「 奇病【ワタシワタシ】 」

 私は、人知れずある病を患っている。 
 病名は、【ワタシワタシ】という。

 症状としては、まず、腹が立つ。
 無性に自分の周りの人間にイラつく。
 そして、そのうち激しく泣いたり喚き散らしたり、
人を傷つけるようなことばを吐いたりする。
 主に、朝や疲れている時間帯に多く発症し、
それが始まると、自分はもちろん、誰にもその症状は止められない。

 ひとりになり、時間が経つとそれは次第と「自己嫌悪」という形に変わり、
今度はどうしようもない淋しさに襲われることになる。

 この病気の特徴として、自分が一番気を許している人間、
自分が一番大切に思う者たちに対して、
一番つらく当たってしまう、ということが挙げられる。
 
「ワタシがこんな頑張っているのにあなたは何よ!」
「ワタシばかりがなぜこんな目に遭わなくちゃならないのよ!」
「ワタシは具合が悪いのになぜもっと大事にしてくれないのよ!」
「ワタシはどうせどうしようもない女ですよ!」
「ワタシのことなんてどうだっていいのね!」
「ワタシにもっとこうしてよ!」
「ワタシをもっとこうしてよ!」
「ワタシはもっとこうして欲しいのよ!!!」

 ワタシワタシワタシワタシワタシワタシワタシワタシ!!!

 ワタシの雨アラレを浴びた者たちは、はじめは私に困り、
私に意見し、私を説得しようとするが、そのうち、
私を聞き流し、私を無視し、私を避け、私から遠ざかっていく。
 私は、【ワタシワタシ】という病気にかかって、
誰よりもその症状に苦しんでいるということを
誰にも理解されないまま、すべての愛する者たちを失っていく。

 その病気の別名は、【依存心】というらしい。

 【依存心】とは、人に寄りかかって生きていこうという精神だという。
 無意識のうちに、「人に寄りかかって生きていくのが当然だ」と思っているから、
寄りかからせてくれない人には、怒りが湧いてくる。
 自分が信頼しているからこそ、自分の全体重をその人に預けているというのに、
その人が支えてくれないどころか、スッと除けてしまうから、
ワタシが―――このワタシ様が、
倒れて怪我をしたではないか、と激怒する。
 また、誰も寄りかからせてくれない状態が続くと、
「ワタシは、なんてかわいそうなヒトなんだろう」
と、この世の終わりみたいな気分にどっぷり浸かってしまう。

 誰よりも人恋しい人間のくせに、誰もよりも人が遠のいていく。

 悲劇的なこの病気の主は、決して気付いてはいないのだという。
 自分は、こんなにも頑張っているし、
世のため人のために、こんなにも尽くしているのだから、
自分は断じて「甘ったれ」などではないのだ、と思っている。

 しかし、それは、やっぱり「甘ったれ」なのだ、と、また別の人は言う。
 彼はまた、こうも言う。

「この病気は、治そうと思えば直る」と。
「自分の、その足を見ろ」と。
「自分の足で立て。自分の足で歩け。自分の足で行きたい場所へとたどり着け」と。

「人におんぶされてどこへ行け、そこへ行けなどと威張っているヤツに、
誰が喜んでハイ、ハイ、と笑顔を返すか」と。
「甘えん坊で威張りん坊の側に、誰が好んでいるものか」と。

 私は、今、この病を克服しようと、
自分の体を自分の足で支える練習を始めている。
 誰のせいにもせず、誰も頼りにしないで、
大人らしく、自分ひとりで自分の状況をマネージメントする癖をつけている。

 不思議なことに、
「誰も当てにしない」
と決めたとたんに、誰にも腹が立たなくなってきた。
 人を当てにしない、ということは、物凄く自分の心を支える芯になっている。

 私が、
「誰も当てにしない、ひとりで生きていこう」
という決心をし、それを実行に移した途端、
人生のパートナーが見つかり、彼と暮らし始めることになった。

 奇病【ワタシワタシ】を克服しつつある今、周りをぐるり見回すと、
恐ろしく多くの人間が、この病に侵されていることが見えてきた。
 いつも怒っている人、不機嫌な人の多くが、【ワタシワタシ】と言っている。

「ワタシ」とひとつ言えば、人はひとつ遠ざかる。
「アナタ」とひとつ言えば、人はひとつ歩み寄る。

 処方箋は、これしかない。

(小さなお話) 2002.10.07 作 あかじそ