「 赤い水着の人殺し 」 |
今から30年前のことである。 私6歳、弟2歳、いとこのhana1歳の夏のことであった。 近所の市民プールに、まだうら若き母が、 私たち3人を連れて行ったときにその悲劇は起こった。 横25メートル、縦50メートルのプールは、大勢の人が芋洗い状態になっていた。 それを、水着姿の母が腰に手を当てて見渡し、 「これじゃあ、混んでて危ないわね。あたしが1人づつ背中に乗せて泳いであげるわ」 と言い、まずは6歳の私を自分の背中に乗せて、颯爽と向こう岸へと泳ぎ出した。 母の思い描いた映像は、水面を滑るように泳ぐ自分と、 その背中で「いるかに乗った少年状態」の子供が、楽しげに笑っている、というものだった。 しかし、泳ぎ出した母は、潜水艦のごとくあっという間に水底に沈み、 当然おぶわれている私も一緒に水中へと沈んだ。 私は、息ができなくなり、必死に母の背中から脱出して 水面に顔を出そうともがいたが、母は、(子供が離れる、危ない!)と思ったらしく、 片手を私の背中に回し、がっしりと私を掴んで動けなくしてしまった。 そんな状態で25メートル。 何の息の用意もなく25メートル沈んだままの6歳児は、 当然水をしこたま飲み、意識ももうろうとしていた。 「ぷはーっ!」 と母はプールの岸で立ち上がり、ニコニコ笑いながら、私に 「どうだった? 楽しかった?」 と、ご機嫌に問う。 私は、激しく咳こみ、返事すら出来ずにいると、 「よっしゃ、もう一本行こう!」 と、すぐさま有無を言わさず私を力ずくで背負い、また来た道を潜水で帰っていく。 私は、またもや水中深く沈みこみ、苦しさにもがけばもがくほど、 母の左手は私の腰に深く食い込み、水を飲みまくり、意識が遠のいていった。 (わたし、死ぬんだ) と、思った瞬間、目の前が明るくなり、プールサイドに放り投げられて助かった。 「さあて、次は誰かな〜?」 母は、そう言いながらキョトンとしている2歳の弟をひっつかんで背負い、 あっという間に水中へと消えた。 勿論、弟もろとも、である。 私は、プールサイドで激しく咳こみながら、 涙目で弟の小さい頭が水中で激しく暴れているのを見ていた。 そのたび母の左手は、グイッ、と弟を引き寄せ、 右手一本でカエル泳ぎをするのだった。 向こう岸に着いて、弟が激しい咳をしているのが見えた。 良かった。弟は、まだ生きている。 と、思ったとたん、また弟は水中に引きずり込まれ、 しばらくの間、母も弟も見えなくなった。 (ヤバイ、ヤバイよ、ママ!) 私は、プールサイドで、なすすべもなく細かく足踏みして弟の無事を祈った。 そのときだ。 「ぷはーっ!」 と、ホエールウォッチングのクジラ状態で母が水面に飛んで上がってきた。 顔面蒼白の弟がプールサイドに打ち上げられ、 冷凍マグロのように、つるーん、と滑っていった。 私が駆け寄ると、白目でぴくぴくしている。 背中をバンバン叩いてやると、ガバッと意識を取り戻し、激しく咳をして、 ぎゃー、と泣いた。 良かった! 生きてる! 安心した途端に、背中に冷たい汗が流れた。 (hanaが危ない!) 振り返った私が目にしたものは――― まだ1歳になったばかりの、「アンヨもやっと」のhanaが、 母に背負われて水中に沈んでいく、その瞬間だった。 (嗚呼!) 6歳の私は、泣きながら弟の背中を叩いて水を吐かせつつ、 hanaが沈んでいるであろう水底を見つめた。 (死なないで! 死なないで、hana!) しばらくして、対岸で、母とhanaが顔を出した。 心なしかぐったりとしたように見えるhana。 私が立ち上がって「ヤメテ―!」と叫び、手を振ると、母は、 hanaの細い腕をつかんでこちらに手を振って見せ、次の瞬間、またふたりとも水中に消えた。 (嗚呼、嗚呼!) かくして、プールサイドで号泣する私と、うつぶせに倒れた弟の前に、 虫の息のhanaが投げ出され、私の必死の救命措置にてhanaは意識を取り戻した。 ぐったりと倒れ込む私たち乳幼児を前にして、母は、 ザザーン、と大量の水とともにオカに上がってきた。 仁王立ちした、その真っ赤な水着の人殺しは、笑顔全開で私たちを見渡し、 「どう? 面白かったでしょう?!」 と、言い放ち、高らかに笑った。 私たちは、声もなくがっくりとプールサイドのコンクリに頬を付けて倒れ込み、 低い低い位置で互いの目を見詰め合い、 (生きてて良かった、生きてて良かった) と、ことばにならないテレパシーを通わせていた。 ゆっくりと顔を上げると、母のひざは擦り剥けていた。 帰宅後、私たちが生死の境をさまよったことを母に告げると、母は、 「そういえば私、潜水しかできないのよね」 と、こともなげに言い放ち、ガハハハハと笑った。 バカヤロウ。 |
(青春てやつぁ) 2002.07.13 作 あかじそ |