しその草いきれ 「10年後の10年前」


 10年以上前、結婚したばかりの頃は、中元や歳暮の季節になると、
きまってある百貨店の倉庫で包装の仕事をしていた。
 1年に2回募集されるのだが、
いつも大体同じような顔ぶれのおばちゃんたちが集まり、
暗く湿った倉庫で山のように積んであるギフト商品を包装していた。
 その頃20代半ばだった私は、おばちゃんたちに
「新婚ねえちゃん」と呼ばれ、若手のホープとして
連日バリバリ包みまくっていた。
 そこには、アホらしいことに作業台ごとに派閥があり、
「いかにもオバタリアン」派、
「ニセマダムの小遣い稼ぎ」派、
「家計の足しに良妻賢母」派、
「イキイキヤングミセス」派、
などがあった。
 私は、良妻賢母派のテーブルで作業していたのだが、
イキイキ派の30代の人たちに気に入られていて、
すれ違うたびに肩をポーン、と叩かれ、ほほえみかけられていた。
 
「あんた若いのに真面目じゃん」
「包み方も他の人より全然うまいしね」

 私も、活発で働き者の彼女たちが大好きだった。
 しかし、冗談の通じない同じテーブルの人たちや、
仕事もしないで悪口に興じる他のおばちゃんたちとは、
何回会っても友達にはなれずにいた。
 
「いえ、私はダイエーと三越で包んでたんで、
ここの流儀と違うって、みんなによく叱られちゃって」
「気にしない気にしない。何かあったらあたしらに言いな」

 実際、彼女たちはよく仕事を教えてくれ、何かと可愛がってくれた。
 シーズンが終わると、
「じゃあ、またね」
とあっさり別れ、
また今回も名前を聞くのを忘れてしまったことに後で気付く。

 何年目か、また贈答シーズンが来て、
私が例の倉庫に行くと、彼女たちが先に来ていて
ぴょんぴょん飛び上がりながら私に手を振った。
 私も嬉しくなって手を振ったが、
そんな馴れ合いのムードが気に入らないおばちゃんもいるのだ。
 私が歩いていると、わざと荷物満載のカートを足にぶつけてきたりした。

 それを遠くから見ていたイキイキ派の若い主婦は、
素早くこちらにやってきて、私の腕をつかみ、
「【ザイコ】行くよ」
と強引に在庫置き場まで引っ張って行った。

「ここで終わっちゃだめだよ」

 彼女は、キッコーマンの重い醤油セットを
何箱もカートに乗せながら言った。

「ここは確かに割のいい仕事だし、ちょっとした小遣い稼ぎにはちょうどいい。
でも、あんたはここで終わっちゃだめ」

 私が「え?」と笑いながら急いで箱を積むのを手伝うと、
彼女は私と目も合わさずに
「10年後の10年前、ってい〜つだ?」
と言って、箱の上にまた箱を積んだ。

「10年後の10年前?」

 何かのクイズだと思い、動きを止めて考えていると、
「何悩んでんの。そりゃ、今だよ。いまいまっ!」
と、彼女は私に向き直って笑った。

「10年後、ねえちゃんは幾つになんの?」
「はい、34歳です」
「その頃、ねえちゃんはどうなっていたいの?」
「えっ? 考えたこともないですけど・・・・・・」
「こら、ちょっとは考えろ」
「あ、はい・・・・・・」
「あたしは10年前、突然思いついてエアロビ始めたのよ。
で、今、臨時のインストラクターやってる」
「ええっ、そうなんですか?」
「うん。10年前は、素人だったけど、今は、一応プロ」
「すごいじゃないですかあ!」
「あんたは!」
「はっ?」
「あんたは、10年後、どうしていたいのよ」
「・・・・・・」
「始めるのは今! でないと、10年後もここにいるんだよ」

 私は、その後作業場に戻って、黙々と商品を包んだ。
 何枚も何枚も、のし紙を貼っては包み、包んでは貼って、
ずっと考えていた。
 
 10年後の、34歳の私に聞いてみた。
 10年前の私にして欲しいことは何か。
 20年後の、44歳の私に聞いてみた。
 20年前の私に言いたい事は何なのか。

 彼女たちは、私に言った。

 お前は若い。
 まだ誰も踏みしめていない新雪のようだ、と。
 何にでもなれるよ、と。
 したいことをしなさい、と。
 台所の引き出しの中に、菜ばしやカレースプーンと一緒に
自分の夢をしまい込んでいないで、したいことをしなさい、と。

 
 私は今でも時々、10年後の自分に話し掛けてみる。
 育児のことや、仕事のこと、親のことでつまづいた時、
46歳の私に聞いてみる。
 彼女は、笑う。
 笑って、「この幸せ者」と私をつつく。

 46歳の私の周りには、息子たちはじゃれついてこないらしい。
みんなむっつりして、自分ひとりで育ったかのように
母親にそっけないと言う。
 そして親も年をとり、自分も仕事で疲れていると言う。

 小さな子供たちに振り回されて、
元気すぎる両親に手を焼くあなたは、
世界一の幸せ者だと、言っている。

 そういう46歳も、56歳の私に笑われている。
 仕事に忙しくしているなんて、この幸せ者よ、と。
 働ける幸せを感じなさい、と。
 老いても、ボケていても、親のいる幸せを感じなさいと。

 10年後の10年前。今。

 いつもいつも今がスタートラインで、
今の勇気が明日を変える。
 デイドリームビリーバーで行こう。
 人に笑われても、相手にされなくても。
 今日のデイドリームを、明日のホントにするのは今なんだ。
 今しかないのだ。

 
 ところで、あのイキイキ主婦の名前、ついに聞かずじまいだった。
 この前新聞に大きく、
「日本エアロビ大会優勝者」の写真が載っていたが、
 彼女に顔がそっくりだったのは、気のせいだろうか。


                   (了)


              しその草いきれ 2002.12.31.作あかじそ