しその草いきれ 「立ち止まること」

 今、仕事もしていないし、子育ても一段落している状態で、
この時をうしろめたく感じていない自分がいることに驚いている。
 今まで走り続けてきたから、止まったら死ぬと思っていた。
 が、死ななかった。
 焦りも、いつの間にか消えた。

 立ち止まり、何もしていない、
何の肩書きも無い「ただの人」でいることに、
苛立ちも感じずにいられる。

 私は、今、
「ご破算で願いまして〜は〜」
という心境でいる。
 そろばんの上の珠を、
右手の人差し指で、ててててて、と一直線に払っていき、
盤の上には、何も乗っかっていない状態だ。
 クリアで静かで、ゼロである。

 心が静かにゼロになるまで、えらく時間がかかってしまった。

 何も背負っていない自分、
何のバッチも付けていない自分のままで
堂々とシンとしていられるまでが大変だった。

 立ち止まって、何もせずに、
来た道行く道をゆっくりと眺め回してみる。
 そこには景色だけが広がり、付け加えるべき心境もなかった。

 走り続けなければ得られないものが多い中で、
走るのも歩くのもやめて、
静かに立ち止まっていることで得られるものもある。
 
 自分を追い越して横を走り抜けていく人たちも、
その先の交差点で信号を待っている。
 何も焦ることなどなかったのだ。
 
 必要なのは、時々、静かに我に返ることだ。
 放っておけば、どんどんエキセントリックになっていく時代の中で、
ときどき、人の流れに押し流されずに、
ただただ立って、自分のいる場所がどこなのか見回してみよう。

 そして深呼吸して、次の一歩を踏み出す時には必ず、
止まる前には見えなかった何かが見えているはずだ。

 立ち止まることは、無駄な時間ではない。
 必要な過程だ。
 自分が生きていることをちゃんと肌身で感じ、
抜け殻になりかけた自分に入魂する大切な一過程だ。

 あくまで次に進むための―――。


                   (了)



                2003.4.8.(しその草いきれ) あかじそ作