孫を抱くじじばばを撮影。
 眠っているアカンボを、何十分も意味もなく撮影。
 
 そして、それから撮影されたものは、
同じ病室の人たちとのお別れ風景、取り上げてくれた助産婦さんへのお礼風景。
 病院を出て、初めて外の空気に触れるアカンボと、その母、じじばばの笑顔。
 みんな、浮き足立って、興奮した模様が延々と撮影されていった。

 部屋に帰って、ドアを開け、誰かが、
「ほーら、ここがぼくちゃんのお家だじょ〜」
などとご機嫌でアカンボに話し掛ける。
 そして、その直後、事件は起きた。

「ベビーベッド、セットしてないじゃん!!」 

 私の雄たけびが響いた。

 予定日より2週間も早く破水で出産したため、準備を夫にたのんでおいたのに、
ベッドは折りたたんだまま、ベビー布団はビニールに入ったまま、
カバー類も勿論、開封していない。

 そして、床一面に足の踏み場もないくらいに広げられたビデオの説明書やら、
パッケージの発泡スチロール。
 ホームビデオに関する本や、プロレス雑誌の数々。

 夫のヤロー・・・・・・
 アカンボより、最新のビデオカメラに夢中になっていたのだ。
 ベビー関係のものは、部屋の奥に埃を被って押し込めてあり、
新しい家族より、新しい機械の登場の方に俄然燃えているのがバレバレだった。
 
 私は、アカンボを置く場所もなく、抱いたまま夫に低い低い声で言った。

「ベビーはどこに寝かせるんですかね!」

 夫は、声のない悲鳴を上げ、コタツの上にビデオを放り出して、
ひーひー言いながら布団をビニールから出し始めた。
 
「カバーは1回洗って、よく干してから布団に被せてある、って、
昨日、その口が言ってなかったっけ?!」

 私が地の底から響くような低い通る声で言うと、母が、
「お姉ちゃん、もうよしなさいよ!」と小声で制した。

 夫は、ひーーー、と超音波の悲鳴を上げて、
冷たい汗をかきながら、必死で布団をセットしていた。
 その手は、恐怖に震え、顔は土気色だった。

 妻が、「可愛い奥ちゃま」から一転、「子を守る鬼子母神」と化した瞬間だった。
 思えば、この瞬間から、妻と夫の関係が変わったのだ。


 1ヵ月後―――。

 ビデオを再生してみたら、例の退院シーンは、
壮絶なドキュメンタリータッチに仕上がっていた。

 遠くで何やら絶叫する女の声。(私の声だ)
 ビデオは、スイッチが入ったまま、テーブルの上にナナメに放り出され、
部屋の景色がナナメに映ったまま、微動だにしない。
 全然意味のないナナメの画と、絶叫。
 父と母が走って何度もカメラ前を横切る緊迫感。
 夫の、「はあ、はあ」という荒い息と、ガサゴソという、激しくパッケージを開ける音。
 そんな恐ろしい映像がしばらく続いた後、若い女の腕がレンズの前にスッと現れ、
「ケッ!」
という吐きくだすような声が聞こえ、直後に画面は真っ黒になった。


 夫とビデオ―――。
 因縁の関係である。


(しその草いきれ) 2002.06.30 作 あかじそ