しその草いきれ 「本末転倒」

 最近、母が病気になったのをきっかけに
私は好きな仕事をやめてしまった。
 勤務時間の不規則な仕事だったので、
仕事に出かける私自身より、
4人の子供を預かる母の方がストレスが大きかったのだ。
 仕事をやめ、しばらくは喪失感にさいなまれたが、
最近、だんだんと落ち着いてきた。

 生まれてこの方、
私は、いつもいつも何かに追いまくられていたのかもしれない。
 「やりたいこと」はいつもあったのに、
「やらなければならないこと」に追いまくられて、
いつも後回しにしてきてしまった。
 
 思えば、学校を卒業するときに、
人に物を書く仕事を紹介されたのに、
「私は就職しなければならないので」
と言って断ってしまった。
 就職したらしたで、販売の仕事が好きなのに、
幹部候補生、というものにされてしまい、
人と数字で競わされ、精神的に参ってしまって退職したのだ。
 
 ああ、悲しき真面目人間。
 人に強くこうしろああしろ、と言われると
イヤなのに「はい」と言い、
誰も見ちゃいないのにひとりで真面目に励んでしまう。

 仕事をやめたらやめたで、
今度は、「なにもしていないこと」の後ろめたさで病気になって、
ウツとソウとを行ったり来たりだ。

 ええい、こんなの時間が勿体無いわ、
と、今度は子供を産んで、断乳すると、すぐ次の子を作る。
 その次の子の断乳も済んだら、また次の子。
 ちょっと時間が空いたから、
今度は託児所に子供たちを預けてヤクルト配りまくり。
 たくさんのお客さんの「来て欲しい時間」に合わせて、
無理してチャリンコを走らせまくっていたら、
思いっきり車に轢かれ、あえなく退職。

 右足にどでかいギブスをして家でそっくり返っていると、
「ああ、時間が勿体無い」
と無性にじりじりしてきて、また次の子をもうける。

 はい、その子も断乳しました、次、何をする、何して働く?
 そんなことを考えていると、
いとこのhanaがやってきて、
「ねえちゃんパソコンやってみそ」
と言う。
 「パソコンで、また昔のように何か書いてみそ」
と言う。
 
 これは、ちょっとマトに当たった。
 書くことは私の本望。
 ホントは金払ってでも物を書きたいクチだ。
 
 大変な作業でも全然苦にならない。

 しかし、それはそれとして、
好きなことをしているだけでは
まだ何か自分がさぼっている感じが拭えず、
また、夫の会社の倒産などもあいまって、
随分いろいろな仕事を経験することになった。
 どれもこれも、やってみりゃあ面白く、
なかなか筋がいい、と言われることも多かった。

 仕事をしないと人間として失格、
という強迫観念が常にあったのかもしれない。
 で、サラリーマンの家庭に育ったためか、
「仕事」=「雇われること」という考えで固まっていた。
 が、「人の手伝い」的な仕事はどうも性に合わない。
 仕事内容は楽しいのに、仕事に慣れてくると
「黙って働け」という労働内容に物足りなくなってしまう。
 そして、バッサリ仕事をやめて、また、
「私ってダメな人間!」
―――となる。

 こりゃ、本末転倒だっつーの。

 今、気付いたのだ。
 今さっき。

 人は何のために働くのか?
 ―――生きるため? 食っていくため?
 人はなぜ生きるのか?
 ―――子孫を残すため?

 一般論はそうかもしれない。
 でも私の場合は、「魂を燃やすため」だ。
 ビンボーだってかまわないし、地位も名誉もいらない。
 家族と、少しの衣食住があればいい。

 苦痛に顔をゆがめながら働いて、
「仕事なんだから我慢しろ」
と、家族の絆をないがしろにし、
金がかかるから物は買わない、子は産まない、
親の面倒は見ない、困った人は見て見ぬ振り。
 頑張って働いて、イヤなのに働いて働いて、
そして人並みの暮らしを勝ち取るのじゃ〜!

―――って。
  
 それって!
 それって! 
 それって、少なくとも「本望」ではないよねえ!

 自分は何をしたいの?
 自分は、今、本当に、心から生きているの?
 この胸の奥にある魂の炎は、今、ちゃんと燃えているの?
 
 明日、死ぬかもしれない。
 いや、次の瞬間死ぬかもしれない。
 その、死の寸前に、
「やるだけやったし、ま、いっか」
って、ちゃんと納得してから死ねるの?

 私は、自分に問い掛ける。

 今まで、あせってあせって、走りに走って、
何をしていたのだ。
 「本末転倒」を繰り返し、転倒人生まっしぐらではないか。

 転びに転んで頭を打って、私は今さっきハッと我に返ったのだ。

 「本望」な人生を生きよう。
 好きな仕事をしよう。
 働いていて楽しい仕事をしよう。

 それが家事だって育児だっていいのだ。
 それが好きなら、それをやればいい。

 金のために働くのではなく、魂の仕事をしよう。
 生きるとは、
本当の意味で生きるということは、
体だけでなく、心も生きることなんだ。
 
 自分は、今本当に生きているのか?
 心が貧血起こしていないか?

 本末転倒もうやめて、
「これで死ねたら本望でぃす」
という生活をしよう。

 ギスギスギスギス生きるのは、もうやめよう。

 誰もが持ってる心の灯を、
みんなで灯せばきっと世の中は変わっていくはず。
 ひとりひとりに分岐してしまったエゴが、
きっと少しづつまとまって、一本の太い木になるはず。
 
 本望は何か?
 どうしたいのか?
 
 「本末転倒」な世の中で、みんなが転ぶのをやめて、
ちゃんと大事なことに気付けば、
もっとゆったり暮せる世界になると―――

 私は思うんだけどなあ。


                    (了)

2003.2.25.(しその草いきれ)あかじそ作