しその草いきれ
「生きること死ぬこと」
新年になってから、私の身近な人たちが次々と亡くなってしまった。
親戚はみんな、慣れぬ身内の死に戸惑い、
なきがらに怯え、死を忌まわしく思った。
ところが、私が悲しさよりも強く受け取ったものは、
生きること死ぬことの新しい観念だった。
父の兄は、寒い朝、自転車に乗って犬の散歩をしている最中に、心臓発作を
起こして急死し、母方の祖母は、手術手術で体を切り刻みながら延命治療を続
け、最後は管だらけの中で苦痛に顔をゆがめ続けていた。
どちらも心臓だったが、亡くなり方があまりにも対照的だった。
最後の最後まで元気に暮らし、突然終わる生。
本人の苦しみは一瞬だが、家族はショックで愕然となる。
一方、頭ははっきりしているのに、半分死んだ体にがんじがらめになり、
長い間つらい思いをして亡くなる最後。
それは尊厳死ということについて、家族にたっぷりと考える時間を与えてく
れた。
私はできればボケてしまって、わけがわからないうちに死にたいと思った。
精神的にしんどい思いをして人生を終えるのはつらそうだな、と。
ところが、祖母のなきがらを見て、私はハッとしたのだ。
なんとおだやかな顔。笑っているような、嬉しそうな顔。
苦痛から解放されたというのもあるのだろうが、
その顔は残された私たちに「死ぬのは怖くないよ」と言っているようだった。
思うに、私たちは死を忌まわしいものと考えすぎるのではないか。
死にたくないから病気に怯え、健康に神経質になり、おさなごに過剰な保護
を加える。
ちょっと具合が悪くなると大騒ぎし、家族の病気に憂鬱になる。
それは死というものを、
日常の明るさとかけ離れた異常に恐ろしいものだとしているからなのだ。
しかし実際は、
「死」は「生」とセットで付いてくる抱き合わせ商品みたいなものだ。
当たり前のことなのだ。
生きることが明るく楽しいことで、
死ぬことが暗くつらいことだなんて、誰が決めたんだろう。
つらい生や救われる死だってあるのだ。
残された者が勝手に淋しがったりおセンチになったりしているだけで、
本人にとっては、結構普通の通過地点なのかもしれないではないか。
出産はしんどいことだけど、その後は可愛い赤ちゃんが生まれる。
死もしんどいことだけど、その後は素敵な次の人生が始まるのかもしれない
のだ。
死に際だけで、その人の人生をどうこう言うのは、
間違った認識なのではないか。
長い間、病院のベッドの上で、
スパゲッティーのように管だらけになって苦しんでいた祖母。
でも、死んだら幸せそうな顔をして笑っている。
たった今アカンボを産み終えて、
新生児と添い寝している若い母親のような笑顔。
祖母の遺影にする写真をみんなで探していて、
若い頃の祖母と出会った。
孫たちとの旅行で、孫の肩に手を掛けてピースを出すおばあちゃん。
地域の婦人会で、おばちゃん仲間とテーブルを囲み、大笑いしているおばあ
ちゃん。
祖母は、楽しそうに生きていた。
ちっとも可哀想でなんかなかった。
誰よりエネルギッシュに生きていたんだ。
アルバムからは、ハタチ前後の母やおばたちが、ピチピチの肉体で、
大時代的な水着を着て海辺で撮った写真も出てきた。
生まれたばかりのいとこたちのスナップも、
私の結婚式の写真も出てきた。
おばあちゃんの顔や手足や温かいぬくもりと別れるのはとても淋しいけれ
ど、
なぜか嬉しい気持ちにもなってきた。
これで祖母はいつでも私たちのそばにいて、
もうどこへも行かないでいてくれるのではないか、と。
歓迎されて生まれたひとつの命が、
成長し、挫折し、そしてまた立ち上がり、
老い、患い、倒れ、そして死して、
子や孫たちに惜しまれている。
これは死という悲しい出来事ではなく、
ひとつの歓迎された生の、ひと続きの出来事なのではないか。
何だかちっとも悲しくなくて、「ありがとう」と強く思うこの別れは、
私のこれからの生と死を、おそらく今までとは違う色に変えてくれるだろう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう!
(了)
(しその草いきれ)2003.1.14. 作あかじそ