鬼ばば母ちゃん No.23600 キリ番特典   お題「酔っ払い」

しその草いきれ 「あなたより先に酔いたい」

 人と呑んでいて、先に酔っぱらわれることほどつまらないことはない。
 「ああ、楽しいなあ、酔っぱらってきたなあ」
と思っているうちに、一緒に飲んでたヤツが突然ぶっ飛んでしまい、
あまりのハイテンションにこっちはどんどんしらけてしまうのだ。
 あるいは、一緒に盛り上がっていたのに、相手が突然、
「おえ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
と吐きまくり、まともに歩けなくなってしまうとなると、
こっちだって酔っているのに「介抱者」にならざるを得ない。

 ああ、一緒に呑むなら、あなたより先に酔いたい。
 ああ、一緒に生きていくのなら、
あなたより先に死にたい、ボケてしまいたい。

 それが私の切なる願い・・・・・・あっ!

 たった今、ある事件を思い出した。
 やばい。
 私も相当酒で人に迷惑をかけてきたクチであった。
 今でこそ「たしなむ程度でございます」などとすましているけれど、
大学生の頃は連日べろべろだった。


 文芸コースのゼミの合宿で箱根に行った時のことだ。
 夜の飲み会で、私は、先生の横に座り、
熱心に文学についての話を伺っていた。
 尊敬する先生に、たっぷり質問できる機会だ。
 この機を逃すまいと、私は貪欲に先生にかじりつき、
「あの作家のあの作品のあの部分は一体どうなんでしょうね」
といった類の質問を次々に繰り出していた。
 私は話に夢中になるあまり、喉がからからに渇き、
時折目の前のコップの中の液体をがふがぶとあおった。
 飲むたびにその液体の濃度は濃くなり、
途中、「あれっ?」とは思ったが、そんなことより文学万歳、
という興奮で私は我を失っていた。
 その液体は、飲んでも飲んでも量が減らなかった。
 後で聞いたら、私が先生の方を見ている隙に、
向かいに座っていた友人が、
ウイスキーの原液だけをどんどん注ぎ足していたのだという。
 それは、理科の実験のアルコールのようなキツイ臭いだった。
 結果的に私は、洋酒を割らずに、ボトル何本も飲んでいたことになる。

「どうするのこれ」

 という男子学生の声で目を開けると、
なぜか目の前には畳のドアップが映っていた。
 私はなぜだか横たわっているようだった。
 
「誰が運ぶんだ」
「その辺に転がしとけ」
「起こしてみたら」

 などと言っている遠い声たちは、
どうやら私のことについて話し合っているらしい。
 
「何でもないって何でもないって」

 と、私は、全然酔っていない旨を表明しようと飛び起きると、
突然地面は遊園地のびっくりハウスのように転がりだし、
私は12畳の部屋全体に渡って、
物凄く大股のボックスステップを踏んでいた。
 
「おいおいおい、大丈夫かっ!」

 と言う友人たちが私を支えようと皆で追ってくるが、
私はなぜか常人には想定できないような不規則なリズムで
部屋じゅうをさまよい歩き、自分でもその動きを止めることはできなかった。

「部屋まで歩ける?」
という声に、

「で〜〜〜〜〜〜〜〜じょぶ、でえじょぶっ!」
と、元気いっぱい答え、無重力状態で廊下に出た。

 廊下はなぜか右に左に蛇行し、床は波打っていた。
 何て凝ったデザインなのだろう。

「木の節目までもが、曲がっトルわ〜い!」
と、小さく囁くと、
「シッ! 夜中だから静かに!」
と、友人に制止された。
 小声で言っても大声が出ている。
 愉快じゃ、実に愉快じゃ!

「木の節目までもが〜〜〜〜〜っ!
 曲がっっっっっっっっっっトル、
わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっ!!」


 そのフレーズがえらく気に入り、何度も何度も
異常な大声で繰り返し、わめき倒した。
 
 ―――と、私は、突然物凄い尿意に襲われ、
トイレの個室に入り、用をたし終えると、
便器に抱きついて胃の内容物を戻した。
 気持ち悪くもなんともなかった。
 もう、楽しくて楽しくてしょうがなかったのだ。
「木の・・・・・・節目・・・・・・までもが・・・・・・」

「リカ〜、大丈夫?」
と、また友人の声がした。

 私は便器を抱いたまま眠っていたらしい。

「全然オッケイで〜〜〜す!」
 私はご機嫌で答え、そのまままたしばらく眠った。
 そして数分後、
「あっ、『全然オッケイ』ということばは間違いです。
『全然』は、後に『〜ない』を付けるのが正しい日本語ですね」
と、訂正して、また寝た。
 酔っぱらっても腐っても文芸合宿であった。

 しばらくして寒さで目を覚まし、私は重い重い体を持ち上げ、
自分の部屋に戻り、布団目掛けて倒れ込んだ。


「この部屋酒くさ〜〜〜っ!」
 翌朝、別室で寝ていた友人たちが部屋の襖を開けて叫んだ。
「酒がイヤな発酵してるよっ」

「リカ〜〜〜〜〜っ!」
 友人一同、私を見た。

「うい〜〜〜」
 一夜明けて、私は全然楽しくなくなっていた。
 朝食もまったく胃が受け付けなかったし、
午前中の合評会でも、ゲロゲロがこみ上げてきて、
部屋を飛び出し、トイレに吐きに行ってしまった。

 あたしゃあ、ここに何しに来たのかよぅ・・・・・・

 ロビーのソファーでひとり、でべでべになって伸びていると、
みんなが勉強を終えてぞろぞろ出てきた。

「あんなに飲むから!」
 みんなゲラゲラ笑っていた。
「この後、イロハ坂で急カーブの連続だからな〜」
 またみんなゲラゲラ笑う。
「かんべんしてよ〜〜〜っ!」
 私は這うようにして近くの薬局に行き、酔い止めと胃薬を買った。
 当時、金欠の極地だったため、残金32円だった。
「土産も買えないよ〜」
と泣く私を見て、みんなまた大笑いした。

 私が先に酔って潰れたおかげで、みんな深酒せずに済み、
勉学に専念できたらしい。

―――あれから15年。

 大人の女のような顔をして斜に構え、
「あなたより先に酔いたい」
だあっ?
「よく言うわ!」
と、大勢の人に突っ込まれそうだ。


                      (了) 

しその草いきれ 2003.4.1.あかじそ作