「 戦うということ 」

 アメリカがテロに遭ってから1年経った。
 断固報復を、と声高に叫ぶ者もいれば、戦争はもうやめろ、という者もいる。
 
 戦って、戦い抜いて、今の生活を勝ち取ってきた民族は、
その血の中に戦いというプログラムが組み込まれているのだろう。
 かつて首の短いキリンが自然淘汰されてしまったように、
平和主義者の多くは、力の強い者により淘汰されてきてしまったのか。

 しかし、人類は、いい加減学習してきているはずだと思うのだが。
 戦争は、バカなことだということを。

 一方が「もう戦うのをやめた」と言って、武器を捨てれば、
もう一方は、「やった!」と言って、遠慮なく総攻撃をかけていく。
 だから、どちらも武器を構えたまま相手を睨みつづける。

 誰かが仲裁を根気強く続けていくことが大切なのに、
どうもそれがなかなか機能しない。

 日本は「経済」というカードを持っているけれど、
それをくだらないことにしか使えないバカな政治家たちに握られて、役立たずだ。

 一体、戦うということは、どういうことなのだろう。

 自分の家族を守る為、という名目で、人の家族を殺していいのか?
 大体、そんな悠長なことを言っていられるほど、地球はもう、元気じゃないというのに。
 
 地球は、銭湯みたいなものなのだ。
 みんなでひとつの湯につかうようなものなのに、
体を洗って垢を落としてから湯に入るとか、
となりの人にシャンプーの泡がかかってしまったらすぐに謝るとか、
そういうことをしないと、知らない者同士が裸で気持ちよくなれないではないか。

 俺様は今日一日ドロだらけになって働いてきたんだぞ、
と大威張りで湯を泥んこにしてしまったり、
バカなガキが「僕はヒーローだ」と言い放って、
頭を洗う年寄りの丸い背に飛び乗ったりしてはダメなのだ。

 そんなの、ちょっと考えればわかるはずなのだが、
考えないバカちんドモがはびこってしまって、もはやみんなの湯は汚れ果て、
疲れも汚れも落とせない、不潔な場所に成り下がってしまった。

 風呂屋に警察が出動しなければならないようなアホな状況になっている地球。
 みんな病気になってしまった。

 ところで、最近の仮面ライダー、あれはひどいものだ。
 ライダーが何人も出てきて、
「俺がライダーだもん」
「ちがうね、俺だもん!」
と言って、悪者そっちのけで毎週殺しあっている。
 確かに、最新のカッチョイイ武器が次々登場して、
相手をドスドス傷つけていくが、ひとつもかっこよくないのだ。
 仮面ライダー同士が、キラキラの武器で喧嘩しているのを毎週見ていて、
我が家の喧嘩ばかりしている4兄弟も、さすがに引いていた。
「僕たちは兄弟喧嘩をやめよう」
とも言った。
 悪者から地球を守る、という仕事を、
自分の身を呈して遂行しているライダーだからかっちょいいというのに、
「僕が僕が」だけで戦っているアホは、もはや2歳児にもヒーローとして認識してもらえない。

 それが、今の人類の姿だ。
 ヒーローなんてどこにもいない。

 地球を救う、という使命をそっちのけで、
いや、むしろ地球をぶっ壊しながらくだらない喧嘩をして、
人類の自殺行為に一直線だ。

 これは神による自爆装置なのか。
 地球で一番バカな生き物に、その重大なスイッチを握らせようとしている。

 いや、神は、人間の他の生物にとっても神なのだ。
 小さな小さなバクテリアやウイルスを、じわじわじわじわとはびこらせて、
一気に人類を駆除する準備をしている。

 戦ってる場合か?
 アメリカザリガニみたいに、共食いしてる場合なのか?

 バルサンはもう、点火されているのに!

 
 【ところで!】

 「闘病」ということばにも文句あり。
 私は、戦うのは嫌いだ。
 もし、自分や家族が、病気にかかったら、
そいつを敵とみなして「闘病」するのはイヤだ。
 命ある者、みな死ぬのは当然。
 もし、病というお客さんがうちにやって来たら、
「なるべく痛くなく、幸せのうちに死なしてください」
と、穏やかに相談してみようと思う。
 【ひとのいい】病だったら、「よっしゃ」と言って、死神を退散させてくれ
るかもしれないし、厳しいヤツだったら、容赦ないかもしれない。
 でも、泣き付いたり、もみ手したりしながらも、
「仲良くやりましょうや」
と、折衝を続けたいと思う。
 
 戦うのは、イヤだ。仲良くしたい。
 病気とも敵とも、生とも死とも、仲良くなって、うまく共生していきたい。

 そう思う非力な私にできることは、一体何なのだろうか?
 知りたい。

(しその草いきれ) 2002.09.09 作 あかじそ