「生き始める」


 
子供の頃から神経質で、周りに気を使い、いつも自分ははみだしてはいないか、
嫌われてはいないか、と、心配し、出かける時も、ガスは消したか、
あそこの窓は閉めたのか、気になって何度も確かめてしまう、必死な人生を送る私。


して、 思いつくままに行動し、思ったことは口に出し、何の心配も躊躇もなく、生きてきた親友。

 
同じような人と結婚し、同じような経済状況で、同じような年頃の子供がいる。


しかし、私はいつも必死で、不満で、不安で、機嫌が悪い。
彼女は、やりたい放題でたのしげだ。
 
 ある日、彼女が死んだという知らせが届いた。
真夏の暑い晩、部屋中の窓を全開にして寝ていたら、強盗に入られて、一家皆殺しになったという。

 葬式に行ったら、事件が事件だけに、あちこちから号泣が、竜巻のように度々あがっていた。
旦那の棺桶、彼女の棺桶、子供の、ちいさなちいさな棺桶。


彼女の母親と目が合った。
「来てくれたの」と言い終わらないうちに、母親は私の肩に泣き崩れた。
「顔、みてやってね」と言われ、親戚の人たちのあいだを通されて、彼女のお棺の前に行った。
 正直、怖かった。
死んだ人間を見るのは怖い。しかも、親友の死体なんて・・・。

 しかし、見て驚いた。
若くて、きれいで、明るく、元気そうなのだ。
死に化粧のせいでもあるのだろうが、すっぴんで、血の気の失せた、今の私の顔よりも、

よっぽどいきいきしている。

 幸せそうなのだ。
 旦那の顔も、子供の顔も、やっぱり、すがすがしいまでに、明るかった。
青空の下で昼寝をしているような、この爽やかで明るい一家の死に顔は何だろう。
 恐らく、彼女達は、死ぬまで生き生きと生きていたのだろう。

 彼女も、旦那も、子供も、若すぎる死だった。悲惨な死に方だった。

しかし、しっかりと楽しく生きていたのだ。
 そして、私は・・・?

 死んでいるのは私の方かもしれない。
明日に希望が見出せず、暗い顔をして、ただただ、その日一日をやり過ごしている。
 私は、明るい彼女の顔に、自分の死に顔を見せてしまったようで、恥ずかしかった。

 「生きたい」
思わず口をついて出た。
 「生きな」
 生き終わった彼女が、私に微笑んでくれている。

彼女の母親が、私の手のひらに、写真を握らせた。

セーラー服姿の私と彼女が、抱き合って大笑いしている。

私は彼女に命をわけてもらったのだ。

あはは、と明るく生き終わるその日まで生きる命を。