小さなお話 「最後の健常者」
ぼくは、今、どの団体にも社会にも属さない、
いや、属せない、どこからもはじかれた存在となった。
ぼくは、最後の健常者だ。
2025年。
ぼくはハタチだ。
生まれた頃、すでに世の中はその傾向に突っ走っていた。
僕の兄は6歳の頃、学習障害と診断されて、
学習障害者学校へと進学し、
僕の姉は幼稚園時代に多動児と診断され、
現在、多動児学校に通っている。
昔は、親は子供の障害を指摘されると嘆き悲しみ、
周囲から奇異や同情の目で見られることもあったらしいが、
今の時代はそういうことは一切ない。
むしろ、障害のひとつも抱えていないと人から軽蔑され、
ノーテンキ呼ばわりされるのだ。
世の中がどんどん複雑化し、利己主義化し、凶暴化していく中で、
それでも普通にのうのうと暮しているのは、
むしろ普通の神経ではないのだ、と言われている。
今の時代、障害はある種のステイタスにさえなっている。
「あなたのお子さんのタイプは○○障害ですから、
このリストに載っている施設から選んで進学してください」
と、比較的早い段階から選別され、親も親で、
(あ、この障害は、私や私の母と同じタイプだわ)
などと、まるで子供の血液型でも知らされるくらいの気軽さで受け止めてい
る。
実際、親も、どれかしらの障害を持っているのだ。
どの性格傾向にも何かしらの障害の名前がついており、
昔は「のんびり屋」と呼ばれていた人たちは【時間感覚障害】、
「短気」と呼ばれていた人たちは【不耐性障害】、
いじめをする人たちは【良心障害】、
反抗期がキツイ子供は【従順障害】、
テレビッ子は【映像依存型障害】、
ゲームばかりする子は【遊戯狂障害】、
虐待をする親は【母性欠如障害】などと呼ばれている。
すべての子供は、就学以前に性質・特徴・傾向を測られ、
その傾向に合った合理的な環境で、適切な教育を受けることになる。
また、それは各自治体に義務付けられている。
それぞれのタイプにあった環境が用意されている専門施設で
生きるスキルを学習し、得意とされる分野に振り分けられて働く方が、
八方丸く収まり幸せなのだ、という発想らしい。
人類、総障害者となった現代、ぼくの孤独は深刻だった。
ぼくは、なんと健常者だと診断されたのだった。
ぼくの親は、ぼくが健常者だということを医者から告知されたとき、
あまりの動揺に床にしゃがみこんだらしい。
今の時代、健常者の進む道などどこにも用意されていない。
どの学校も職場も専門化かつ細分化しているから、
「何のとりえもなく、何の特徴もない」健常者は、
入る学校も、就ける仕事もないのだ。
将来の保証は何ひとつないというわけだ。
ぼくだけでなく、ぼくの親も兄弟も親戚たちも、
家族に健常者を持つ者として奇異の目にさらされ、
ぼくの姉は、結婚をあきらめなければならないかも、と泣いている。
「健常者の血を引く遺伝子を、自分の家に持ち込まれたらたまらない」
と、姉の恋人となる者はみな、僕の存在を知ると姉から去っていくのだ。
ぼくは、最後の健常者だ。
何の特徴もない、どんな個性も認められない、
分別できない厄介な存在らしい。
本に出ていた昔々のように、
いろいろな個性の子たちがひとつのクラスで机を並べ、
教師が苦労して彼らをまとめていたという時代に生まれたかった。
個性重視がどんどん拡大解釈されて、
子供たちの分別という事態になる前の、
「みんな違ってみんないい」
という時代に生きたかった。
ぼくは悲しき、最後の健常者だ。
(了)
(小さなお話)2003.3.25.あかじそ作