(あほや)より 「悲しいときでも人は笑う」
喜怒哀楽は、みな兄弟みたいなものだ。
血がフツフツすれば、きっとどれかだ。
そして、そのどれもが、きっと元はひとつのものなのだろう。
母方の祖母の死は、
彼女が病院のベッドでつらい延命治療に苦しんでいたのを
みんな知っていただけに、
逆にホッとしたようなところがあり、涙のない、
カラッとした告別式だった。
以前、誰かの告別式でのスナップを綴ったアルバムを見て、
いたく感動した母が、
夫に命じて自分の母親の通夜・葬式中のスナップを
撮らせていた。
母の命令に逆らうと殺されてしまうので、父も必死だった。
親戚が一組到着するたびに、
まるでエロカメラマンがグラビアアイドルを撮りまくるような
執拗なまでの撮影を繰り返し、
誰かがお棺の中の祖母の顔を拝むたびに、
「あっ、ちょっと待って、そのままそのまま!」
と、やたら張り切ってシャッターを押すので、
みんな戸惑うやら、
思わず「拝む私」というポーズをとってしまうやらで大変だった。
もう、その撮影の張りきり方は尋常ではなく、
ちょっと何か動きがあろうものなら、
「はい、そこで一枚!」
と、いちいち私たちの動きを止め、親戚一同、
ほとんど「だるまさんが転んだ状態」となっていた。
さすがに火葬場では
「ここは撮っちゃいけないんだぜ」
と得意げに語り、
(先週の実兄の葬儀でも撮影しまくって叱られ、
学習したらしい)
火葬場から一歩離れた途端に、
ぞろぞろ歩いてくる親戚の先頭まで走り、
後ろ向きに歩きながら一同を何枚も何枚も撮影した。
炉の中にすーっ、と吸い込まれていく祖母の入った箱を見て、
私はどうしようもなく腹が立ち、
ふてくされた気持ちになってきていた。
手を合わせ泣いているいとこたちや、
経を唱える親戚たち。
その中で、私は、悔しくて虚しくて、
深い深いため息が何度も発作のように出てしまうのだった。
あきらめることの繰り返しだった今までの人生を、
いっぺんにまたあきらめなおすような、
やるせない気持ちで悶々としていた。
夫が2歳の四男を抱いて、
私の顔をチラリと覗き込んだが、
心配するその仕草さえも腹立たしく、
「いくら自分が頑張っても祈っても、どうしようもないこと」
というものにつぶされそうで、
腕を組み、じゅうたんを蹴っ飛ばしながら歩くのが精一杯だった。
そんなおセンチになっている私たちを知ってか知らでか、
父は、元気いっぱい後ろ向きに飛び跳ねながら、
張りきって撮影だ。
「張りきってんじゃねえよ!」
と、口の中でつぶやいた私に、いとこのhanaは、
「お姉ちゃ〜ん、怖いよ〜」
と、軽く突っ込みを入れて通り過ぎた。
喜怒哀楽。
哀しみの隣に怒りがあるようで、私は思わず怒ってしまった。
さて―――。
久しぶりに会ったおじさんおばさんたちは、
子育ても終わってみな若返り、(しかしみな持病持ちになっていた)
子供たちは結婚してパートナーと幼な子たちを連れて集い、
酒を酌み交わしたり、
甥っ子姪っ子たちにお年玉などを渡したりして、
それなりに大人の会話で賑わっていた。
遠い親戚のやさしいおばあちゃんは、すっかりボケてしまい、
疲れた背広の夫じいちゃんと娘に連れられて、
ニコニコ笑いながら棺の中の祖母に話し掛けていた。
時が流れているんだなあ、とあらためて感じ入り、
自分もこうしておばちゃんになり、おばあちゃんになり、
ボケてほうけて、死んじまうのかなあ、と思ったら、
何だか逆に楽な気持ちになり、楽しい気持ちにすらなってきた。
私の葬式にも、私の子供や孫や曾孫たちが、
こうして集まって賑やかにやってくれるのならば、
それはそれで面白いなあ、とも思った。
こうして淡々と進んできた告別式だったが、
最後に長女である私の母が挨拶をすることになった。
祖母といつも対立し、竹を割ったようなキツイ性格の母が、
涙でことばを詰まらせながら話すのを聞いて、
みな驚きと哀しみで一瞬のうちに涙涙となった。
みんなみんな、泣いてしまった。
やっと泣かせてもらえた、という感じだった。
「それでは、お清めの食事の前に、ご長女のご主人様より
【献杯】(けんぱい)のご発声をお願いいたします・・・・・・」
葬儀屋がしめやかに言った。
おい、ちょっと待て。
ご長女のご主人って、まさか【ヤツ】 じゃないだろうなあ!
―――嗚呼!
やはり。
父だった。
まさに私の実の父親。
あのバカっ父のことだった。
ヤツは、へっぴり腰でへこへこ立ち上がったかと思うと、
とんでもないことを言いやがった。
「私はふた〜つ、言いたいことがありまして〜。
お母さんは、キツイ性格でしたけどね。
あちこちに面倒を見てやった人がいっぱいいるそうで。
蔵前とか? 蔵前。
あと、もう一個ね、キツイ性格だったから
『にくい』と思った人は、あの穏やかな顔に免じて、
許したってくださいよっ。ははっははっ」
(なにい〜っ! 今なんつったあ〜っ!!!)
何でそういうこと言うかなあっ!!!!!
みんなおばあちゃんのこと憎いなんて思ってねえっつんだ!
半端でなく頑張りやなのも、
戦後たくさんの飢えた子供たちを拾ってきては、
何か食べさせてやったりしていたのも、
みんな知ってんだ。
テメーみたいなへっぽこオヤジに、
みんなのおばあちゃんの人生をテキトーにまとめられたくはねえなっ!
私は、またもや怒りに火が点いてしまった。
母の挨拶で泣いたみんなも、唖然として口を開けている。
そのときだ!
そのバカっ父が、最後の最後に、やっちまった。
やっぱりやっちまった。
「献杯!」
というところを、彼は心をこめて大きな声で言い放った。
「けんぺエ〜〜〜っ!」
(け・・・献・・・「ぺい」? 「杯」でなく、「ぺい」かっ!?)
「乾杯」と言っちゃう者あり、
「献!」で止まっちゃう者あり、
一緒に「けんぺ〜」と言っちゃう者ありで、
バランバランだった。
シ―――ン、となっている中、お食事タイムが始まったが、
みんななかなか料理に手が出なかった。
私は思わず言ってしまった。
「ばーばの挨拶でウルウルしたのに、
最後の最後にヤツがまたやっちまったな。
涙がコンマ3秒で引っ込んだわ」
すると、ハタチのhanaの弟が、ぼそりとつぶやいた。
「けんぺい?」
全員同時に吹いた。
笑った。
涙がまだ残っている目で、爆笑した。
喜怒哀楽。
これってみんな兄弟なのだ。
楽しかった。
今日の、この短い時間に、
私たち、血のつながったDNA同盟は、
みんないっしょに喜怒哀楽を満喫した。
どんな悲しいときでも、人は笑うのだ。
(了)
(あほや)2003.1.21.作あかじそ