「世界が遠い」 テーマ★おたふく 子供が、幼稚園からおたふくの菌をもらって帰って来た。 子供たちは、ほっぺが痛い痛い、と顔をしかめ、2〜3日、ヨーグルトなどを食べて、 何とかやりすごした。 そして、その2週間後の朝、食事を摂ろうとして、びっくりした。 耳から頬の奥側にかけて、唾液の通り道に木綿針を刺していくような、鋭い痛みが走る。 「ぐあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!! イタッ!! イタタタタッ!! 」 半端じゃない! 半端じゃない! 半端じゃない〜〜〜〜〜〜〜ん! 普段から、「モアイ」と呼ばれるほど、デカイ顔だが、 それが、更に更に、どんどんどんどん、膨張していく。 そして、完璧に、バレーボール状となった。 「でかいっ!!」 子供たちは、後ずさった。 「丸いっ!! 球だ・・・・・・」 夫は、目をむいた。 私は・・・・・・痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて、 頬をアイスノンで冷やしながら、のたうち回っていた。 木綿針がキリに、キリがドリルに、ドリルがチェンソウに成長していき、 私の両頬を、青く鋭く、貫いては、 「チュイ〜〜〜〜〜〜〜〜ン」 と、言った。 唾液の分泌に伴って、痛みがやってくるので、食欲はあっても、 食べるのがつらい。 食べる=「チュイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン」 である。 青い青い青いっ!! ちべたい、ちべたい、ちべたいっ!! 痛みが、異常にトンガッていて、細い。 細くて、長くて、冷たい。 頬に竹串を刺されるような1週間を過ごし、やっと、痛みも腫れもひいた頃、 「おやっ?」 と、思った。 体が、変なのだ。 全然、いつもと違う。 体が、心からどんどん離れていって、剥がれていくようだった。 座っていても、気付くと横になっている。 意識が、飛び飛びになる。 世界が、揺れている。 「この世」より、「あの世」の方が近い感覚だ。 世界が遠いのだ。 ―――このままでは死ぬ。 そう直感し、夫に子供たちを託して、ひとり、ふらふらと歩いて病院に行った。 物凄く待たされているうちに、吐き気と、メマイと、意識が遠のくのとで、どうしようもなくなり、 診察室に倒れこんだ。 気がつくと、整形外科の待合室で寝かされ、点滴を受けていた。 どの科も満員で、結局、専門外の医者が、本で調べ調べしながら血液検査をし、 「数値的には・・・・・・ギリギリ<髄膜炎>か、そうでないかの境目だけど・・・ ・・ どうなんだろ?」 と、私に聞いてきた。 聞かれても困る。こちとら意識混濁なのだ。 「ベッドがねえ、満床なんです。ていうか、僕の権限では、入院を決定できないんです」 と、しどろもどろで、 「お子さんがいるなら、入院したくないでしょ。自宅で療養でいいでしょ?」 と、早いところ私に帰ってもらいたそうだ。 「入院してもねえ、ぶどう糖を点滴する位だから。家にいても同じだから。ね?」 ・・・・・・もう、いいです。帰ります。 薬ひとつもらえず、ふらつきながら帰宅した。 43℃以上の高熱と吐き気が10日近く続き、実家の母に子供たちを見てもらいながら、 何とか回復に向かっていった。 本当に、本当に、死ぬかと思った。 「脳」の異常は、本当に怖い。 自分が自分でなくなってしまう。 頭と体が剥がれてしまうと、「半分、あの世の人」と化してしまう。 「心と体は、つながっている」 とは、よく言われているけれど、一回、心と体が離れてみると、 その事がよくわかる。 「生きる」という事は、頭と心と体が、無意識につながっている、という事なのだ。 頭と心、頭と体、心と体が離れたら、苦しいのだ。 あの世に近くて、この世が遠くなってしまうのだ。 私は、10代から20代にかけて、自律神経失調症で、随分苦しんだが、 恐らく、その苦しみは、あの世とこの世の中間で、おらおら状態だったのだ。 苦しいわけだ。 しっかりと生きていないのだから。 社会に適応できないわけだ。 この世が遠いのだから。 「知・徳・体」 昔、小学校の昇降口の所に、仰々しく彫られた石版があった。 ピンポン。正解です。 誰が考えたか知らないけれど、正しいです。 身にしみました。おたふくで。 (おわり) |